3.夢から覚めたので即行逃避します
最悪の目覚めを経験しました。
これまでに経験したことのないような胃痛がオレを襲っています。ああ、よし離れなくては。
愛しい彼女から、離れなくては。
「…ごろーちゃん…?」
そっと起きたはずなのに、彼女がオレの名前を呼んで頭をもたげました。
ぼんやりしている彼女の顔色が悪く見えて、オレの小さな肝は潰れそうです。
「ごめん、起こして。ちょっとトイレ。」
無理やり笑ったオレの言葉でも納得できたのか、彼女はうん、と小さくつぶやいて枕に沈み込みました。
白い肩が剥き出しになっているのが気になって布団を掛けたいですが、もうオレは彼女に近付きたくない。
近付きたいのに近付きたくないのです。ああ、吐きたい。
朝っぱらから死にたくなってきました。
これは昔、人殺しと呼ばれたとき以来…いや、それ以上かもしれない。オレにも防御機構というものがあって、その時のことはあまり正確に思い出せないものですから…でも似ています。あの時の痛みと、とてもよく似ています。
とりあえずハンガーにかけていたヒーロースーツ一式を身につけて上からコートを羽織り、彼女の部屋を飛び出しました。
自称神様の言うことは信じたくはありません。でももし本当だったら、と考えるとおちおち誰にも近づけません。
神様が言うには、オレの毒性は放射能より低いそうです。ゆっくりと蝕む毒だそうなので、1日2日で大きく影響を与えるわけではないですが、10年20年と長い年月一緒にいると、次第にその体の働きを衰えさせていく――父と母も、オレが生まれて20年は一緒にいたわけですから、辻褄が合ってしまいます。
本格的に死にたいです。でも死ぬのは怖いです。死にたい死にたいとよく口に出してしまうオレですが、死にたくはないのです。
オレは、こんなオレでも、生きていきたいのです。
なんか泣けてきた…。
ずびっ、と鼻をすすると、冷たい空気が鼻腔に入ってきました。
ここはオレの故郷の町で一番高いビルの屋上です。寒風吹き荒ぶ今の時期、ここを訪れようという人間は皆無です。
幸いというべきなのか、オレの毒は範囲がそこまでではないらしいので、たぶんこのビルにいる人たちにも届いていないと思いたい。…いや、やっぱりやめよう。もし違っていたらオレは死にたくなる。すでになってるけど。
ふわふわ、と飛び上がり、オレはまっすぐに上昇を続けます。
コートが風にあおられて、きつい寒気が首筋を撫でていきます。
ヒーロースーツはさすが国家予算で作られているというか、防寒も完璧です。ただ、首はマスクをしないと隠れないので寒いです。
でも普段マスクをすると人目に付くし、第一痛い子です。まあ世間でもコスプレとしてそれなりにネタになっているそうなので、誰も本人とは思わないでしょうが…。
っていうか、今マスクつけても大丈夫じゃないですか?すでに町はパノラマです。
ポケットから取り出したマスクをかぶり、首元まですっぽりと包まれて、やっとあたたかくなりました。
素敵です、防寒。
というか、マスクをつけるということすら脳内にないくらい、今のオレはパニクッているということですね。
「……涙と鼻水でマスクが気持ち悪い……」
あったかいのは良いことですが、大変べちょべちょです。
いい加減とまれ、とは思うのですが、なかなか止まりません。
鼻の下を伸ばしたり縮めたりして気を紛らわせていますが、あんまり効果はなさそうです。さっきまでマスクなしだったので、もしかしたら地表にいる皆さんにしょっぱい雨を降らせていたかもしれません。局地的に。さーせん。
……あれ、もしかしてオレの体液も有害だったりするんでしょうか。そのへん自称神様に聞いていませんでした。
ダメだ、ちょっとエベレストあたりのてっぺんにこもろうかな。
いや、どこの悲劇のヒロインか。
そもそも、こんなに苦しいなら能力なんて全部捨てちまえ、と思います。
自称神様も消せる、って言ってましたし。
でもおこがましいことに、オレはこの能力が消えるのを恐れています。そして、その能力が毒であることも恐れています。
だって、オレはこれまで知らなかったとはいえ、身近にいる人間を害し続けていたのです。知らなかった、が免罪符になる問題ではない。
それを明かすか明かさないかはオレの判断にゆだねられていますが、小心者の俺はきっと許しを請います。
彼女にも、家族にも。少なくとも、オレがイレイザーをやっていると知っている人間にはごめん、というでしょう。
その時、どんな目をされるか恐ろしい。
受け入れてもらえなかった時のことを考えると、心臓が大きく跳ねるのです。怖くて怖くて、どうしようもない。
そして、もし能力がなくなったら、と考えるのも恐ろしい。
オレはこの能力がなかったら、ただの人です。オレがただの人になったら、どんな影響を世界に与えるか。
せっかくここまで折り合いをつけてやってきたのに、すべてが無駄になります。そして誰も守れない。護朗の名が泣きます。
もっと言うと…この能力のないオレが想像できない。
オレはこの能力あってのオレで、そうでないオレは必要なのか、とすら考えてしまいます。
なんだかんだ言っても、オレは世界に必要だったのですから。大量殺戮をしていても、オレはオレに誇りを持っていた。
必要とされなくなったら、と考えるのも怖い。後悔するのも怖いです。
だから今こうして、能力はそのままに一人きりになれる宙に浮いているわけです。
いつまでもこうしているべきではないのはわかっています。何も伝えずに出てきてしまった彼女は、きっと心配している。
たまに仕事の関係で何も言えずに出ていくってことはありましたが、昨日の今日でこれは心配するに違いありません。
それに、ヒーロー業もほっぽり出すわけにはいきません。どちらも、放置してはおけない。
どうしようかなぁ、と途方に暮れた呟きを誰に聞かせるでもなく吐き出した時です。
ピロピロピロ、と懐…というよりコートのポケットに入れていた携帯が鳴り始めました。
照れくさくて着うたなど使えず、ずっと初期設定を貫いてきたオレの携帯。これでも衛星電話でもあるので、こんな上空でも機能します。少なくとも地球圏内なら。
出たくない。でも画面に表示された名前は…仁美。
「……もしもし?」
『護朗ちゃん!…よかった、気付いたらいなくて心配した…。』
ほっとした声は今のオレには毒です。
ちょっとずつ治まっていた涙がまた流れてマスクに吸い取られます。気持ち悪いです。
「ごめん…急に、呼び出しが…」
『起こして言ってくれればいいのに。別に怒んないよ、いくら睡眠大好きな私でも。』
言外に、昨日した約束が守れなくても、と言われて、オレは歯を食いしばりました。
その約束を果たせる日は来るのだろうか。
「…うん。ごめん、もっと話してたいけど…」
『あ、ううん、ごめんね。じゃあまた…お仕事終わったら、連絡ちょうだい?』
「うん。じゃあ…」
何か彼女が言った気がしました。
それを聞かないうちに耳を離して、オレは電源ボタンを押します。
けれど、耳のいいオレには彼女の言いかけた言葉が聞こえてしまった。だいす、とまで聞こえた。
これがサイコロのことだったら謎は謎を呼ぶ展開ですが、十中八九彼女はオレに気持ちを伝えようとしてくれてました。
うぐぅ、と喉が鳴ります。
かっこ悪いのは重々承知ですから黙ってください消すぞ。




