第2話 部活で日焼けしてる女の子が運動着から着替えた後に見える白い肌はこの世で一番美しい
雨の音が雄一を現実に引き戻す。
雄一は女子更衣室に佇んでいた。
どのくらいの時間、こうしていたのだろう。
外から雨音が聞こえる。
「そうだ、魔女は……」
自分の身に迫っていた危機を思いだし、辺りを見回すと
「ゆ……ゆーくん?」
横では着替えの途中少女が唖然としてこちらを見つめていた。
シャツを脱ぎ、体操着のズボンを下ろそうとしている最中のようだ。
部活で全体的に日焼けしているが、普段ズボンに隠れている太ももやそれより少し上の部分を見ると、元々は色白なことが伺えた。
部活で日焼けしてる子の、日焼けしてない部分が見えたときってなんでドキドキしちゃうんだろうね。いや、今はそれよりもう少し聞くべきことがあるような気がする。
「へ? なんでお前ガッ!?」
ここにいるんだ、と言いかけたところでこちらへ飛んできた鞄が雄一に命中する。
「女子更衣室なんだから私がいるのは当たり前でしょ! それよりゆーくんのほうが何でここにいるのよっ!」
「いや、なんでってのは女だからいるとか男だからダメとか言う意味じゃなくテッ!」
今度は雄一に空の弁当箱が命中した。
「ゆーくんのばか! どーせ私は女の子らしくないですよ! だからって着替えを覗いて良い理由になんてならないんだから!」
どうやら作戦を変えた方が良さそうだ。
「よし! ここはとりあえず逃げ、だ!!」
雄一は作戦を説得から得意の戦略的撤退に切り替えた。
女子更衣室から飛び出ると、廊下を一目散に走る。
話が通じる状況ではなかった。
「まぁ、着替え覗いておいてあいつに話が通じる方がおかしいか」
あいつ、と言うのは先程雄一に改心の一撃、もとい二撃を食らわした女子生徒である。
女子生徒の名は市丸京奈、雄一のクラスメイトでもある。
雄一とは中学校からの同級生で、貴重な雄一の高校での知り合いだ。ソフトテニス部に所属している彼女は県内でも上位の実力だ。この高校もテニスでの推薦入学で来ている。
その為か、勉強の方はなかなか苦労しているようだが。
まぁそれは置いておいて。
それにしても、である。
雄一の認識では、魔女から逃げて女子更衣室に逃げ込んだときには中には誰もいなかった。それが、何故。
「ぼーっとしてる間にあいつが入ってきてそのまま着替え始めたとは考えにくいし」
それに魔女もいつの間にかいなくなっていた。
「ん? そういやあいつ何で着替えてたんだ?」
京奈はテニス部に所属しているが、部活の着替えは部室で行うはずである。
それに、さっき京奈は体育の体操着を脱ぎかけていた。今日の体育は昼休み前の授業だったはず、それが何故今着替えていたのだろう。
そして雄一はもう一つ違和感を覚えた。
放課後だった筈の目の前の廊下は生徒たちの喧騒に包まれているのだ。
「……訳、わかんねえよ」
いつもの見慣れた光景に大きな違和感を感じる。
それだけでこんなにも気持ち悪く感じるものなのか。
雄一の足取りはどんどん重くなっていく。
すると
「あ、正也……」
教室の前で友人の姿を発見する。
よかった。今はとりあえず冷静に話せる相手が欲しかった。
「なぁ正也、聞いてくれ、今おかしなことが」
話しかけた雄一を見上げると
「君、だれ?」
親友はそう尋ねたのだった。
「は? 誰ってお前、何言って……」
いつも冗談のようなことを真面目に言うが、冗談は言わない友人の言葉に雄一は首をかしげる。
「ごめん、ぼく忘れっぽくて。どっかで会ったことあったっけ?」
「おい、そんなつまんねえ冗談言ってる場合じゃなくてさ、さっきまで一緒にいたじゃんかよ。聞いてくれ、今魔女から逃げてたら」
雄一の声は段々と震えていく。
「さっきまで? ぼくがさっきまで一緒にいたのはゆーいちだよ?」
「は……? だからゆーいちって」
「ゆーいちはゆーいちだよ。今パン買いに行ってる」
