ひとりとひとり。【赤い少女と白い少年】
大人になって
灰になって
そしたら嫌なことも苦しいことも
君を好きだったことも
全部忘れるんだって。
忘れられるんだって。
「ねぇ、ここで何してるの?」
真っ赤な部屋の、真ん中。夥しい死体の群れ。そこに立ち尽くしてた、一人の少年。
私は知っていた。この部屋が元は白かったことも、死体の正体がほとんど科学者であることも、そうしたのが彼の中の『彼』であることも。
ぱしゃん。
少年は、一つだけ死体を抱いていた。それは他のと違ってとっても綺麗で、眠るように死んでいる少女の亡骸だった。彼女は涙の跡を残しながらも微笑んでいて、まるでこれから恋人にでも会いに行くみたいに、幸せそうな表情をしている。
だけど、そんな彼女を見下ろす少年に表情はない。
その光景は少しだけ、異常で。
不自然だと、思って。
「大事な人、だったの?」
ぱしゃん。
と、床に広がった血を跳ね上げながら近づいて、くだらない質問をする私を一瞥もせずに、彼は「わからない」と言った。掠れた小さな声で、はっきりと。
『僕』じゃない誰かが、この子のことが好きだったんだ。
でも僕は、この子が誰なのかわからないから。
だから、よくわからない。悲しいのかもしれないし、寂しいのかもしれないし。もしかしたら全然、そんなこと無いのかもしれない。
淡々とした口調でそう説明した彼は、先ほどまで強く抱きしめていた少女を、突然手離した。あまりにも軽々しく、ぱっ、と。
ぱしゃ、ん。
少女はすぐさま血の海に沈み、あれだけ綺麗だった姿が嘘のように汚れていく。雪に似た白い肌も、純粋な涙も、私とは違った赤色の髪も。
「ああ、そうだ。君は誰?」
そうして血に塗れた彼女をしばらく見下ろし、それから彼は初めてこちらを振り返った。沈黙し切った蒼い目が、無関心を露わにしながら私を見る。
その視線に急かされるように、慌てて口を開いて。
「私はーーーー、」
気がついた。
私には、名乗る名前が無いことに。
「?」
一応の名称としては、『ルシフェル』が正しいのだろう。あの子の片割れである以上は。でも、私は本来は『ルシフェル』ではないのだ。だってそれは、あの子の名前で。
普段なら気にしないような、些細な事だった。だけど何故か、彼にだけはその名前で呼ばれたくなくて。
だから私は、咄嗟に嘘を吐く。
「『セラフィム』」
今思えば、所謂一目惚れというやつだったのかもしれない。とはいえ、この名を名乗ったのは失敗だと言わざるを得ないだろう。
『セラフィム』。六つの羽を持つ、天使の呼称。ルシフェルが、一時期だけ使っていた名前。
彼女が捨てた名を私が使うなんて、どういう因果なのか。
ああ、だけれど。
「そう。綺麗な名前だね。」
彼がそう笑ってくれただけで、なんだっていいやと思ってしまう私は。
「ーーありがとう。」
想像以上に手遅れで、末期だったのだ。
「じゃあ、君の名前も教えてよ。」
「ん。僕は……ーー」
記憶の中の少年が、ゆるりと口を開く。
「ーーーーだよ。」
結局、彼の名を私が呼べたのは今までで一度切り。それも、記憶を消して「さよなら」を告げた時だけだった。
きっと私は、後悔しているのだろう。
こんな結末しか選べなかったこと。それから、彼を傷つけたことを。
ずっと言えなかった感情は、今も胸に渦巻いているのに。最後の最後まで、言葉には出来なかった。悔しいと思うし、苦しいとも思う。でも、もう遅いらしい。何も伝えられないまま、この物語は終わってしまうんだって。
運命とやらに、従って。
だったらせめて、せめて。
彼の手で殺されたいと、望むのくらいは許して欲しい。
神様でも悪魔でも、なんだっていいからさ。
ーーなんて、少し我儘かなぁ。
そう、思ってた。
ずっとずっとそう思ってた。
ずっとずっとずっとずっとずっとずっとそう、思ってきた。
だけど、今になって気づいたんだ。
あの悲しそうな笑顔を見て。泣きそうなのに、それでも笑っていた姿を見て。
ーーこんなの、認めちゃあ駄目なんだって。
私はまだ、何も失ってなんかいない。立ち上がるための足も、誰かと繋ぐための手も、考え続けるための脳も、理想を叫ぶための喉も。
まだ、ちゃんとここにある。
だったら私は、生きていける。『人間』のままで。
だけど足りない。
それじゃあ今までとおんなじだ。
私は『革命家』。
世界で最も誇り高いカミサマが、自分の半分を切り離して生み出した『変革する者』。
人間でも化け物でも、不十分だ。
必要なのは感情。執念。
勇気と意思。
何故ならここは理想郷。
欲望と、快楽の国。
目には目を。歯には歯を。
理想には理想を以って、正義には正義を以ってーーーー偽善には、偽善を以って相対しよう。
私は『革命家』。
『偽物』に恋した、『偽物』。
「私の名前は、セラフィム。今の名前は『セラ』。」
もしも世界が、貴方の存在を許さないというのなら。
全部全部蹴散らして、認めさせてあげましょう。
例え相手が、運命だろうと現実だろうと構わない。
「ーー……この名にかけて、今度は私が約束するよ。」
もう、迷わないからね。
だから、待っていて。
そんなの嘘だよ。
わかってるよ。
だから、




