医者と鬼と、少女。
「自分らしくない。が、そこまで悪い気分じゃない」
「つーわけで、ちょっとこのガキ診てくれ」
「馬鹿じゃないのお前」
さて。
所も時間も変わり、あれから客も支配人も皆殺した俺は少女を連れて歓楽街『ウェスト』まで来ていた。正確に言えば、つい最近知り合ったこの国唯一の医者の所へ。
「なんで僕の家に連れてくるんだよ……というか、よく子どもの面倒見る気になったね」
「見たくねぇから来たんだっつーの。いいからさっさと診察しろよ、医者」
あからさまに不満気な、というより殺意剥き出しな医者ーーサクヒに向かって子どもを押し付けて、ずんずんと家内に足を踏み入れる。ああ、一応言っておくけどこいつの家は診療所も兼ねているから、俺が入っても問題はない。
「あ、の。私は、」
「えーと、とりあえず大丈夫ですよ。僕の名前はサクヒです、よろしく」
サクヒはつらつら言葉を並べると、素早い手つきで傷の有無を確認していく。さっきまでの表情なんて影形もない、優しげな笑顔で。様子を見ている限りでは、子どもに大きな怪我はなさそうだ。ーーそれにしても。
仕事用の笑顔で嘘くさく微笑んで、しゃがみ込んで子どもと目線を合わせて。それは酷く医者らしい姿だったけれど、その本質を知っている俺の目には滑稽な儀式にしか映らなかった。
「うるさいよ殺人鬼」
あいつは、まるで『心を読んだ』みたいに不服を吐く。もう慣れたとはいえ、心の中を晒してるっていうのはあんまりいいもんじゃないな。
「……なぁ医者。子ども好きか?」
「なんだよ、急に」
いや、見つけられないよりはマシなのか?
人の細かい感情や心理はわからないから、何とも言えない。サクヒも、ガキも、自分自身のことですら。
「知り合いの孤児院はあるけど【犬】までは手を出してない。それに怪我はないから入院扱いも不可能。だからこの子を人間にしたいならお前が連れて歩きなよ。ちなみに、僕は子ども以前に人間が嫌いだ」
軽く目を伏せて、予想通りの返事を聞き入れる。そうだろうとは思ってたよ。だから、不本意ながらも準備は出来ていた。
「しょーがねぇ、な」
「驚いたな。罪を探すんじゃなかったの?」
「他に手がねぇんだよ。まぁ八つの内三つはここにあるし、『傲慢』と『憤怒』の居場所も見当は付いてる」
言い訳だ。
自分でもそう思ったけれど、まさか本当のことなんて言えるはずもない。まぁでもどうせこいつは俺の嘘ぐらい簡単に見破っているんだろうから、無理に言葉にしなくたっていい。
窓の外では、相変わらず大きな旗がはためいていて。じきに登る朝日から逃げる俺と同種の人間たちが寝ぐらに帰っていくところだった。町中に木霊していた三味線と笛の音がだんだん弱まって、東の空が薄く輝く。きっとまた、一日が始まるのだ。昨日までと同じように。あの日と、同じように。
もうすぐ夜が明ける。
「おいガキ。……リリィっつったか?一度しか言わないからよく聞け」
俺は今の今まで黙りこくっていた子どもを見下ろして、出来る限り感情を抑えて言った。
「は、い」
「俺は別にお前を助けた訳じゃない。何処へでも行け」
「……はい」
「たけど、」
「人間になりたいならついて来い」
子どもの大きな目が更に大きく見開かれて、朝焼けによく似た、薄紫の瞳に俺の顔が映る。正直この子どもに特別な思い入れは全くない……と思う。さっき出会ったばかりだし、同情とかいう感情は俺には無いんだから。でも、助ける義理も連れて歩く理由も有りはしないのに、こうやってなんだかんだ世話を焼いてしまうのは。
「は、はいっ!」
「うーわー奇っ怪」
「うっせえんだよ。……とりあえず帰る」
ただの、気まぐれってだけで。
別にほっとけなかったわけではない。うん、断じて。
その一方で、バン、と勢いよく閉めたドアの向こうで聞こえた医者の笑いを堪える声に、言い表せない苛立ちが増して行く。
「あの、ーーーー不束者ですが、よろしくお願いします」
「結婚する気か馬鹿」
そんな俺を前にして、子どもーーいや、リリィが至って真剣な顔で放った言葉に吹き出しそうになった。まさか俺が誰かにツッコミをいれる日が来るとは。
とっくに自覚済みだが、最初っからずっと調子が狂ってる。何もかもが自分らしくない。まるで、【誰かの掌で踊らされている気分】みたいだ。
「くっだらねー」
なんて、いくらなんでもそれはないか。
俺はフードを静かに被り直すと、街が見慣れないのか、キョロキョロ落ち着かないリリィの頭をぺしりと叩いて歩き出す。宿まで近いとはいえ、あんまりゆっくり歩いている時間もないのだ。完全に日が昇るまでには、戻らないと。
急に静寂が満ちた空気を、誤魔化すために見上げた空は、昨日見た空となんの変化もなく、いつも通りに東の方が薄っすらと白んでいた。
次回、『奴隷少女の〜』編終結!