パン? たしかに昼休みに買いに行ったが。
……昼休みに、買いに行った。
「いや、まさか。でも、もしかしたら」
その瞬間、雄一の中にある推測が生まれた。ポケットに入っているケータイを取り出す。
そこには5月17日の日付で時刻は12時35分と表示されていた。
そう、昼休みの時間帯だ。
「マジ、かよ」
教室の時計も確認すると、やはり同じ時刻を差している。
ここで雄一は、自分の馬鹿げた推測が現実味を帯びていることに顔をひきつらせた。
「……今日の昼休みに戻ってきてる、ってことかよ」
タイムリープ。小説や映画の物語では見たことのあるものも実際自分の身に降りかかるとなると混乱してしまう。
正真正銘、自分は過去に戻ってきてしまったのか。
どうしたらいい。
そう頭を抱えていると
「たっだいまー! いやーいっぱい買っちゃったよー」
やたらと上機嫌な昼休みの自分が帰ってきたのだった。
突然の自分自身との出会いに、雄一はどうしたらよいのか困惑する。思えばさっきから急な出来事が多くパニックになってばかりだ。
「あれ? 正也、そこの人は?」
不思議そうに過去の自分が尋ねる。
「なんかよくわかんない」
「わかんねーってなんだよ」
そう言って笑う過去の自分と友人に背を向け、雄一は一人廊下を歩き出した。
これではっきりした。どうやら自分は過去に戻っただけでなく、小澤雄一として認識されていないようだ。
突然今日の昼休みまで戻り、そこで自分は自分じゃない誰かとして認識されている。
ケータイに写る顔はいつもの自分の冴えない顔なのに、それは他人からは「小澤雄一の顔」として認識されていないようだ。
わからないことの方が多いのは変わらないが、段々と現状が把握できてきたこと少しの安堵感を覚えていると
「あ、市丸」
先程思いっきり着替えを覗いてしまったクラスメイトが廊下をてこてこと歩いている。
そういえば先程、彼女は雄一のことを普段と同じように「ゆーくん」と呼んでいた。
もしかしたら自分のことをわかってくれるかもしれない。そんなことを期待しながら雄一は話しかける。
「なぁ、市丸」
「はい?」
「俺のこと、わかるか?」
僅かな期待と不安に包まれ、ためらいながら質問をする。
「うーん、ごめんなさい。どこかで会ったことありましたっけ?」
が、やはり結果は同じだった。
「そ、そうだよな。やっぱわかんねーか」
「なんか、ごめんなさい! あんまり昔のこととか忘れることないんだけど」
「いや、良いんだ。ありがとう」
もうこの世界では、自分は小澤雄一ではないのか。雄一が持っていた期待が潰える。が、それと同時に新たな疑問が浮かんでくる。
それでは、自分は一体誰なのか。
「なぁ、市丸。俺ってどんな風に見える?」
「え? どんな風、ですか? うーんと、髪は黒くてボサボサしてて、眠そうな顔してますね」
「それ完全に俺じゃねーか!」
完全に雄一の特徴である。
見た目自体が変わってる訳ではないのか。
「俺として認識されないだけってことなのか?」
自分ではない誰かになのだろうか。
ではこの世界での自分とは一体誰なのだろう。
京香に礼を言って別れたところで、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
廊下にいた生徒たちが教室へと戻っていくと、廊下には雄一ただ一人だけになった。
一人で呆然と立つ姿は、正に今の雄一そのものだった。
誰もいない廊下。ドアひとつ閉まっているだけで教室からの声はほとんど聞こえない。外の雨音だけがやけにはっきりと耳を打った。
雨に包まれた、雄一の世界。
自分だけの、孤独な世界。
しかしそんな世界は、意外な人物によって簡単に壊された。
「授業が始まってるのに廊下にいるのは誰かしら?」
そんな雄一に声をかけたのは
雄一の担任の魔女だった。
タイトルで言いたいことは言い終わりました。