ー2ー
あれから3ヶ月・・・
とうとう、その時は来た。
十分な食料をもって彼女は出発した。
出発から2時間が経過したが、事前から調べた道のりを順調に進んでいた。
「この先にきっと外に通じる道があるはずだわ・・・」。
いままで通った道は、赤いスプレーで記しを付けながら進んでいく。外にはきっと、食料なんて無いだろう。彼女はそう思っていた。しかし、ここを引き返すのは、本当に最後の手段だった。
”もうここには二度と戻りたくない!”
彼女はほんの少しの希望を頼りに、前へと進んでいた。
「今の時間は午後1時・・・久しぶりに太陽が見られるのかしら・・・」。
以前から下調べをしていた、瓦礫の入り組んだ道を進んで行った。 そして、分かれ道に辿り着いた。1つの道はそこからさらに地下に続いている。
もう1つの道は、斜め上に口を開け、それは地上へと導いているようだった。
「この先を歩けば地上に出られるかもしれない。でも、もし、核が落とされていたとしたら、東京駅近辺は爆心地にもっとも近いはず…地下をたどったままなるべく遠くへ移動した方がいいわ」。
そう考え、さらに地下へ続く通路を選んだ。 彼女の考えは正しかったのだろうか、先に進むにつれ、暗闇が一層彼女に不安を感じさせた。しばらく進むと、真横に長く伸びる空間に出た。
「地下鉄の線路…この通路を右に行けば、東京駅から遠ざかるはずだわ」。
用心しながら少しづつ道を進むにつれ、崩壊の状況が和らいでいるようにも思える。
「気のせいかしら…」。
かれこれ2時間は進んだであろうか、もちろん、この道がどちらの方向に進んでいるのかは分からない。しかし、暗闇を凝らして見る限りでは、彼女が進む周囲の地下鉄は、さほど損傷が見当たらない。
「この辺はほとんど壊れた場所が無いみたい…」
ライトが照らし出す視界を見た限りでは、足元は以前よりもかなり歩き易くなっており、もう大きな穴など存在しないようだ。
「これなら次の駅で外に出られそう」
そう思った時だった。
幻聴だろうか、遠くで金属がきしむような音が微かに聞こえた。恵子はその音に聞き覚えがあった。それは恐らく、電車の走る音だ。短く高く響く金属音は、小さいながらも確かにヨウコ耳に届いた。
「まさか、地下鉄が走っているの?」
そして足元には、小さな振動が伝わって来た。それは恵子のいる方角へ、向かって来る地下鉄の振動だ。それは次第に強く、恵子の体に伝わりはじめた。
「電車だ!間違いない!電車が走っている!」
恵子が最初に感じたのは喜びだった。再び人に会える!しかし、こんなに破壊されている線路を、地下鉄が走るなんて、そんなことがありえるのだろうか? そしてそれはすぐに恐怖へと変わった。恵子のいる場所は地下鉄の線路の上だ、地下鉄は自分に向かって来る。足元を見ると、そこには一本の線路しか無かった。
「どこに隠れたらいいの?」
恵子は我に帰り付近を見渡した。すると前方の右壁に電車のライトが反射した。地下鉄は彼女のはるか前方で左にカーブしながらこちらに向かっている。
「ここに隠れるしかないわ!」
トンネルの壁には、間隔を置きながら凹みが掘られていた。しかしどれも崩れかけ穴が塞がっている。
「ど、どうしよう!」
地下鉄の車両はカーブを曲がり、かなりのスピードでこちらに向かって来た。その時、電車のライトが映し出したトンネルの内部は、恵子が暗闇の中で見た想像とは、違い、かなり破損しているのが分かった。今まで歩いてきた線路も、電車が通れるような状態では到底なかった。
「このままこの先に行ったら間違い無く脱線するわ!」
恵子は線路の中央に立ち思い切り両手を振った。
「スピードを緩めて!お願い、止まって!!」
しかし、車両の前方が放つその光は、スピードを緩めることも無く恵子へ突っ込んできた。なるべくギリギリまで手を振ったが、止まる気配は全く見られなかった。恵子は、破損の少ない壁の凹を探し、そこに走った。
「だめだわ、これじゃ、隠れられない!」
凹みに詰まった瓦礫を急いでかきだしたが、とても間に合わない。電車はもうすぐそこまで来ていた。
{駄目だ!もうだめだ}
