8.突然ですが、オレは幸せです
「…おら。いつまで泣いてやがる。」
言いながら渡されたティッシュをありがたく受け取って、思いっきり鼻をかみます。あ、でもちゃんと片鼻ずつです。
いっぺんにやると良くないそうです…どういう理由だったか忘れたけど。血管が切れるんでした…っけ。
「よかったじゃねぇか。オレもお前は絶対に後悔すると思うけど、それでも離れた時よりはましだろうよ。」
「……うん。」
カウンターを挟んだ向かいで煮物のぐつぐつ煮込まれている鍋を見ている兄に、オレは鼻が詰まった声で返事をしました。
仁美と話してからもう2時間くらいは経ったと思うのですが、オレの涙は一向に枯れてくれません。
あの時のことを思い出すと、なんだか堰切ったように泣けてくるのです。
今日一日泣きすぎです。
「ほら、食え。そんで飲め。」
ことん、と目の前に置かれたのはブリ大根です。脂ののった寒ブリの良い季節です。
ほかほかと湯気を立てるそれをもそもそと箸でつまんで、一口。
「…ッ!」
「…どうした。まずかったか。」
「……口の中切ったの忘れてた…。」
正確には自分で噛み切ったのですが。
渾身の力で噛み切ったので、すごく深いというか、えぐれていたというか。
さすがの回復力でもまだ治りきってはいません。
「でも、美味い…」
オレの知る中で一番うまい料理を作るのは兄でした。
いや、気持ち的には仁美なんですけど。
でも兄の次が父で、次が……仁美です。仁美ったら仁美です。誰が何と言おうと仁美です。
ずびーっと鼻をすすって、風通しがよくなったところで大根とぶりのうまみを堪能します。
思わず頬が緩む味です。あったかいというか。うちのおふくろの味、的なポジションですから。
「そうか。」
言葉少なな兄ですが、料理を褒められると嬉しそうに笑うところは変わりません。
いつもと同じです。
ここは兄が二代目を務める酒屋兼居酒屋の「みなもと」です。
そこで、オレを慰めるために店を貸切にしてたくさんの料理を作って、酒を出してくれる。
それが“いつも”です。
いつも、オレの慰め役は兄。今日みたいな日でもそれは変わらなくて、他の家族はこの場にいません。
何があっても何も変わらない。
そう言ってくれているようで、それもまたオレの涙腺を破壊してきます。
「…だから、なんで泣くんだお前は。」
「…ごめん。」
ずるっと出てきた鼻水をティッシュでかんで、一緒に涙もぬぐって、オレは酒の盃をあおりました。
中身は地元の名酒、鬼殺しです。
辛口の酒がまたしても傷の残る内頬と、そして喉を焼いていきますが、オレはこれが大好きです。
痛みに顔をしかめながらも笑うという気持ち悪いことを成し遂げたオレの顔を見て、兄はため息とともに苦く笑いました。
オレはこれから、出来るだけ人間にかかわらない生活をします。
そう決めました。
きっとそれは、ひどく寂しいです。オレの性格的に、超ブルーになること間違いありません。
でも大丈夫です。オレを受け入れて、待っていてくれる家族がいる。
そう考えるだけで、きっと乗り越えられる。…乗り越えられなかったら、オレの全能力を使って一瞬会いに行って一瞬で帰ります。
あと毎日電話します。カメラ付き携帯で顔も見れます。
大丈夫です。
オレは、怖いけど、不安だけど、寂しいけど、幸せですから。
そんな日々も長くは続かないと、今のオレは想像もしていませんでした。
この始まり方、すっごく、すっごくデジャヴで嫌なんですけど。何か消したくなるんですけど。
[了]
第一章これにて閉幕です。
ほぼ護朗ちゃんが泣いてへたれて家族たちがかっこよかった話で終わりました。
第二章では護朗ちゃんが異世界に召喚されて涙目になりつつがんばるお話にしたいと思っています。
あと、評価、さらにお気に入り登録してくださった方々、本当にありがとうございました。話自体は伸び悩んでおりますが、なんだか大変、救われました。
今後ともへたれヒーローをよろしくお願いいたします。