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7.彼女の自白

「初めて話し掛けられたのは、一年生の終わり頃でした」


 新垣さんはそう言って話し始めた。彼女が話すのは勿論、堀氏との関係。自身が持つ動機がこれから明かされる。

 僕と彼女は、先程渡瀬君とそうしていたように真ん中の机を挟んで向かい合った。香田さんも迷いながら彼女の近くを選んで座る。自分の知らない事実かあると知っても香田さんの中での新垣さんの位置は変わらないのだ。寧ろそれを知ることによってもっと近くに居ようとする姿勢が見えた。

 渡瀬君は少し離れたところでこちらに背を向けて立っている。聞くことを拒絶するようだが、聞かなくてはならないとも自覚しているのだろう。何かに耐えるよう俯いて、握った拳を机に押し付けている。


「それまで一度もちゃんと話したことはありませんでした。部活の帰りに見かけて挨拶するくらいで。いつも部の誰かと一緒だったのでふたりになることもありませんでした。

 話し掛けられたのはたまたまひとりで帰ることになった日で、呼び止められて、来年からよろしくって言われたんです」


 それ自体はおかしくないことのように思えるが、彼女は二年に上がっても物理の授業を受ける予定はなく、堀氏の取得している資格を取るというのを考えてもいなかった。ふたりが接触することはそれまでと同じようにないに等しい筈なのに、堀氏はさも決められた何かがあるようにそう言ったのだ。

 彼女はそれに対し、よろしくお願いしますと答えたと言う。二年生に上がれば何か世話になることがあるのかもしれないし、そうでないとしても学年末の挨拶としてありがちなものだと思ったからだ。挨拶しか交わしたことのない相手なのだから反発する理由もなく、そう答えるのは最も自然な流れだろう。


「二年生になって声を掛けられることが本当に多くなりました。最初は挨拶だけだったのが、止まって話をするようになって」

「話というのは?」

「勉強の調子とか、部活のこととか。話と言っても聞かれることを答えるだけだったんですけど」


 その辺りは香田さんも知っているのだろう。特に表情が変わることはなく、時折軽く頷いている。

 教師との世間話。始まりは何気ないことだ、これがどう今回の事件と繋がっていくのだろうか。無意識に想像した経過を忘れるため、こめかみを強く押さえた。

 彼女はそのまま話を続ける。


「そうする内に頼み事をされるようになりました。荷物を運んだり、物理室の片付けを手伝ったり。

 どうして私に頼むのか不思議には思っていましたけど、先生から頼まれるのを断るのも悪い気がして頼まれるまま手伝っていました」

「いっつももえがひとりの時に言ってきてたよね? あたしが居たら速攻で断ってやるのにって思ってたもん」


 忌々しそうに眉に力が入るのを止められないらしい。既に終わっていることではあっても嫌悪感は拭えないのだ。

 頼み事をされる時はいつもふたりきりで、物理室か準備室に入ることが多かったと新垣さんは言った。それを彼女自身が不審に思うことはなかったが、話を聞いた渡瀬君は危ないんじゃないかと注意した。相手が教師といえど悪名高い男だということを彼は危惧していたからだ。しかし彼女に断る勇気はなく、同じような日々が続いたようだ。

 それが夏休みまでのことだと付け加えられた時、いよいよだと思った。その後他の誰も知らない何かが起こり、ふたりの間で何かが変わった。そのことは聞かなくても明らかで、僕はそっと深く息を吸った。


「それだけなら良かったんです。手伝わされるだけなら何とも思わなかった。だけど……」

「新垣、やっぱり」

「夏休みが半分過ぎたくらいだったと思います」

「新垣!」


 制止を無視して話そうとする彼女の名前を、彼が強く呼ぶ。逼迫した声で、地団駄を踏むように。僕から目を逸らさない彼女に向けて、濡れた声で言い募る。


「新垣こそ、何も悪くないんだから……もう忘れたらいいじゃないか。わざわざ思い出さなくたって」


 間に居る香田さんは彼の様子を驚きの表情で見つめている。見たことのない顔なのだろう、喚くように縋るように語り掛ける姿は確かに、理性的でドライな初めの印象とはかけ離れていた。目の下の泣きぼくろも今は本当の涙のように見えた。

 違うよ。彼女は少し俯いて呟いた。彼に視線を向けないのは意志が揺らぐのを恐れているからだろうか。小さな声が広い室内に響き渡った。


「忘れることなんてできないの。思い出そうとしなくてもこびり付いて離れない。

 私は自分勝手だよ、話すことで自分の荷物を軽くしようとしてるんだから。渡瀬君のためだなんて言って……本当は自分のためなんだよ」


 自虐的なその言葉が甚く胸の辺りを刺激する。沈黙は冷気となって温かい室内を巡回しているようだ。

 彼女にとって、また彼にとって、起きた出来事がどれほど重く苦しいものなのかは会話を聞けば分かる。忘れるべきことで、人に話すことでしか抱えた荷を減らせない。しかし話してもそれをゼロにはできないこと。――過った想像が現実になってしまいそうだ。

