黒と白の境界線。【朝】
僕の中の、不必要なものを除外していったら、
ぱちり。ぱちり、と。
雨粒が窓ガラスを叩く音で、目が覚めた。どうやら、一晩の間に雪は雨へと変わっていたらしい。
そういえば、いつの間にかバスが停車している。いつからだろうか?まさか乗り過ごしてはいない、と信じたいが。
そんなことを思い、僕は電光版を見上げたけれど、行き先なんてなに一つ表示されていなかった。その代わりに、ここまでの乗車代として玖百玖十円が提示されている。
思わず財布を確認。いやいや、流石にバス代くらいは有るって。ただほら、急に家を出てきたから心配になっただけで。
ちなみに、現在の全財産は伍千円だった。少し迷ってから、千円札を壱枚料金箱へ放り込む。もうお釣りは必要無かったのだ。急いでいるっていうのも、勿論あるけれど。
ステップを駆け下りて、側にあった看板を見上げる。そこには、「シュバルツ・オブ・ヴァイス教会前」と。雨風に晒され、掠れた文字で記されていた。
ぎい。と鈍い音を立てて、参メートルぐらいある大きな門を開く。真っ黒に塗りつぶされたそれには、ところどころ赤い錆が浮いていた。よく見ると格子が折れている部分もある。大丈夫かここ。仮にも教会なのに。
「神様がいるなら祟られそうだけどなぁ。」
なんとなく言ってみる。
返事はなかった。
荒れ放題になっている道を踏みしめながらさらに先へ。歩くたびに、水たまりがばしゃりと跳ね上がった。先ほどから降り続く雨が、積もっていた雪を一気に溶かしているらしい。
足元も天候も正直最適とは言えないが、まぁそれも僕には丁度良いだろう。とか、そんなことを思いながら。
夥しい数の鳥居の下をくぐり、石段をひたすら登って、最奥を目指す。
そういえば。何も考えずにここまで来たけれど、彼女に会ったら何と言えばいいのだろう?おはよう、とか久しぶり、とか当たり障りの無い事から始めたとして、その後は?まず彼女とルーの喧嘩の内容を知らないし、例え知っていたとしても、彼女が待っているのは僕じゃないのだ。好かれているのは本物の『僕』で。だからせめて、本物っぽいことを言うべきで。
「さて、これで本当に最後だ。」
だけど。それでも会いたいと思ったのは今の『僕』で。
じゃあ、僕が彼女に伝えたいことを言えばいいのか。複雑に絡み合ってこんがらがった事情は、ひとまず全部置いておいて。僕なりの言葉で、素直に。
「ーー精々、みっともなく足掻いてみようか。」
鳥居の森を抜けた先にあったのは、古ぼけた教会だった。屋根の真下に嵌め込まれた、金の逆さ十字。向き合うように置かれた、素足で踊る天使の像。元は白かったであろう壁は少し黒ずんでいて、ところどころ割れている窓もある。お世辞にも、綺麗とは言い難い見た目だ。
何年前に建てられたものなのか、そもそも何の神様を信仰しているのか、その辺はわからない。
だが、圧倒的な存在感というか、見ているだけで息苦しくなるような神聖さは感じている。
『シュバルツ・オブ・ヴァイス教会』。
黒と白。
夜と昼。
「まずは、謝らないとなぁ。」
騙していて、嘘を吐いていて、ごめん。
それから先は、考えないでおこう。言葉を選べば選ぶだけ、今の『僕』の気持ちとは遠ざかってしまいそうだから。
扉の取っ手を握りしめて、目を閉じる。感覚からして鍵は掛かっていない。そして間違いなく、彼女はこの向こう側に居る。だったらもう、躊躇う必要はない。
重々しい音と共に、一気に扉を開く。目に入ったのは、輝かしい祭壇。それから、バラバラになった壁画と十字架。最後に、見慣れた紅色。
「え、?」
零れそうな程大きく見開かれた両目に、僕は少しだけ笑って。何も考えないまま、思ったとおりに口を開いた。
「迎えに来たよ、」
「ーーーー……セラちゃん。」
残ったのは君だけだった。
それでいいと、思ったんだ。




