プロローグ
当作品は、男性キャラが比較的多め&話が進んで行くごとに同性愛をほのめかす表現やシーンが入ります。
苦手な方はご注意くださいませ。
「十楽様! お逃げください……!」
大きな獣が唸りをあげているかのような爆発音の中、傷だらけの男が駆け寄ってくる。
窓の外を見れば、屋敷全体が炎に包まれているようだった。
僕の元へ駆け寄ってきた男は櫻庭。小さな頃から面倒を見てくれていた世話係のような老人だ。いつも綺麗に整えられていた漆黒の燕尾服も今では埃や傷で汚れ、落ち着いた雰囲気も跡形もない。幼い僕にでも、それだけで今の現状がどれほど過酷なものなのかを悟らせるには十分過ぎるほどだった。
「逃げるといったって、どうやって?ここは何処なんですか櫻庭」
眠る直前まで、僕は自身の屋敷の寝室にいたはずだった。だけど、起きて見ればどうだ。住み慣れた館は熱い炎に巻かれ僕さえ今にも焼き消えてしまいそうだ。
「ここは、あなたの……桃之塚家の屋敷にございます。ですがそれももう直……」
櫻庭の表情が苦々しく歪んでいる。 そうか、もうここはダメなんだな。
「櫻庭、僕はこれからどうしたらいいのですか?お前はそのために来たのでしょう」
小さく震える櫻庭の大きくゴツゴツとした手にそっと触れる。僕は昔からこの手が好きだった、憧れた。きっとこの震えは、悔しさからなんだろう。櫻庭の忠誠心の深さは一族の誰もが頷くほどのものだった。
「私が手を回しておきました。急ごしらえではありますが、屋敷を抜ければ家の者が数名待機しております。十楽様はその者達と」
違和感を覚える。まるで、自分は行かないとでも言うような話し方だ。
「待て。櫻庭……お前はどうするんだ。まさか」
「私には私の、やらなくてはならないことがまだございます故。せめて、あなたの秘密だけは守らなくては……それが、我ら櫻庭家の使命ですから」
「僕の、秘密……?」
再び、大きな爆発音と共に屋敷が揺れるのを感じる。それと同時に櫻庭は僕を軽々と抱き上げ部屋を飛び出した。
「さあ、時間はもうございません!いそぎましょう!」
荒れ果てた廊下を駆け抜ける櫻庭を見上げる。息は荒く、よく見ればあちこちから出血している。もう、どうしようもないのか。
「……ひとつだけ聞かせてください」
「なんでございましょうか?」
息を飲む音が自分でも確認できる。僕は、出来るだけこの騒音の中でも櫻庭に聞こえるようにはっきりと伝えた。
「……母と父は無事ですか?」
しかし、その問いに櫻庭は言葉を詰める。つまりはそういうことなのだろう。
そして、ある扉の前までたどり着くと櫻庭は床を蹴る足を止めた。
「申し訳ございません……!私は……私が、この屋敷におりながら……!」
見ているこっちが胸を痛めそうな程、櫻庭は酷い顔だ。
「なんて顔をしているんですか。まだ、やることがあるんでしょう」
軽く背中を叩くと、櫻庭は僕を見つめた後まだ少し表情を歪めたまま小さく微笑んだ。
「ーー孫が、ひどく落ち込んでおります。あなたを守れない、なにもできなかったと」
「あいつが…?」
櫻庭は僕を床に降ろすと、視線を合わせるように腰を下ろしてかがむと僕の頭を数回撫でる。
「どうか、あの馬鹿を安心させてやってください」
「そこにお前はいないんですね」
やはり櫻庭は答えない。この櫻庭の優しさを、忠誠を無下にする権利は僕にはなかった。
「約束だ。必ず僕は生きてあいつの元に行く。そして【この血】を絶やさないこと、約束しよう」
返事を聞く前に僕は踵を返し目の前にある扉を開いては、勢いよく飛び出した。
最後に見せる顔が泣き顔だなんて、示しがつかないな。
「ーーありがとう、ございます。どうか、ご無事で…」