黒の姫
「馬鹿なの?貴方達」
開口一番、彼女は容赦無くそう言い放った。どこまでも冷たい、氷みたいな声で。
「馬鹿でしょ」
二言目で断言された。まったくこいつらどんな脳みそしてんだ猿並みじゃねぇかとでも言いたげな呆れ返った表情で、深い深いため息混じりに。
「まったく貴方達どんなおつむしているの猿並みじゃない」
いや、訂正。言いたげっていうか実際に言ったよこの人。
「あらら、あたしに向かって猿並みの頭とか、『傲慢』にも程度があるんだよサクヤちゃん」
一方ルーは、まるで冷水(氷入り)みたいな彼女のセリフを大して気にも留めずに笑顔で流す。流石だとは思うけれど、この状況では逆効果だ。多分彼女は馬鹿にされたと感じただろうし、何より彼女の後ろで仁王立ちしている屈強な男たちから痛いぐらいの殺気が漂ってきてる。
そんな重い緊張感の中、限りなく影を薄くした僕は小さく溜息を吐いた。
ーーああもう、どうしてこうなるかなぁ。
何度も建て増しされたような、歪なビル群。少しの衝撃でも、あっさり壊れてしまいそうに不安定で。街並みというより廃墟と呼ぶ方がしっくりくるだろう。
すでに完結した街。
それが、僕が暗黒街『サァズ』に抱いた最初の印象だった。
まったくと言っていい程出歩いている人間はいない。その上太陽の光が遮られているから、街全体が薄暗く陰気。足を踏み入れた瞬間から感じている、「ここはまずい」という感覚に嫌な汗が背を伝った。
ーーだがまぁ、そんな普通の反応をしたのは僕だけで。
「サークヤちゃーん!あっそびましょー」
暗黒街は『サクヤ』という少女の庭。つまり、そこで迂闊に彼女の名を口にすることは自殺行為。とかなんとか僕に言っていたはずのルーがサァズで真っ先にしたことといえば、彼女を大声で呼ぶことだった。
信じられない行為である。
今思っても本当に信じられない。
「だーいじょうぶだって!別に犯罪者の巣窟って訳じゃない……こともないけど、いきなり襲われたりはしな……いような気もするから!」
自信満々、意気揚々とした調子でそう言い放った彼女は不安なんて欠片も感じていなかったみたいだけれど、僕は確かに気づいていた。
ああ、死亡フラグだ。と。
そして、そういう予感っていうのは大抵当たるもので。
案の定黒スーツの恐いおじさんたちが路地やビルからぞろぞろ出て来て、無言の圧力を受けながら何故か楽しそうなルーと共に連れて行かれて今に至る訳だ。
向かった先は、当然暗黒街のボスでありルーが『サクヤちゃん』と呼んだ少女の所。
「で?私に何の御用なのかしら。私は貴方達のように暇ではないのだけれど」
深いワインレッドのドレスに身を包み、見下すような嘘臭い笑みを口元に浮かべた彼女ーーサクヤさんは、苛立ちを隠した目で僕とルーを順番に見据えた。おそらく僕やセラちゃんと同じ位の歳に見えるけれど、やはり暗黒街を一手に仕切っているだけあって、威圧感も作り笑いもなかなかの出来栄えだ。まぁ、そのどうしようもない偽物っぽさは誤魔化し切れていないが。
「暇ではないの」
二回言った。
いや多分こっちが返事しなかったのが悪いのに、わざわざ言い直してくれたよこの子。なんか意外と素直な子なのかもしれない。だからといって、安心や気休めなんて出来ないけれど。
「用件?ああ用件要件用権だね?それはまさしくすなわち人探しなのですよー」
そんな僕の警戒と正反対に、にっこり笑って一言。今更ながら、ルーには危機感とか恐怖心とかが全く無いんだと実感した。なさ過ぎるんだと実感した。
危機察知。それは生きていくために必要なもので。死なないためには欠かせないものだ。多少感度の落差はあっても、人間なら生まれた時から持っている。