 誰も、言うべきことが見つからないでいる。このままではどうにもならないことは明白だった。誰かが動き出さなければずっとこのままのような気がする。ここにムードメーカーな彼が居たならどうだっただろう。彼もこの空気に呑まれてしまっただろうか。……まだ戻って来ない彼に託そうとするのはやめた方がいいだろう。

 話してもらえますかと言うと彼女は頷き、彼は崩れるようにしてストンと腰を下ろした。


「その日は美術部の数少ない活動日でした。午前中で終わって、皆と帰ろうと思って美術室を出たんですけど、忘れ物をしてしまってひとりで戻ることにしました。

 今度こそ帰るために物理室の前を過ぎたところで……腕を掴まれて引きずり込まれました」


 掴まれたところが痛むかのように右腕をぎゅっと押さえている。核心に近付いていくほど、彼女が壊れてしまわないかと心配になる。それでも彼女の瞳はじっと前を捉えていて、ぶれない芯の強さを物語っていた。


「そこが準備室だと気付いた時にはもう、後ろから抱き締められていました。その手がぞっとするくらい冷たくて。驚いて、訳が分からなくて声を出すこともできなかった私に、そのまま黙っているようにと言って……」


 机に押し倒されました、と硬い声で話してくれた。やはり、と思ってしまうのはそんなニュースが多すぎるからだ。堀氏の素行を聞いた時から、そんな風に標的にされている子が居なければいいがと考えていた。案の定、人としても最低だと評されるだけのことをその人はやってきたのだ。

 事実を知った香田さんが、怒りに震えながら机に思いきり拳を叩きつける。


「何なの、それ……あいつ、ふざけんなっ!!」

「待って、楓ちゃん。何もされてないの。少し触られたけど、渡瀬君が助けてくれたから」

「……渡瀬が?」


 振り返った先にいる彼も決して誇らしげではなく、寧ろ忌々しさをその顔に貼り付けていた。その日のことを思い出しているのだろう。彼が終始一貫して堀氏への嫌悪感を露わにしていたのは、本人が語った以上の明確な出来事があったからだ。好きな人のこんな場面に出くわしたなら、殺意を覚えても仕方がないだろう。――しかし今自白しているのは、新垣さんだ。

 彼はわしゃりと前髪を掻き上げると、乱したまま話し出す。


「たまたま図書室に居たんだ。司書の大森先生と本の整理を手伝うって約束してたから。

 図書室の窓から別棟の廊下はどこも見える。新垣が降りていくのを見つけて何気なく見てたら、一階で突然見えなくなって」


 あいつだと思った。その声は重く室内を湿らせた。


「いつかこんなことがあるかもしれないって考えてたから、身体はすぐに動いた。

 ……止められたのは奇跡だと思ったよ」


 安堵の息をここで吐く。偶然渦中に飛び込んだ彼としても、それを過去のことと片付けてしまうにはあまりにも痛烈で。もし自分が見つけていなければどうなっていたかなんて分からない筈がなかった。嫉妬、という言葉では表しきれない感情が彼の中で蠢いているのを感じた。

 堀氏を力づくで押しやって彼女を奪い返した彼だったが、相手は一切怯まなかったらしい。それどころか笑みまで湛えて、「言いつけられるならやってみろ、その代わり未来はないぞ」と脅してきたのだと言う。

 不利な場面を見られても自信ありげに語れるほど、堀氏は自分の立場を確実に構築していたということなのだろう。大人というのは歳を重ね経験を積む毎に、自分が見たものしか信じなくなる。生徒達が必死で訴えたとしてもそれを本気で取り合ってくれる人がどれだけ居るだろうか。堀氏もそんな周囲の鈍った目を上手く誤魔化して、疑われない死角に入り込んでいたんだ。


「それからずっと渡瀬君が守ってくれていたんです。ひとりきりにならないようにいつも気を配ってくれて」


 望月君が話していた、彼が変わったというのはこのためだった。彼女を同じ目に遭わせないためには、堀氏に近付かれないよう気を張っていなくてはいけなかった筈だ。それに加えて彼女は学年問わず想いを寄せられていたのだから、“ナイト”は気が気じゃなかっただろう。近付くのが男と見れば警戒心剥き出しで追い払っていたというのは、教室で会った時の彼を振り返れば簡単に想像できた。

 彼等の間で居心地悪そうに香田さんが肩を窄めている。切なげな瞳を新垣さんに向けると、そっと呟く。


「言ってくれたら良かったのに……」

「うん、そうやってすごく心配かけちゃうと思ったからどうしても言えなかったの。ごめんね。

 ……でもそのせいで、渡瀬君を縛り付けることになってしまったけど」

「縛られてるなんて思ってない」


 ぶっきらぼうではあったけれど、彼女への想いをひしと感じた。それはきっと彼女も同じで、何も返しはしないもののただそっと微笑んでいた。



 彼女の動機の面はよく分かった。しかし彼女に犯行が可能だったのか、それを探らなければならない。奇妙なことに自分が犯人だと名乗る人がふたりも居るのだ。どうしてそんな事態になっているのか、彼女の話を聞いて判断する必要があるだろう。

