兎
「偽物の偽物は本物。」
肩のあたりで乱雑に切り揃えられた赤い髪。
虚ろで、光の無い赤い目。
白いレインコートに身を包んで、長い耳と顔の付いたフードを深く被った姿は、どこからどう見ても【兎】だった。
異質で異様。浮世離れした格好。
それと、背中に生えた小さな羽。
「お前、」
その女は無表情のまま、先ほどの襲撃者を貫いた右手をずるりと引き抜いた。
見ているようで何も捉えていない視線が、ゆっくりと俺に向けられる。
「今晩は。」
人形みたいな無表情が、言葉を吐いた。
……人形?
ちょっと待て、それってまさか。
「【killng,doll】、か?」
随分と懐かしい単語だ。再登場なんて想定していなかった。その上、予想外も予想外。
「正解。玖割間違えているけれど、壱割合っている。」
台本を読み上げるような淡々とした口調で答えながら、女は俺の背後で座り込んでいるリリィに視線を移す。
値踏みでもしているのだろうか。赤い目が、リリィを見下ろしてゆらゆらと揺れている。
ーーよくわからないが、嫌な予感がした。
「どういうことだ。」
咄嗟に女とリリィの間に体を割り込ませれば、女は再び俺へと対象を変える。何もかも見透かそうとするその仕草に、ぞわりと背筋に冷たいものが走った。
何もされていなくても、充分に感じる恐怖。殺気とはまた違った、純粋な感情ならではの狂気というか。
「『私』が【killng,doll】なんじゃなくて、『私たち』が【killng,doll】なの。そして私は今をもって、人形ではなくなるーー」
「貴方たちの【大罪】を全て使って『あれ』を殺す。やっと世界が動き出すの。私は『私』になれるし、この偽物の理想郷だってきっと、」
【大罪】。
それを聞いた瞬間、地面に伏したままの襲撃者の指先がピクリと動く。
そういやこいつ、【怠惰】なんだよな。多分。
まだ生きている。つーか、生かされているのか。
「死なれたら困るもの。このままだったら死ぬだろうけれど、貴方の血があれば助けられるでしょう?不死、だもんね。」
俺の言いたいことに気付いたのか、襲撃者の側にしゃがみ込んで女は言う。自分でやっといて後始末は人任せだなんて、いい迷惑だ。
いや、一番の被害者は襲撃者なんだろうけど。
「確かに助けられる。が、助けてやる理由が無いな。」
「助けるよ。【花色猫】に魅入られた貴方が、彼を見捨てられる訳ないもの。加害者ならともかく、彼は善人だから。」
わかってるんでしょ?
兎のフードごしに俺を見上げ、知り尽くした風に振る舞う女に思わず眉を顰める。考えを言い当てられたってことも勿論あるが、それよりも。
先ほどから、納得いかないことが一つあるのだ。
「……わかった、治してやるよ。その代わり一つだけ教えてから去れ。」
ちぐはぐで。
ぐちゃぐちゃで。
どうにも当てはまらない、欠片が。
「お前ーー『どっち』なんだよ。」
すると女は、初めて笑った。
くるくる、狂々(くるくる)と。
「さぁ?どっちなんだろうね。私にも、わからないや。」
「でも、どっちだっていいと思わない?」
「……どっちも『歯車』だってことに、違いはないよ。」
「では、本物の本物はなんでしょう?」