そう感じた瞬間、恵子の心は張り詰めた糸が切れたように解放された。
「このまま電車にひかれれば、私は死ぬけど、電車は止まるはず・・・」
そんな一瞬の判断が、瓦礫を必死にはらいのけていた自分の行動を止めた。
「これで私も楽になれる・・・」
次の瞬間、豪音とともに電車は恵子の体を突き抜けた。そしてゆっくり目を開けると、目の前がとてもまぶしく、それは懐かしく、瞼に広がった。
「ここは…」
ゆっくり目を開けると、目に映ったのは電車の中だった。釣り革につかまり、ほぼ満員の車両に、以前の、いつもと変わらないような通勤風景の中に、彼女は立っていた。
それは皆、無表情に、疲れたように釣り革に捕まり、今日一日を始めるまでに少しでも休もうとしているような、そんな毎日見ていた光景だった。
「私は・・・夢を見ていたの・・・」
満員の電車の中、ぼっとつり革に捕まっている自分に、静かに戸惑うしかなかった。 これが、死後の世界なのだろうか・・・。
いや、本当に夢を見ていたのだろうか。周りには、あの悲惨な出来事が起こった場所を走っている地下鉄とは思えない、ごく普通の満員電車の車内が広がっていた。
あの、いつもと変わらない光景が広がっている。
隣の疲れた背広に意識して肩を当ててみた。それは疑いもなく現実の感触だった。 そんな現実の違和感と放心状態の中、彼女は突然、誰かに後ろから肩を叩かれ、驚いた。 人に触れられるその感触で、張り裂けそうな心臓の鼓動・・・。
肩を叩かれる。
誰かに触れられるという行為は、しばらく経験したことの無い感触だった。彼女の体の反応が、今の現実を確認させると同時に、しばらく人とは触れ合わなかった自分の意識も確実のものにしていた。
驚きと、震えを断ち切るように、彼女は後ろを振り向こうとしたが、その前に耳元で男の声がした。
「渋谷恵子さんですね。あなたを待っていました・・・説明は後でします、次の駅で降りてください」
低い男の声が、恵子の耳元でそう呟いた。
「どういうこと?私は・・・」
「これから私が話す事が、信用できないのも無理はありません。しかし、あなたは今、普通の状態ではないはずです。あなたは今の、この自分の置かれている状況を素直に受け止める事ができていますか?」
後ろの男は私の状況を知っているのか?ならば今までのあの体験は何だったのか?不安は当然あるが、彼に聞く事しか今の私にはできない。
「次の駅で降りるわ・・・」
恵子は、後ろにいるまだ顔も見えない男の言う事に、ただ従うしかなかった。
男は、恵子を押すように電車から降りると、彼女を駅から人気の無い場所へと導いた。そして歩きながら簡単にだが、急ぐように説明を始めた。
「不安にさせてすみません、私は怪しい者ではありません、ただ、とても急いでいます、どうしてもあなたに協力してもらいたいのです」
恵子はとまどいながらも、現状に恐怖などを感じなかった。今まで経験した孤独と恐怖に比べたら嬉しくも感じる。ただ何が起きているか知りたかった。
「わかったわ、説明して」
そんな恵子の態度にホッとしたように男は話した。
「時間が無いので、単刀直入に話しをします。 私どもの研究所では、国が極秘に進めていたあるプロジェクトがありました。それは時を予測する研究、いわゆる、予知能力の研究です。予知能力と言っても、第六感という特別な能力を持つ者だけに頼るものではありません。もちろん、そう言った人たちの協力は欠かせないのですが、それだけではなく、この世のできる限りの情報を一秒刻みでコンピューターに計算させることで現実に起こり得る可能性を最大までに絞る事が可能になってきました。まだまだ研究段階に過ぎませんが、現在では48時間後の出来事まで99パーセントの確立で予測する事ができるようになりました。
その結果、2019年、12月29日、今から12時間後に日本の・・・いや、少なくとも首都圏で生きた人間はあなた1人になることが予測されたのです」
「それは・・・もしかして、私が経験したあの出来事の事・・・現実になる?・・・ち、違うわ、私はあの出来事を現実に体験したのよ!なんで私がここにいるの?ど、どうして?」