 何故今日というタイミングを選んだのかと聞くと、彼女はこう答えた。


「今日になったのはたまたまです。体操服を持って帰ろうと思ったのが今日だったから」

「じゃあ、体操服を盗まれたのが?」


 渡瀬君にしても新垣さんにしても、計画性があった訳ではなく突発的な犯行という供述だ。どちらにとっても彼女の体操服が盗まれたことが大きな要因となっている。逆を考えると盗まれなかったならこの事件は起きなかったのかもしれない。

 しかし彼女は、いいえと首を振る。そして続けて、盗まれていませんと言う。準備室にあったことは確かで全員でそれを確認したのに、盗まれていない?


「体操服を準備室に置いたのは、私なんです」



 明かされた事実をすぐに信じることはできなかった。誰が思っただろう、彼女の虚言だったなんて。

 だけど思う、僕はまた騙されたのかと。彼女がしたことは雪さんが結婚を免れるために指輪を隠したのと、どこか似ていた。自分を捕らえようとする相手から身を守るための手段。状況を知っていれば気付けたかもしれないが、今更そんなことを考えても意味がない。

 香田さんはそんな彼女の行動が理解できなかった。


「どうして……?」

「盗まれたってことにして本当に先生の持ち物から見つかれば、学校から追い出せると思ったの」


 重ねて隠していたことの後ろめたさと、またも知らない友に出会った衝撃が、ふたりの間でぶつかり合う。先に視線を外したのは新垣さんで、僕の方を向くとぶれない声で続けた。


「解放されたかったし、渡瀬君を解放してあげたかったんです。それにはこうするしか思い浮かばなかった。

 ……結局もっと大きなことをしてしまいましたけど」


 ――解放のための死。それはいつかも僕の前に掲げられたものだった。

 人はどれほど強く結ばれてしまうのだろう。関係が希薄な世の中で、良くも悪くもその関係にがんじがらめになって、罪を犯してしまう人達。他の逃げ場は、本当になかったのだろうか。もっと違う方法で安らぎを得られることは、絶対になかったのだろうか。

 そんなことを考えてしまう、無責任だと言われたとしても。


「楓ちゃんが探偵さんを見つけた時、事が大きくなりそうで止めたかったけど不自然に思われそうでできませんでした。

 それに外部の人に見つけてもらった方が信じてもらえるかもと思って、そのまま実行しました」


 個人的なことだからと香田さんを引き離そうとしていたこと、何か言いたげに僕を見てきたこと。その意味がようやく分かった。

 彼女はこの計画をひとりで立てた、堀氏とのことを知っている渡瀬君にも言わず。だから彼女は彼から問われた時にその視線から逃れるように俯いていたのだろう。相談しなかったことを責められるような気がしても不思議ではない。


「実行、ということはもしかして僕が来た時点ではまだ手元にあった?」


 言葉に引っかかりを覚えて半信半疑で聞けば、トイレに隠していたのだと言う。すぐに探してみようと思わない場所を考えたらそこしか浮かばなかったと。

 そこで別棟へと向かう途中でお手洗いにと離れたことを思い出す。つまりあの時、彼女は皆と離れている間に物理準備室に体操服を隠して、頃合いを見て堀氏の元で見つけさせて騒ぎにしようと考えていたということだ。そこに彼等と初対面で探し物探偵である僕が居るなら信憑性は高まるだろう。僕は恰好の証言者だった訳だ。

 その後の彼女の行動は大体予想できる。この自白の信頼性を測るためにも彼女の言葉を聞かなくてはならない。


「順番にはなしてもらえるかい?」

「はい。……お手洗いに行くと言って別れた後、トイレに体操服を取りに行きました。誰も居ないのを確認してそのまま物理準備室に。その時は楓ちゃんと望月君の声が聞こえていたので、階段を上がっている頃だったと思います」


 訪ねると都合良く堀氏が居なかったため体操服を置いて出ようとしたところで、物理室と繋がるドアから入って来たその人と鉢合わせになったと言う。


「私が自分から先生のところに行くことはなかったので、会いに来たと勘違いされてしまって。抱き着かれたのが怖くて、近くにあるものを掴んで振ったら、あんなことに……」


 その衝撃はフラシュバックを起こして彼女を襲ったのかもしれない。無我夢中で振るったものが凶器になるとは思わなかっただろう。極限に追い込まれた精神状態では何が起こっても仕方ないと言えるのかもしれない。――彼女の供述を信じるならばだが。

 彼女は思いの外落ち着いた表情でこう締め括った。


「殺す気はなかった、とは言いません。殺意に近いものはずっと抱えていたので。

 ……渡瀬君じゃありません。私が先生を殺したんです」


 

 

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