世界ノ始マリト愛ノ終ワリ 【兎】
ここから本編!
夢を見ていた。現実みたいな、だけど確かに幻の。首に絡みついた指の感覚が、酷くリアルな夢。
だけど、ゆるりと開いた瞼の先に見えたのは、高い高い天井で。先ほどまで私【あたし】に覆い被さり、この首を締め上げていた筈の彼は何処にもいなかった。
光に溢れた祭壇。窓から覗く赤鳥居。仄かに灯る蝋燭。黄金の十字架と、張り付けにされた神様の像。
それらをゆっくりと見渡して、意識して。私【あたし】は、規則的に響く心臓の音を聞いていた。何もせずただ横になっているだけなのに、活発に動き続けるそれは『生』を象徴しているようで。
なんだか、目障りに思える。
別に動かなくったって構わないよ、なんて。
心臓に意思がある訳ないのにね?
ただそうやって作られたから、決められたとおりに動いてるだけで。私【あたし】を生かしたいとか、自分が生きていたいとか、そんなんじゃないんだ。心臓は、私【あたし】みたいに失敗してはいないから。
もっとも、心臓にとっての遺伝子と私【あたし】にとっての『あれ』がイコールか、といえばそうでもないんだけれどね。
まぁ、とりあえず。このまま転がっていたって仕方がないし、そろそろ「おはよう」をしようか。誰に?えっと、太陽とか。ああでも、今日は曇ってるや。お日様もいないとなると、誰に言っていいのやら。暗中模索。五里霧中。
いっそ雲の上の太陽に言っちゃおうかとか、どんだけ太陽にこだわってんだよとか、別に無理して挨拶する必要もないよねとか、そういえば「どんだけ」って昔流行ったけどあの芸人は誰だったっけとか。
くだらない事をだらだら考えつつ、私はベッドの代わりにしていた、最前列のベンチから体を起こす。目の前が祭壇、っていうのもなかなか奇怪な寝床だけれど、床よりはマシでしょうと。
使われていない筈の教会内は思ってたよりずっと暖かくて、もうすぐ雪が降るという時期だけに、私【あたし】としてはとてもありがたかった。
やっぱり寒いのは嫌だもんね。だからって、お布団片手に反抗ってのも間抜けだし。丁度良かった、とそこまで想像したところで。私【あたし】は、唐突にいいコトを思いついた。何って、さっきの「おはよう」云々のこと。なんだかんだ言っても、挨拶ぐらいはしておきたいからね。
「おはよう、」
私【あたし】はやっとその言葉を口にした。随分遠回りをしたけれど。
太陽でもましてや自分自身なんかでもなく。
世界で一番大嫌いな、この理想郷に向かって吐き捨てたのである。ね、名案だったと思わない?
さて、これから何をしよう。
何でも出来るような気もしたし、何にも出来ないような気もした。
「君は元気かなぁ。」
私【あたし】を傷つけて、苦しめた君。ずっとずっと、大好きだった君。実を言うと、可能なら君に愛されてみたかったの。でも、それはもう叶わないらしい。わかってる。君を傷つけて、苦しめたのは私【あたし】だもの。そう思うと、どうしようもなく死にたくなったりするけれど。私【あたし】には、きっと無理だろうね。
どこまでいっても自殺『志願』者。一線を越えられる訳じゃないのさ。
まぁ、そんなもんでしょ。
「幸せだといいなぁ。」
私【あたし】なんか放っといて、自分勝手に自意識過剰に自己中心的に、幸せになって欲しい。多分、この気持ちは本当だと思ってる。何とも私【あたし】らしいじゃないか。自己犠牲に酔って、被害者気分を楽しんで。そんな美意識を自画自賛しては、また偽善者の仮面被って。
なんともまた、×××に向いた性格に設定されているものだ。愉快というか、不快というか。
だからこんなに苦しくて、痛い。無理して嘘を吐くから、胸の奥が痛くて痛くてしょうがないんだ。
だけど、「助けて」すら言えないの。私【あたし】は、そういう風に作られた人形だもん。我ながら難儀なことだねぇ。……いや、不気味なだけか。
不幸ぶるなよ、気持ち悪い。
