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7.オレの彼女を自慢したい

 通話は続いているのに、さっきから部屋に流れているのはかすかなノイズだけです。

どちらも声を発せない。オレも、今回ばかりは泣けません。すでに涙目なので説得力はありませんが。


「……赤ちゃんはできない。一緒にも暮らせない。私が……死んじゃうから」


ぽつ、ぽつ、と仁美の声が、オレの語った内容を端的に並べ立てます。

オレはそれを、直立不動の体勢で聞いています。

目の前の画面には、仁美の泣きそうな、それでいてどこか宙を浮いたような、そんな表情が映し出されている。


「……護朗ちゃんは、それを選ぶの。ヒーローをしたいの。」


語尾を上げていない質問は、糾弾のようでした。


「…うん。ヒーローじゃなくなったら、オレは後悔する。」


「…………」


仁美の沈黙は、言葉よりも雄弁に彼女の気持ちを語ります。

それはつまり、彼女よりも仕事(ヒーロー)を選んだのか、という問いかけです。

違う、と叫びたい。そんな、天秤にかけることじゃない。でも。

でも、事実、オレは彼女のそばを捨ててヒーローをしようとしている。だからオレは、反論を持ちません。

そして、それでもそう決めたことを、彼女も知っているから尋ねようとしません。

再びの沈黙が、雑音交じりに空間を支配しました。


「…結婚しよう、護朗ちゃん。」


「………ぇ」


喉に変なものがつっかえた感じに、声が出なくなりました。


「護朗ちゃんとは付き合って5年だけど、それなりに性格はわかってるよ。だから護朗ちゃんがどうやって考えてそういう結論に出たのかも、わかる。」


「なら、」


「ねえ、結婚って、何?」


唐突な質問です。


「…婚姻を結ぶこと。」


「怒るよ。」


「……好きな人と一緒になって、家庭を作って…家族になること。…幸せな。」


ああ、仁美と家族になるのは幸せだっただろうに。

オレにはあんなに良い家族がいますが、そこに仁美が加わったらもっと良い家族になる。

新しい家族を作るのは、とても幸せなことです。


「そうだね。でもね、護朗ちゃん。子供を産むのって、必要?一緒に暮らさなきゃ、家族じゃない?」


真剣な瞳で仁美が…ギャグじゃないです。消すぞ。…まっすぐに、オレを見つめて仁美が尋ねました。


まずい。

彼女は、本気でオレを説得にかかっている。本気でオレを、また口説こうとしています。


「……子供を産めたら、一緒に暮らせたら。それができなかったら家族じゃないなんて言わない。でも…」


「私の幸せを決めつけないで。」


きっぱりとした声がオレの耳朶を打ちました。


「護朗ちゃん、私ね、言ってなかったけどね。不安なんだよ。」


当然です。オレは仁美にとって、とてもじゃないけれど良い彼氏ではなかった。

職業がヒーローで、いつ死ぬかもわからない、不安定な存在。

しかも今回はオレが近くにいることが仁美にとって害になるのです。それくらい、オレというものは得体がしれない生き物でした。


でも、仁美はそんな不安を口にはしませんでした。


「護朗ちゃん、かっこいいし、大学生だし。出会いなんていくらでもあるの。…イレイザー、かっこいいよね。女の子にも人気なんだよ。」


「――何、を」


呆然としたオレは、束の間何の話をしていたか忘れていました。

忘れて、まっすぐな仁美の視線をこちらからも見つめ返します。

その強さに、オレはこれまでにない感覚が背筋を走るのを感じました。


「私は、護朗ちゃんの家族になりたい。そして、護朗ちゃんを私に縛りたい。帰る場所になりたい。…こんな汚い気持ちでも、一生をかけて大事にして生きていけたら、ねえ、それは幸せって言わない?」


「……っ」


「護朗ちゃん。私は護朗ちゃんの全てがほしいよ。」


生まれて初めて、オレはオレを全身で請われている、と感じました。

泣きたい時と同じ、息苦しさで呼吸が乱れます。息を吸いたくても吸えなくて、肺が膨らむのと同時に体が揺れる。


「…会えないんだよ?オレは、仁美を傷付けたくないから。」


「うん。」


「でもどうしても会いたくなって、一瞬顔を見に行っちゃうかもしれない。その時、仁美は、目に見えなくてもオレに寿命を削られてるんだよ。」


「うん。」


「子供。仁美の子供、絶対可愛い。…でも、出来ないよ?女性としての幸せ…味わわせてあげられないよ。」


「うん。」


「抱きしめるのも…オレ、やだよ。抱きしめたい。離れたくない。でも、出来ないよ?」


「うん。」


ぶるぶる震える唇で、何度も謝った内容をまた伝えていきます。

間抜けなことに、オレの言葉も唇と一緒に震えて聞けたものじゃない。それでも、仁美はそれを聞き取って――あるいは、どんなことを言っていても受け入れるように、間髪入れず頷きます。


「……仁美が死ぬ時…オレのせいじゃないって、言い切れないんだよ…」


声を絞り出して、耐えられず内頬を噛みます。防御力が紙のオレですから、もちろんすぐに口の中の粘膜なんて破れてしまって、口内には血の味が溢れました。

それでも、そうしないとオレは耐えられませんでした。仁美の覚悟が、オレには痛くて。


「死ぬなら護朗ちゃんの側が良いな。でも護朗ちゃんが嫌なら、私は自殺でもするよ。なんでもする。死因が護朗ちゃんじゃないって言い切れるように、寿命が近くなったら自分で死ぬよ。」


「ダメだ!オレは、仁美に生きてほしいんだよ!」


なんてことを言うんだろう。

微笑んで、死ぬなんて、言わないでほしい。

そんなことさせるくらいなら、今離れてほしい。別れてほしい。…ごめんなさい、嘘つきました。

別れたくないです。離れたくなんて、離れるなんて、絶対に嫌だ。


……こんなことなら、ヒーローを


「護朗ちゃん、馬鹿なこと考えてるでしょう。」


…ほほえみから一変して鋭い視線を投げかけられます。

内心が見透かされているようで、オレは今度は唇を噛み締めます。眉が情けなく下がっていくのを止められません。


「護朗ちゃんは決めたんでしょう。私は、それを犠牲にしてほしくない。でも、護朗ちゃんの家族になりたい。だから、良いの。良いんだよ、護朗ちゃん。」


荒れ狂う嵐のようなオレの心の内は、ぐちゃぐちゃに掻き混ぜられてどうしようもありません。

何か反論したくて、でもそれが出来なくて、オレはその感情を、ついに涙として流してしまった。

かっこ悪いです。彼女の前では、もう何度も見られているけれど、泣いているところは見せたくないものです。

ああ、鼻水も一緒に垂れ流しです。顔をそむけたいのに、彼女の目線がそうはさせてくれません。


「…でもね、護朗ちゃん。ごめんね。後悔するよね。でも好きなの。」


好きになって、離れたくなくて、ごめんね、と彼女は泣きました。

オレの醜い泣き顔なんか比べるのもおこがましいくらいそれは綺麗で、ああ、と思いました。


源護朗は、一木仁美に陥落しました。





あと1話で第一章終了です。

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