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エリュシオン  作者: 雨夜 紅葉
革命家の愚かなる野望思想
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忘却と軌跡の海

目を覚ますと、見慣れない景色が広がっていた。


「ん、」


太い(はり)が何本も渡された木造の天井に、薄れていた一週間前の記憶が蘇ってくる。正確には、孤児院でセラちゃんと話して、彼女が革命家なんだと教えて貰った後のこと。


「いい加減慣れなきゃな。」


結果的にいえば、日暮れまでに宿へ着くことは出来た。もちろん、セラちゃんにああして案内して貰った上で。僕一人じゃ絶対辿り着けないからね。古いのにキレイな、『ウェスト』と『ノーズ』の丁度境目辺りにある安い宿を紹介して貰った。金がない訳じゃないんだけれど、寝泊まりするだけの宿に高い金額払う必要も無いからなぁ。


という訳でここに寝床を決めてから、もう今日で7日目になる。色々あったけれど、まぁなんとか無事に生き残っているので詳しい話はまた後にしよう。とりあえず、今は。


「腹減った……」


のろのろと布団から這い出た途端、虚しい音を立てて空腹を主張する体にため息を漏らす。そうだ、昨日は夕飯食べれなかったんだ。その証拠に体が食料を物凄く欲している。とにかく朝ごはんにしよう。出来れば米がいい。


とはいえ料理なんて全く作れないから、外に食べに行かないと。


「じゃあ行って来るか」


即決即断。思い立ったら行動あるのみだと、座椅子に掛けてあったコートを羽織る。確かセラちゃんが、近くに定食屋があるって言ってたし、そこに行こう。


「ーーーー行ってきます」


僕は誰もいない部屋にそう囁いて、後ろ手に引き戸を閉めた。



同日【昼】歓楽街『ウェスト』


「なぁ聞いたか?通り魔の噂」

「聞いた聞いた。見世物小屋襲撃して皆殺しにしたんだろ?」

「物騒になったよな、この辺も」


「はい、焼き魚定食1人前ー」


人当たりの良いおばちゃんから定食のトレイを受け取って、空いているテーブルに着く。ぱきん、と割り箸を割って、早速一口。


「あ、美味しい」


見たことの無い妙な形の魚だけど、意外と美味しかった。うん、新発見。なんて思いつつ、今度は味噌汁の味に若干の感動を覚える。不思議と落ち着く味だ。いい意味で普通、というか。それから念願の米に海苔、おまけに千枚漬けが付いて玖百捌十円(きゅうひゃくはちじゅうえん)。珍味佳肴とはこのことだ。


まぁ、目的はもう一つあるんだけれど。


料理に舌鼓を打ちながら僕はこっそり聞き耳を立てる。そう、こういう場所では深い情報が手に入れやすいんだ。定食屋で存分に警戒する奴はいないもんな。べ、別に美味しすぎて忘れかけてなんかいなかった。うん。……まぁ、ちゃんと思い出したからいいんだよ。


「ところでよぉ、【killing(キリング),doll(ドール)】は何してんだ?最近めっきり話聞かなくなったが」

「さぁなー。あのアマが死ぬわけねぇから、またどっかでろくでもねぇ商売してんだろ」


僕の背後で麦茶を片手に語り混んでいる中年の男二人に意識を集中させる。とはいえ彼らに気付かれたら元も子もないから、あくまで『さりげなく』。


「にしても、【killing,doll】って」


はてさて誰のことだろうか。

名前的にもの凄く物騒なイメージだが、昨日セラちゃんはそんな人物について口にしていなかった。単に忘れていたのか、あえて言わなかったのか。それともーーーー彼女自身が、殺人人形で。


「いや、それはないな。」


思わず自問自答。

だってあんなトロそうな子が有名な悪人とか、かなり無理のある推測だ。自分で言っといて何だけども。可能性があるとすれば前者の二つか、『サクヤ』って(ひと)のどれかだ。今度調べてみようかな。どうせ一回は『サーズ』へ行かなきゃならないんだし、その時にでも。


それからも一応彼らの会話に耳を傾け続けたが、浮気がどうの仕事がどうのという話題ばかりで【killing,doll】以外の有益な情報は得られないまま、僕は定食屋を出た。


昼前の歓楽街は、思いのほか静かだった。提灯も灯籠も火を消されて、目に見えた華々しさがまるでなくなっている。あれだけしつこかった店の呼び込みも皆息を潜めていて、街全体が夜が来るのを待っているように感じた。


「『ウェスト』……か」


僕が昨日行ったのは『イェスト』だったから、『ウェスト』に来るのはこれが始めてになる。なのに歓楽街独特の雰囲気というか、皆で何かを隠してる感が凄い。あまり居心地がいいとは言えない街だ。


「だからこそ、遊び場にはいいのかもな」


わかりやすい結論。それに少しだけ満足して、僕は踵を返す。誰もいない歓楽街を散策したって意味がないし暗黒街に行くつもりも毛頭ないから、どうせ行くなら東か北だろう、という判断だ。


「何か見つかるといいんだけど」


僕にしか聞こえなかった自分の声が、澄み切った青い空に消えて行く。それをしばらく眺めてから、僕はまた歩き出した。



実を言うと、僕がこの理想郷に来たことに大した理由はない。否、あったのかもしれないけれど覚えていない。

『記憶』

僕には、それが欠如しているから。

家族も故郷も、自分の名前さえわからないんだ。きっと目の前にそう提示されても、実感は湧かないんだろうと思う。綺麗に抜け落ちた意識の断片。ただ、そんな中で覚えていたのが


「8つの罪を壊せ」


って言葉と、手を差し伸べてくれていた誰かがいたことだった。言葉の意味はわからない。その『誰か』が言ったのか、違う人が言った言葉なのか、もわからない。わからないことだらけで確証も無い、雲を探すような無謀さは自覚しているんだけど、だからって諦める訳にはいかなかったんだ。僕に残っているのは、その二つしかない。「大罪を壊せ」の意味と『誰か』の正体。それを探すために、僕はこの国まで来た。ーーいつの間にか失った、記憶の鍵として。


「さて、じゃあ行きますか」


そう言って無理やり思考を断ち切ると、僕は大きく息を吐いた。欲望と快楽に染まった空気が一気に肺を出て行って、ちょっとだけ楽になったような気がする。


これからしなくちゃならないことは、もう分かり切ってる。知らないものばかりで埋め尽くされた僕の脳を、精一杯動かして。


思い出さないと。今は忘れた記憶の全てを。そして、僕が誰なのかを。


すると不意に、頬を撫でた柔らかい風が歓楽街を駆け抜けて行った。建物の隙間を縫って空へ舞い上がり、静寂と空虚が空間を支配する。思わずその様子をぼうっと見送ってしまい、やがてゆっくりと視線を戻したーーーー

そんな時。


見覚えのある細い手が、弱々しく僕のコートの裾を引いた。


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