「とはいえ、幸も不幸も決めるのは『あの子』なんだけどね。」
思わず自嘲。何もかも今更なのでした。
かつ、ん。
足音が、面白いくらいに反響する。目を逸らしてた、『孤独』って現実を突き付けてくる意地悪で悪趣味な音。それが殺したい程に不愉快で、私【あたし】は黙ったまま目の前の壁を見上げた。
最初に目に付くのは金の十字架。安っぽい輝きじゃなくて、神秘的な淡い光を放ってる。次に、その後ろに描かれた壁画。ありったけの慈愛を込めた笑顔で赤ん坊を抱く母親と、涙を流して祈る人々。そして、母親の頭上で祝福を捧げる純白の熾天使。私【あたし】はこの絵の題を知っている。『聖母アミリアと明けの明星』だ。何とかっていう有名な画家の描いた、神様の絵。
曰く、この世でもっとも美しい絵。
曰く、この世でもっとも愛に溢れた絵。
そしてそして、先の十字架と絵の二つを、合わせてこう呼ぶのだ。
『世界ノ始マリ』と。
そしてそしてそして。
それを見て私【あたし】はこう言うの。
「世界なんて。」
『世界なんて、』
『そんなもの。』
『この手で終わらせてあげよう』って。
勢いよく振り抜いた拳は綺麗に金十字を撃ち抜いて、二次被害を受けた壁画とともに崩れ落ちる。誰もいないこの空間を、物の壊れる音が満たしていった。孤独すら無かったことにしてしまう、純粋な破壊。
そう思うと少し嬉しかった。だから、破壊を続けた。
打ち砕いて蹴り砕いて叩きつけて踏み潰して、完膚なきまでに壊し続ける。聖母の笑顔も神の祝福も、罪の十字架も、原型をとどめている物なんてない。ちゃんと塵になるように、気をつけて蹂躙しているのだから。
ぐしゃ。ばごん。
ああ、つまんないなぁ。こんなことしたって、気晴らしにもなんないや。
ーーーー××××えばいいのに。
全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部!
君もあの人も彼も彼女も世界も理想も国も東も西も北も南も悲劇も喜劇も欲望も大罪も快楽も絶望もあの子も私【あたし】も全部ぐちゃぐちゃにして掻き混ぜたら、みんな一緒なんだ。それがきっと、偉い人たちの言う『平等』ってことで。だから、だから。
なくなっちゃえばいいんだ、何もかも。
だって私【あたし】は、そのためだけに作られた人形なのだから。悪いことなんてしていないもの。作者の意思にしたがってるだけだもん。私【あたし】は悪くない。
むしろこの世界に、『正しい』ことなんてなんにもない。私【あたし】と同じで、なんにもないんだって。
足の下で壊れいく聖母は今だに笑顔で、何もかも理解してるみたいなその表情をなんとか歪めてやりたくて。だけど出来なくて。何度砕いたって、彼女は笑顔のままで。その姿が、なんだか君によく似ていて。
君が聖母な筈ないだろって、自分を笑った。君は白いけど白くないもの。ああでも、すっごく優しかったな。それは覚えてる。それだけは覚えてる。君の忘れてしまった、私【あたし】だけの真実。
真実。真実か。
じゃあ嘘は、どれだろう?
「ふふっ、」
決まってる、全部だ。
「あははははっ!」
あの女が、【傲慢】なあの子がどれだけ神様ごっこを続けたって、所詮子供の遊びでしかないのだから。作り物なんだよ。いつか誰かが壊さなければならなかったんだ。この、ガラクタだらけの理想郷を。
ーーなんてね。随分ご立派な大義名分だ。そんなの、ちっとも考えて無いくせに。
要するに、私【あたし】は。
気に入らないから、嫌いだから、うっとおしいから、気持ち悪いから。
そういう自分勝手な理屈で、全てを壊すと意気込んでいるだけなんだ。
なんて邪悪。許し難い罪。
あはは。
「っ、あ……は、」
見るも無残な姿になった、壁画や像を黙って見下ろして。私【あたし】は、乾いた笑みを教会中に響かせる。窓の外ではもう雪が積もり始めていて、冬の訪れを高らかに宣言していた。




