表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
エリュシオン  作者: 雨夜 紅葉
さよならユートピア
62/67

ぼくがすきなきみのはなし【夕暮れ】

君が僕をどう思っているかは、大きな問題じゃないんだ。問題は、僕の気持ちが本物かどうか。

それだけなんだ。

「貴方なんか大嫌いです。」


そう言われて、息苦しさにもがきながら見下ろした彼女はーー泣いていた。

いや、涙が零れていたとか声が震えていたとか、そんなことは全く無かったけれど。

ただその赤い目が、「痛い」「痛い」と叫んでいるように見えて。

思わず口を開くけれど、どうしても喉が動いてくれない。


「っ……。う、」


別に、このまま死ぬことは嫌じゃない。どうせすぐ死ぬんだから、とも思う。僕が殺されることで彼女が幸せになるのなら、それが一番良いと。

でも、今死ぬことだけはしたくなかった。矛盾するようだけれど、彼女の『ため』ならまだしも彼女の『せい』で死にたくはない。何より僕は、まだ何も伝えられていない。

だから必死に彼女の手を掴んで、引き離そうとしてみた。それが彼女には『拒絶』に見えたみたいで、薄い笑みを浮かべられてしまう。

ああ、だから違うんだって。上手くいかないな、まったく。


「わかってたでしょう?こうなるんだって。私と貴方じゃ、ハッピーエンドなんか作れないんですよ、」


ーーこんな時、もし本当の『僕』ならどうしたのだろう。目の前で泣いている女の子に、何をするんだろうか。

僕じゃ思いもよらない方法で、全部纏めて救っていくのかもしれない。世界も、この子も、自分も。きっと『彼』ならそれが出来る。何故なら、『彼』は正義だから。対して僕は正義じゃない。普通の人間だし、全部なんて当たり前に不可能だ。

だから、そうだな。

精一杯出来る限りのことをしようか。


「私は、もう、戻れないから。もう、遅いの。駄目なの。ねぇ、」


「お願いだから、殺して下さいよ!」


すると。

言い終わるのと同時に、両手が首を離れて。一息つく間もなく、今度は壁まで蹴り飛ばされる。あの細い体からは、想像もできない力だった。そりゃ僕だってガタイの良い方ではないが、にしたって男一人を吹っ飛ばしたのだから、どこにここまでの力があったのか本気で疑問である。【憤怒】の影響であるとは、思うけれど。

とか、どうでもいいことを考えつつ衝撃に備えて目を瞑り。すぐにだぁん、という強い音が痛みと共に響いたけれど、それが壁に衝突したからだと理解したのは、数十秒後のことだった。

ぎし、っと頸椎の軋む音がする。続いて、狂った様に跳ねる心臓の音。どうやら割と強めに背中を打ったらしい。そりゃそうか。


「ずっと、後悔してました。『どうして貴方の事を忘れられなかったのか』って。」


顔を上げるのも辛くて、でもセラちゃんの本当の気持ちを知りたいから無理やり体を動かした。ずきずきと鈍い痛みを訴えてくる背骨とかは、とりあえず無視。別に耐えられないレベルじゃないし、そんなことを考慮している余裕もない。

床に手をつき、声を頼りに彼女を見上げる。するとその赤い目は、不安定にぐらぐらと揺れていた。

とてもじゃないけど、人なんか殺せそうにない位に。


「自業自得なのも、しょうがないってこともわかっていましたけれど。だからって……だからって、いつまでも我慢出来るわけじゃないんですよ。ずっとずっと痛かったし苦しかった。貴方に、『セラちゃん』って呼ばれる度にーーーー。」


絞り出すような、声。

これこそが彼女の本音で、彼女が隠し通してきた痛みであることは、誰の目から見ても明らかで。

彼女は問う。誰に対してでもなく、子供のように。


「忘れちゃえば良かったんですかねっ?貴方にそうしたみたいに、私から貴方の存在全部を消しちゃって。声も、名前も、最後にした約束だって無かったことに出来ていたら、」


最後の、約束。

そういえば本当の『僕』と赤い少女が、そんなことしていたなぁと思い出す。


《泣きそうな少女と、笑わない僕と》


ーー……否。

違う。そうだあれは、違う。

『僕』の最期の瞬間、確かに少女は泣いていたけれど。でも、『僕』は『笑っていた』。だって、好きな子のために死ねるのだから。あんなに想われながら死んだんだから。笑っていなかった訳が無い。だからこれは、あの約束は『僕』の記憶ではない。

偽物である僕の、記憶だ。

では、僕は、誰と。

あの時の少女は、赤い少女?