「私達が、あなたの記憶を再現しました。コンピューターの計算とデータの分析結果から、生き残ったのはあなただけという結果が出ました。ようするに、貴女しかこの惨事を経験する事ができない。だから、それを経験してもらいました」
「ど、どうしてそんな事・・・」
「今、説明している時間はありません。あなたは少なくとも核が投下されてから約24時間、生き延びる事ができている。その間に何が起きたか、それを話していただきたいのです」
「この計画の目的は・・・この事態を変える事なのでしょう?だったら、あの時、一体何が起きたか詳しく説明してちょうだい!」
「それでは手短に説明します。コンピューターの計算によると、中国から世界に核爆弾が発射されました。各国の首都に、合計24発が。日本には9基の核爆弾が投下され、3つは東京、横浜と関東北部に、あとの6基は新潟、神戸、大阪、札幌、熊本、沖縄を中心にほぼ日本を覆い尽くすように投下されるのです。それは・・・、日本が全滅するには、十分な核弾頭の数です・・・」
「そんな事が・・・」
「そういえば、私はある取材をしていたわ。不安な世界情勢の中で特に中国との対日関係を取材していた。もし、戦争が起こってしまうのなら力をつけた中国が日本を攻撃するのでは・・・、でも、本当にそんな事が起こるなんて・・・」
「中国は、軍事を統括しているチュンリー軍曹がクーデターを起こそうとしている疑いがあるとの情報がアメリカから入ってきているのです。ユン書記長はすでにチュンリーの指揮の基に動いているに過ぎない」
「そしてクーデターが・・・じゃあ、あれはやっぱり核戦争だったの・・・」
恵子はあの恐ろしい経験を思い出していた。体に受ける痛みより、精神的に受ける不安と恐怖。その恐ろしさを思い出して、震えが止まらなかった。
「核爆弾落下当時、あなたは一体何処にいたのですか?」
「私は・・・地下鉄にいたわ。東京駅に向かう途中だった」
「何線ですか?」
「西条線で、確か、東京駅に着いてから、連絡通路を歩いている時だった」
「西条線か・・・あそこは特に地下深い場所にある」。
左の角を曲がったところに、黒塗りの車が待機していた。
「これに乗ってください。貴方には協力してもらわなければ・・・」
男の事を完全に信用している訳ではないが、彼の言葉に従うしかなかった。
「これから何処に?」
そう言うと、恵子は初めて振り返り、その男を見た。 声から想像するより、気さくな感じのかなりがっちりした中年の男性だった。 男は、車の後ろのドアを開けると、車の中へ導くように恵子の前に手を差し出し、こう言った。
「私どもの研究所です」
彼女が連れて来られた研究所の入口というその場所は、とてもシンブルなものだった。入口の扉は一見、会員制のクラブの様な雰囲気で、実はそこが大規模な研究所の入口とは誰も想像しないだろう。何処の家にでもある普通の玄関のドアを少し大きくしたような入口を抜けると、通路がすぐ左に折れるように曲がり、地下へ下るような形で伸びていた。
「このような扉がこの近辺にいくつもあります。それぞれが目立たぬようカモフラージュされ、地下の研究所につながっています」
やがて、学校の体育館ほどもある広い空間が通路の右下に現れ、細かく別れたブースが幾つも点在しており、そこでは白衣やスーツを着た大勢の職員が働いていた。そしてその中の一つの部屋へ誘導された。
「貴方の、当日の行動を話して下さい」
「私は・・・、爆発のあった丁度その時、大手町から東京に抜ける連絡通路を歩いていたわ・・・」
彼女は、自分が体験したあの運命の日の事を、思い出しながら話した。彼女の話を元に、その情報をコンピューター エフ にインプットしていく。
「最後に辿り着いた場所は三國デパートの地下の食品売り場か・・・」
「安里さん、データが出ました」
「そうか・・・、東京駅近辺が爆心地としたら、この程度の地下の深さだったら恐らく粉々になっている。だから、爆心地は新宿か・・・よし、新宿西口のビル街を爆心地でシュミレーションしてみてくれ」
「はい」
コンピューターグラフィックで新宿を爆心地にした映像が再現された。
