第五話 そして失格
今セーナのいる場所は神界だ。
どうやら聞く分、セーナの行く末は神の最高神であるスプンタマンユ直々の裁量に委ねられるとのこと。
恐らくあと幾分で、ここ神界に姿を現すだろう。
それまでここ神界に在するのはセーナとマナフの二体のみ。それ故相変わらず漂うセーナの悲哀さに、マナフは独り言のよう呟いた。
「やっぱり今回は厳しいかもしれないわね……。なんたってあの異世界を滅ぼさんとする人間を転生させてしまったもの」
「だよねだよね無理だよねもう終わりだよね……。なんでこんなことになっちゃうのかなあ。完璧に上手くいったと思ったのに……」
マナフの意見がごもっとも。
本来であればこういう事態を避けるためにリストなるものが存在する。
異世界に転生させるべきレギュラーな存在。異世界に転生させるべきではないイレギュラーな存在。
七十億人の人間をその双方に振りあてたものをリストと呼ぶ。簡単な話だ。
異世界に転生させるべきレギュラーな存在も、そうでない存在も既に決まっていて、セーナはそのリスト通りに動いてるつもりだった。
なのに今回も”また”、リストの内訳が頭の中でごっちゃになっていたらしい。
転生させるべき人間と転生させてはいけない人間。
その双方がごっちゃになるという、絶対にあってはならないことがまた起きてしまった。
転生させてはいけない人間を転生させてしまった回数はこれで四回目である。
「逃げたい超逃げたい怖いよマナフどうしよう……」
「付き添ってるだけの私だって怖いのよ。我慢しなさい」
今までセーナのミスが許されていた理由。
それは大した実害を生むミスじゃないからだ。
転生させてはいけない人間と言っても種類は千差万別。極端ながら実害性における差は大きくある。
なので今までの三人は大した実害性などなかった。
あっても所詮は万引きだったりと軽犯罪レベル。セーナが今までお咎めなしだったのは、それが大きく所以している。
だがお咎めなしの理由が実害性を基準としていたら、今回救いはない。
なんせ異世界を滅ぼさんとする人間を転生させてしまったのだ。
まさかである。イレギュラーな存在など地球上に四十億人もいるというのに。
まさかその中からピンポイントで、異世界を滅ぼすとされる大外れを転生させてしまった。非現実的すぎる確率である。
何故よりによってと、一番にそう思いたいぐらいだった。
「うぅぅぅぅぅ……」
目を渋らせながら、セーナは苦悶に呻吟する。
今すぐにでも逃げ出したい。
ここ神界、一切の壁も行き止まりもない無限の地平。
どこまで走り続ければ彼方の深奥に辿り着くのだろう。普段では気の遠くなる想像も、今では苦味すらない。
それ以上に窮迫な出来事が起ころうとしているからか。
そしてその時は来たのだ。
絶対的な瞬間である。間違いなく負の方向に事態は進んでいる。
今回も前述の三人のミス程度に収まる範囲であれば、まだ未来はあった。
けれどもう言わずもがなだろう。
今まで通りの甘い裁量には絶対ならないはず。
「ハルワタートセーナよ。当今貴下の巷説、たまさか耳朶に触れるぞ。まあ大部分が甲斐性なしの怠惰なものであるが」
(え、え!? 来た!?)
声はする。だが姿は見えない。脳に直接語りかけてくるような、不思議な感覚。
もはや声という概念なのかすら怪しい。言えば音に近い。
男か女かも不明な中性さ、音の通り自体は鮮明で明らかなのだ。
けれど、どこか機械のよう単調で無情的だった。
トーンに強音符も弱音符もない。皆無なイントネーションから伺える感情は、喜怒哀楽すら不明瞭で何かが枯渇している。
その何かが分からないからこそ、不気味さが増した。
「まあ貴下も冗長な前置きは好まないだろうが、少々話に付き合ってもらいたい。織木一途という存在と、その脅威について」
ごくりと固唾を飲んだ。言葉は出なかった。
ただただ意識を現状に集中させる。一抹の神経でも逸らしたら、気絶しそうな重圧感。
声が聞こえてから、明らかに世界の外圧も内圧も変わり重みがました。
「織木一途という人間がなぜ脅威的なのか。その根本を話すことはできない。なのであくまでも、織木一途は絶対的な破壊者という前提で事を話そう。――まあきっと、誰もが一度こう思うはずだ。織木一途があの世界にとって脅威なら、殺してしまえばいいと。実際短絡的かつ外道的であるが、排除や処理、そういった面での善後策は殺しが手っ取り早い。とは言っても、善と言葉がつくにはあまりにも対極的すぎるやり方。加え正面突破で反知性的なやり方。そこについて言及されてしまったら、私は反論もできない。しかも第一に、神が人一人を殺すことはできない。それぐらいは知っているだろう」
「神は確か、その莫大すぎる力を一個人相手に行使してはいけない、でしたよね」
セーナは初めて喋った。震える声音。
絞り出すように出された声は、緊張以上の何かで塗装されていた。
けれどその声は、ちゃんと相手に伝わっていたらしい。彼は強く同意含んだ声で、セーナに肯定した。
一部分、つけ加える形で、
「そうだ。神は人を群れで殺すことはできても、人一人を殺すことはしちゃいけない。いや、できないと言った方が早い」
――神が人を殺してはいけない。その理由は決して道徳的な意味でも、ましてや倫理やモラルが因縁ずくな訳でもない。
まず結論から言えば神は人を殺せる。その前例もままある。
ただ神は人一人、一個人に対して力を行使できない。故に織木一途だけを殺すこともできない。
相手が悪い奴だから、犯罪者だから、一個人を殺そうとする前提に大きな理由があれど関係ない。
善悪を基準とした自己的感情論で動いてしまっても、それは許されないことなのだ。
なぜなら自己的な感情を持った時点で神失格だから、――とセーナは聞いたことがある。
「仮に人一人をピンポイントで殺したとしても、その時は道徳的観念から重い処罰が下るだろう。まあ今まで神の力を行使し、一個人ピンポイントで殺めた例は存在しないから詳細は言いかねる」
「……」
「おっと、本筋から脱線しかけたね、すまない。まあ早い話、織木一途、一人個人を殺すことはできない。仮に殺すとしても、織木一途だけではなくその他大勢が犠牲になるだろう。神の力を行使するということ。それは即ち、自然災害を誘発させるに直結する。地震、津波、火山や竜巻、果ては落雷豪雪。神の力とは言い換えれば自然災害的なものが大多数を占める。なので今回、我々は自然災害以外の力を使って織木一途を殺そうと思う。まあそうするにせよ月日を要し、数多もの犠牲が生まれるだろう。しかし仕方のないことだ。千の犠牲を払って万の命が救われるなら良し。払われる犠牲より多くの命が救えれば、道徳的な意味でオーケーなのだよ。無論そうすることによって運命の歯車は大きくずれる。我々は運命の道を歩んでいるのだ。織木一途を転生させた事実が生まれた時点、その運命から大きく外れた。織木の転生、そして織木の存在が与える影響。そう遠くはない未来にある織木の死。それらが良い風に変わるか悪い風に変わるか、今は分からない。だからこそそんな博打的な未来に賭けたくないが、そんな博打的な未来に賭けるしかない運命を君は創ってしまった」
何を言わんとして、何を言おうとしているのか大雑把に分かってしまう。
決断の時はくる。審判を言い渡される時は、今この瞬間――
セーナの予想している最悪な結末と、そして後刻に響く声の内容は完全に合致する。
「ハルワタートセーナ。君、神クビね」
まるで軽い物言いで、そう言われた。