第19話 青い春と暑い夏
視界がボヤける。
手探りでケータイを取り出して、霞む視界の中でなんとか日付と時間を確認する。
早川さんが晴斗に告白したのは7月10日のバスケ部の練習が終わった後。
今はその日の放課後になったばかりの時間だ
「よし。とりあえずOKだな」
ひとまず時間は合っている。
過去に戻ることには成功だ。
段々と視界が晴れていく。
着替えを入れるロッカー、椅子、ピンクの下着に白い肌、外からは中が見えないように窓にはカーテンがかけられている。
いつも通りの女子更衣室だ。
ん? なんか変だったような?
ボゴッ、と雄一の体を軋ませるほどの衝撃が走る。
「何がオーケーなのよ!」
薄れ行く意識の中、雄一は恥ずかしそうに体を隠しながら怒る市丸京奈の姿を捉えていた。
と、意識を失っている場合ではない。
女子更衣室で倒れるなんて、男にとっては敵の本陣で丸裸になるようなものだ。
いや、どちらかというと裸なのはむしろ女子の方なんだけど。
雄一は何とか体勢を立て直し、そのまま女子更衣室から脱出を図る。
「もう! 今見た記憶は消して!」
去り行く雄一の背中に、京奈の言葉がかかる。
「悪いな市丸! 今度何かで詫びる!」
さすがに忘れるのは無理そうなので、了解はしないでおこう。
それにしても、前回もそうだったけど市丸もピンクとか着けるんだな。
スポーツ少女、と言った見た目とのギャップがとても良いですね。むしろ強力ですね。
こんな風に反省がないのが雄一の良いところである。
――――――
雄一はバスケ部の部室へ向かう。
まだ部活が始まる前だ。
今なら話ができるだろう。
体育館の横を抜け、運動部の部室が集まっている部室棟で目的の人物を待つ。
それにしても、この時間は運動部の生徒が多く出入りしていて、アウェー感がすごい。
過去に戻ってきているため、あまり存在を認識されないが、やはり運動部の集団が通ると思わず道を空けてしまう。
リア充怖い。特にサッカー部。
テニス部は来ないのだろうか。久しぶりに市丸のテニスウェア姿を、何てこと思ったところで、ふと雄一に疑問が浮かぶ。
何故、先程京奈は雄一のことを「ゆーくん」と呼んだのだろう。
確かに、京奈は雄一が過去へと戻れることを知っている。
だが、過去に戻ると雄一は雄一として認識されないのだ。代わりに、大澤雄二という別の人間として扱われる。
そこまでは京奈には話していないし、知っていても雄一だとわかるわけがない。
そうだ、思えば以前もそうだった。
初めて雄一が過去へと戻ったときも、女子更衣室で京奈の着替えを見て殴られた。
その時も雄一のことを「ゆーくん」だと認識していた。
京奈が何か特別なのか? いや、それとも
「女子更衣室で、会ったから?」
女子更衣室にいる間は、過去に戻っても「雄一」として認識される。
そうだとしたら、大きな発見だ。
とりあえず、今考えても仕方がない。
これは戻ってから正也に相談だ。
そう考えをまとめていると、目的の人物が練習着に着替え終えて部室から出てくる。
よし、一人でいる。
雄一は深呼吸をしてから、その背の高い男に声をかける。
「あの、片山くんだよね? ちょっと君に話したいことがあるんだけど」
――――――
「え? 早川さんが?」
「ああ。どうやら返事は今日までらしい」
やはり正也の予想通り、片山智樹も人が良いのか、すんなりに話を聞いてくれた。
もちろん、早川さんが君の親友を好きみたいだ、なんて事実を言っても逆効果だ。
そこで、雄一は嘘を用意した。
即効性があり、真偽を確かめにくい、それでいて簡単な嘘。
「早川さんが告白された」と。
告白されて、返事を保留にしている。
相手のことは好きではないが、どうやら期限は今日までで、もしかしたらOKしてしまうかもしれない。
自分の好きな相手がそんな状況であったら、焦らない男子高校生はあまりいないだろう。
「ありがとう! 初対面なのに、こんなに親切に教えてくれて」
「お礼なら島崎くんにだよ。わざわざ君のことで後悔部にまで相談に来るくらいだから」
これは嘘ではない。
今の時間からすると、晴斗が後悔部に依頼をしに来るのは少し未来のことだが。
「でも、恥ずかしいだろうからこの事は島崎くんには黙っておいてね」
「たしかにあいつ恥ずかしがりそうだな。うん。今度ラーメンでも奢ることにしよう」
智樹は笑顔で、頷きながらそう話すと、体育館とは逆の、校舎の方へ歩き出す。
「俺、早川さんのとこ行ってくる」
やはりだ。
やはり、予想通り、作戦通り、想定内で、智樹は早川さんに告白をしに行く。
そしておそらく、フラれるだろう。
親友が自分の好きな人に告白される、という分のショックは無いだろうが、それでも中々に応えるだろう。
智樹の純粋な姿に、雄一は少し後ろめたくなる。
「な、なぁ! もしうまくいかなくても……その、後悔しないか?」
雄一の声に智樹は振り返り、笑顔で応じる。
「するかもしんねーな。……でも、なにもしないで、なにもできないで終わるより、思いっきりぶつかって失敗したい。そうしなきゃ、それこそ後悔すると思うから」
きっと智樹は、晴斗に怒っていたり、嫉妬していたわけではなく、なにもできないまま早川さんが他の人に告白したのを、後悔していただけだったのだろう。
それほどに、真っ直ぐで、単純な人間。
だからこそ、晴斗と一緒にいる上ではうまくいきそうな気もする。
「行ってくる。どうもありがとう。えっと君は」
智樹が名を尋ねてくる。
そういえば名前も言っていなかったか。
雄一は、少し迷ってから答える。
「……小澤雄一だ。後悔部って部活やってる」
「ありがとう、雄一」
そうして智樹は、校舎へと駆けて行った。
「はあ」
ひとまず作戦は上手くいった、はずだ。
緊張が解けると、シャツの襟元が汗ばんでいるのを感じた。
初夏の日差しが、雄一の体をジリジリと照らした。
爽やかさなど無い、うだるような暑さ。
シャツの襟元をパタパタと扇ぐ。
ああ。
「青春しやがって」
校舎に消えた智樹の後ろ姿に雄一はそう呟いた。