だが彼女にはそれがないーーというか、重要視されていない。
つまりルーにとって、危険なんてものは存在しないということだ。少なくとも、そう思っていると。
それならそれでいい。でも、忘れないで欲しいのは。
「人探し……?あは、あははははっ!」
その隣にいる僕が、紛れもない一般人だってことだ。
「そんなことで、そんなことで私を訪ねてきたの!?本当に愉快な人たちね!」
高らかに、朗らかに、凄惨に彼女は『作り』笑った。惜しみなく、惜しげも無く声を上げて。軽蔑、よりも怒気に近い笑い。ああだから、怖いんだってーーーーーー
「……そんなことで尋ねてくるなんて、私も舐められたものよね」
黒い手袋に包まれた彼女の華奢な手が、すいっと静かに挙げられて、その仕草に導かれるように、艶消しされた10丁の黒い拳銃が一斉に照準を合わせた。勿論標的は僕とルー。当たり前に狙いは頭部。
「いいわよ、じゃあその体に教えてあげる。銀の弾丸に貫かれれば、どんな脳の足りない狼だろうと身の程ぐらい『知れる』でしょう」
かつんとコンクリートの床をヒールで蹴って立ち上がり、サクヤさんは器用に口角を上げる。その目は一度も笑わないーーーーどころか、僕らを本当の意味では認識さえしていなかった。
そうだ、彼女の一挙手一投足が酷く嘘臭かった意味。それの種明かしが、ネタバレがこれなのだ。
何のことはない。もしかしたら別人かもしれないとか深い事情があって暗黒街のボスのフリをしているんじゃないかとか色々考えていたけれど、実のところ大した理由ではなかったのだ。彼女は僕らを見ているようで見ていなかっただけでーーその双眸に僕らの姿を写した時でさえ別のことを考えていて。わざわざ言い直したのも、苛立ちを隠した目も、ただ『そうするべきだ』と感じたからしただけなんだろう。僕や、ルーのことまでも彼女の眼中には無い。
まるで偶像崇拝だ。見えていないものに見えていないままで相対して見えていないまま対応する。僕らが敵だろうと味方だろうと無関係だろうと『どうだっていい』。
そして、おそらくはーーーー
彼女を守ろうとしている、彼女の手足である屈強な男たちだって、暗黒街のボスにとっては僕らと同じなんだろう。
どうだっていいしどうなってもいい。
危害を加えようが利益を与えようが同じこと。
嘘で嘘を吐き吐いた嘘で自分を守る嘘を吐いたという嘘を言う。
ルーの危機感皆無もある意味で狂っていると思っていた。が、彼女の異常性はそれ以上に異常だ。
狂っている、なんて次元じゃない。
彼女にあるのは嘘だけだ。
「あ、気付いた?その通りだよ。あの子にあるのは嘘ばっかり。上手いもんでしょ?
虚偽の真実は正しい真実よりも遥かに美しいんだよだよー」
ルーは場違いな程裏表の無い表情で、さらりと言う。目の前にあるのが銃口で、その奥には実弾が装填されていることもしっているはずなのに普段と同じ口調で。
畜生、最悪の展開だ。こうなることを『知っていたら』、ーー否、サクヤがこうであることを『知っていたら』、こんな所には来なかったのに。
廃人相手に駆け引きなんて、そんな無謀なことしなかったのに。
自分が次第に焦り出すのが『わかる』。なにせこれだけの銃弾の檻から逃れる方法を、僕は持ち合わせていないのだから当然だろう。
だけど、次の瞬間。
「あははーー実に、『私』好みだ」
確かに僕の隣から聞こえた嘲笑うような声に、脳を支配していた数々の動揺はあっけなく吹き飛んだ。
「え、」
それから、弾かれたように男たちの指が引き金に触れて。
暗転。