いやそれも違う。あの時にはもう、赤い少女は眠っていて。

待て、なんで僕はそれを知っている?

思い出せ。思い出せ。思い出せ。

もしかしたら、もしかしたらだけれど。

僕はーーーー


「なんて。もう、遅いんですけれど。苦しくても悲しくても寂しくても惨めでも無様でもみっともなくても虚しくても、私は貴方が好きだった。どんなになったって、大好きだった。」


ぐ、っと縋り付くように胸ぐらを掴まれて、飛びかけていた思考が再び戻ってくる。どうやら僕にはまだ、知らないことが山ほど残っているらしい。

とはいえそれを追求している時間は無いだろう。タイムリミットは近いのだ。ならばせめて、後悔はしても悔いは残らないようにしたいと思う。

すでに答えは決まっていた。だから今考えるのは、彼女のことだけでいい。

自問自答の末の自己完結。

この気持ちの真偽なんて、確かめる価値もないだろう?どうせすることは、同じなんだから。そう、結局は何があったって変わらない。僕は、彼女を救うためにここへ来たのだ。


「ねぇ、どうすればいいんですか?どうしたら私はーーーー貴方のことを、嫌いになれますか?」


僕のせいでこんなに傷付いてしまっても、化け物に取り憑かれるぐらい好きでいてくれた彼女を。最後の最後で、解放してあげるために。


「『セラ』」


その瞬間、彼女の肩がピクリと跳ねる。ああそっか、ちゃん付け以外で呼んだのはこれが『初めて』だったなぁ。なのにどこか懐かしくて、不思議としっくりくる感じが少し照れ臭い。もしかしたら、昔そんな風に呼んでいたのかもそれないなぁ。なんて考えて、すぐに止めた。何にせよ言ってしまったものに、理由を付けたってしょうがない。


しょうがないから、そのまま彼女を抱きしめることにした。


「へ、?」


先ほどまでの緊迫感が、一気に霧散する。あー、うん。ちょっと空気読まなかった自覚はあるよ。でも、こっちの方が手っ取り早いし。間違いなく、言葉にできそうだから。


「な、にを。」


ああ、混乱しているのだろうか。彼女は、殺すか殺されるかしか頭に無かったようだから。そう思うとなんだか少し面白くて、数々の手荒い愛情表現により酸欠気味になった頭で笑う。それから彼女の肩口に顔をうずめ、何も見なくていいように目を閉じる。

僕は、『偽物』だ。全部救うとか、身の程知らずもいいとこで。だから。


だから、せめて大事な人ぐらいは守りたいと思う。それが多分、一番僕らしい答えで。


「ごめんね。」


吐き出すようにつらつらと、言葉を重ねていく。疑う余地もない、僕だけの言葉を。


「本当は、もっとちゃんと助けてあげられるつもりだったし。もっとちゃんと、伝えるつもりだったんだけど。」


「ーー思ってたより、時間も余裕もないみたいでさ。」


「こんな最後にしか出来なくて、ごめん。」


抱きしめた腕に力を込めて、ギリギリのところで意識を繋ぎとめる。

この後に及んでも、未練も後悔も嫌になるほど残ってて。やっぱり死にたくない、とは思う。

でも不思議と、恐怖は無い気がしていた。


チクタク、チクタクと。

タイムリミットの迫る音がする。

同時に浮かぶのは、いつか見た少女の涙。

夕焼け空みたいに赤い目が、透明な雫に濡れて。訳も分からず首を傾げる僕の手を、両手で握って。

彼女は言う。


《大好きだよ。》


《愛せないけど、大好きだった。》


だから僕も、まるで何かをやり直すみたいに口を開いた。


《大丈夫。》

「大丈夫。」


《きっといつか、》

「きっといつかまた会えるから。」


「《そうしたら、今度こそ。》」


ゆっくりと見開かれる赤い両目。それに僕は笑顔を返して、そして。


「……この手を離さないと約束するよ。」


“だから今は、さよならをしよう。”

そう呟き、彼女の肩を軽く押した。


必然的に腕の中の温もりが離れていって。同時に、背後から誰かに追い抜かれるような感覚がした。

思わず振り返った先。そこにあったのは、ひたすらに真っ暗な世界で。

見覚えはないけれどどこか懐かしい、その(いばしょ)が僕を呑み込んでいく。

これでいいのだと思った。これでいいということにした。だから、目一杯の意地を張って。


「なかなか、楽しかったよ。」


僕は笑う。ありがとう、と。


「ーーーーさよなら。」


酷くありふれた、定型文(テンプレート)みたいな挨拶。

それが僕の、最期の言葉になった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