善を裏切りし者
【犬】。
僕は、人間ではなかった。
人間から生まれて、人間の中で育ってきたはずなのに。
いつ死んでもわからないような状況で、いつ死んでもいいと言われて生きていた僕らは、ずっとここから逃げ出す術を探していた。
人間になりたいなんて、そんな大きな夢はとっくに諦めていたけれど。
だけど、生きていたくて。
死にたくなくて。
痛いのも、苦しいのも嫌いで。
主人に尻尾を振っては頭を垂れて、這いつくばりながらもみっともなく『生』にしがみついていたんだ。
本当は何もかも嫌いだった。
でもそれは言っちゃいけないことだったから、殴られないように心の中でだけ呟いていた。
あの【虎】にーーいわゆる【止終虎】に出会ったのもその頃だ。
『仲間』がたくさん死んじゃって、それでも涙一つ流せない自分を軽蔑した時。死んだ仲間の代わりに、同じゲージに佇んでいたのがその虎だった。
『見つけたぞ、我が主。』
『願いがあるなら、我が止めてやろう』
『綺麗なまま、腐らないように』
だけど、【虎】との出会いも。
劇的ではあったけれど、映画のように悲劇的でさえあったけれど、僕を『止めた』だけで。
僕の世界は変わらなかったし。
僕の呼び名も変わらなかったんだ。
そんな人生とも言えない一生を、変えてくれたのが彼女で。
《いいわ、私が買ってあげる。貴方も、貴方の大罪である『虎』も。今この場所この時間をもって、貴方は私の玩具になるの》
あの日、僕は『ノート』になった。
【犬】としての、わけがわからない識別番号はない。数字を付けなくったって、僕が『僕』だってわかるんだから。
幸せだ、なんて僕にはおこがましいけれど。
不幸ではなかった。
昨日と同じ世界に、色が塗られて行くように。
だから次に壊れたのは、僕じゃなくてサクヤ様の方ーーーー
【止終虎】は、彼女も止めてくれなかった。
色々あったんだろう。
父親からの重圧も、から回ってる愛情も。
本当は教えてあげたかった。
ここに、あなたを愛している人間はいるんですと。
でも僕は、彼女がいないとまた【犬】になってしまうから。
この感情を、言葉にすることも出来なくて。
そうして伝えられない内に。
彼女は【蝶】に縋って、騙された。
守れなかったんだ。
ひとりぼっちで「助けて」って泣いてた彼女を。
自分は散々助けてもらっていた癖に。
そうして、弱虫で最低な僕は決めた。
『今度はもう間違えないから。
今度こそ、助けてみせるから。』
とはいえこの決意すらも、彼女には届いていないんだろうなぁ。