「思った通りだ・・・。彼女のいた場所から西の方向に高層ビルが密集している。これが爆風の盾となって彼女がいた場所は極端に衝撃が少なかった。衛星で目標座標の位置を確認し、そこまでの弾道を正確に打ち出してくれ!」
「どういう事?一体、何を調べているの?」
「核は中国から発射され、目標に落ち、爆発すると予想されている。君が見たビジョンと同じこの研究所のシミュレーションでは、東京に発射された核は、アメリカ軍のスカットミサイルによって打ち落とそうと試みられた。しかし発見が遅くて撃ち落とす事はできなかった。核ミサイルは最新のステルスミサイルだった。そして君が見た世界になったんだ」
「私だけ生き残ったの・・・」
「君はシミュレーションで生きていた。その後の世界を知ることができる数少ない人間の一人だった。我々は核が爆発したと同時に死ぬと予想された。死んだ後のビジョンは見ることは出来ない、だから必死で我々は君を探したよ。君にビジョンを見せ、手がかりになる情報を聞き、少しでも正確な爆心地(目標)を割り出せれば、着弾した時間とともに核ミサイルの軌道が割り出せる。予めミサイルの軌道が分かっていれば、核を打ち落とす事ができるかもしれない」
「そうだったの・・・」
「君には悪い事をしたと思っている。相当辛い思いをさせてしまった」
あの経験は、とても夢の中の出来事とは思えない。今でも、思い出す事さえ辛い。それを思うと、すまないでは済まされない事で腹も立つ。しかしそんな事は言っていられない。これが現実ならば、何としても核爆発を阻止してもらわなければ・・・。
「もし、これがキッカケで核を阻止することができたら、そのビジョンが変化しているのでは?」
「その通りなのだが・・・」
「変化していないの?・・・ってことは無駄だって事?」
「まだ、解らない・・・どれだけ急な変化にこのシステム自体が対応し、タイムラグが発生するか、それは変化が大きければ大きいほど、計算が複雑になりタイムラグも大きくなってしまう。とても複雑な計算になり、時間がかかってしまう。だから何とも言えないのが現状なんだ・・・」
「計算が遅いのか、変化が無いのか、ハッキリしないって事ね・・・」
「軍にはすでにミサイルの軌道を知らせた。待ち伏せすることができれば、多くの確率で撃ち落とせる」
計算が合っていればの話ね・・・。
ふと、気付いたように彼女は話した。
「発射された場所は解らないの?着弾する場所よりも、発射した場所を押さえれば・・・」
「ミサイルはステルスだった。正確な位置は掴めなかったよ。それでもすでにアメリカ軍が中国領土に入り、必死で捜している。今頃戦闘になっている頃だろう。とにかく、予測が出た1日前よりは、状況(確率)は良くなっているだろう」
「悪くなっているかも・・・か」
彼女は小さく呟いた。
「渋谷さん、ありがとう。もう帰ってもいいよ。後はゆっくり休んでください。あなたには電車の中で特殊な装置を使い一瞬で24時間のビジョンを見てもらった、一瞬と言えど脳に大きな負担をかけてとても疲れているはずた、そして辛い思いをさせてしまって・・・これを持っていくといい、どれだけの時間使えるか分からないが・・・」
そう言ってかなりの現金を手渡された。
「24時間のビジョンって、私は・・・」。
私は3か月の体験をしたはずだ。
これもコンピューターのタイムラグのせいだというの・・・。
「それと・・避難するなら東京にいたほうがいいかもしれない。我々の計画で阻止できる核ミサイルは、東京に向かっているものだけだ。成功すれば一番安全なのは東京・・・それは、君が一番知っているのだったな・・・」
「安里さん、もし駄目だと分かったら、いそいであの場所へ向かって。あの(食品売場の)フロアは殆ど無傷だったわ。あの中にいれば必ず助かるから・・・」
「ありがとう。じゃ、いざと言う時は、お言葉に甘えるよ・・・」
彼女は気付いたように走り出した。
とにかく、この研究所から出たかった。研究所が嫌だという訳ではない。地下という空間にいたくない。
空が見たかったのだ。
青空の綺麗な空気で、思い切り深呼吸をすることを、どれだけ夢に見て、想像したことだろう。