第8話:思いの外油断ならぬ女だった。
「ところであなた、今更だけど名前はなんていうの?」
カスタニエ王国の騎士ダンジェが用意した馬車に私とアキヒト、それにエメルダの3人で乗り込んだ。馬車に揺られていると向かいに座るエメルダが、アキヒトの隣に座る私に問いかけてきた。
確かに今更だが、名乗るタイミングも無かったし、アキヒトも人前で私の事を、神様と呼ぶのはひかえている様じゃ。だが何をはばかる事があろう。
「神様じゃ」
と平然と名乗った。変な偽名などを名乗るつもりはない。これは私のアイデンティティに関わる問題なのじゃ。
じゃが無礼にも、エメルダは怪訝な顔で再度問いかけてきた。
「たいそうなあだ名ね。まぁいいわ。あだ名は親しくなったら呼ばせて貰うとして、本名はなんて言うの?」
「だから神様じゃ」
すました顔の私と、危ない奴を見るかの様な少し強張った顔のエメルダとの睨みあいはしばらく続いたが、エメルダは視線を逸らしアキヒトへと向けた。その視線による問いかけに、アキヒトは小さく頷く。
エメルダはまた私に視線を向けると、理解しがたいものに遭遇した心境なのか、困っている様な怒っている様な複雑な表情をして、無礼な一言を発した。
「あなたのご両親のネーミングセンス、絶対におかしいわ」
やかましいわ! 相変わらずムカつく女じゃな。まぁ私が本当に神様である事は、いずれゆっくりと言い聞かせてやるとしよう。
だが今はまだ早い。今回は付いてきてはいるが、何せまだアキヒトのハーレムに入る事も確定したとは言いがたい。もっとも今後も魔物退治巡りをする予定なので、昨日のエメルダの様子では、同行したいと言うのは間違いないであろうがの。
こうして、時に他愛も無い事を喋りながら日中ずっと馬車に揺られたが、当然カスタニエ王国には一日では着かない。ダンジェは町まで一日で来たが、それは夜も駆け、馬を乗り換えての強行軍なのだ。
日が暮れると、先行していたダンジェの従者が取った宿へ入った。だが夜になると、サル、もといアキヒトが襲ってくる可能性がある。
昨日の夜は、アキヒトが迫ってきて私の各種「設定」が発動してにっちもさっちも行かなくなる前に先手を打って、
「いくら私がハーレムを作れと言ったとはいえ、他の女を抱いたその日に私を抱くつもりはないじゃろ?」
と冷たく言い放って事なきを得たが、今日はそうは行くまい。
アキヒトが迫ってきたらどうやって防ごうか。いや、もしかしたらアキヒトはエメルダの方に行くかもしれん。……う~ん。それはそれでムカつくな。
神として人間であるアキヒトにいいようにされ痴態をさらす事への抵抗と、アキヒトの彼女として他の女にアキヒトを盗られる事への抵抗との板ばさみに悩んだ私だったが、思わぬ救いの手が現れた。
先行していた従者からなにやら耳打ちされたダンジェは、その従者に対して
「馬鹿者! すぐに用意しろ!」
と怒鳴ると私達へと申し訳なさそうに顔を向けた。
「申し訳御座いません。実は……エメルダ殿が同行するとは思っていなかったと申し、部屋の用意が一つ足りません。すぐに用意させますのでしばらくお待ち下さい」
一瞬で状況を把握した私は、尽かさずダンジェに向かって笑顔で言葉を発した。
「いや、構わん。突然同行者を増やしたのはこっちの都合じゃ、私とエメルダは同室でよい」
エメルダと同室ならばアキヒトは部屋に来ても何も出来ないだろうし、エメルダがアキヒトの部屋に行こうとするのも監視出来るからな。
アキヒトは、え? という表情で私を見、エメルダは舌打ちしそうな表情で私を一瞥する。ダンジェはほっと安堵の溜息を付き、表情を和らげた。
「そうですか。大変申し訳ありません。ありがとうございます」
「いやいや、あまり無理を言う訳にも行くまい。この後の宿もずっと私とエメルダは同室で良いぞ。なにせ1人増やしたのはこっちの都合なのでな」
見る見る残念そうな顔になるアキヒトと、さらに険しい表情になるエメルダを無視してダンジェにさらにそう述べると、ダンジェは和らいだ表情のまま、うんうん、と頷いた。
「それは助かります。なに王国までは後2日です。それまではご不便かとも思いますがよろしくお願いします」
こうして自分の身を守る事とエメルダへの妨害に成功したと喜び、その後出された晩餐に舌鼓をうって料理を楽しんだ。そして風呂に入って湯船に浸かる。
風呂というものに入ったのはこの世界に来て初めてで、当然生まれてからも初めてなのじゃが、中々良いものではないか。実体というのもやっぱり良いものじゃな~。
だが、エメルダを妨害できたからと言って喜んでばかりは入られない。妨害ばかりしていてはハーレムに入って貰えんかもしれん。ハーレムに入っても何も無いのでは話にならんからな。うーん。ジレンマじゃ。
だがそれもまだ先の事よ。とにかく今日は素直に喜んでおこう。
ご飯も食べ風呂にも入った後、あてがわれた部屋のベッドに寝転がり、ゆったりとした時間を過ごしていた。
退屈に耐性の無いアキヒトは、きっと暇で死にそうになっているに違いあるまい。まぁそういう世界に来てしまったのだから、諦めて暇なのにも慣れる事じゃな。そうすれば私も昼間に襲われる事は無くなるかも知れん。
こうして退屈に耐性のある私はずっとまったりしていると、不意にエメルダが部屋に入ってきた。エメルダも風呂に入って来た様で髪が濡れている。そしてベッドの上に横たわる私の横に座った。そして寝そべる私を見下ろす。
「ちょっといい?」
「なにがじゃ?」
「聞きたい事があるのよ」
ふむ。なんじゃろうな。
「まぁ構わん」
「アキヒトとあなたの関係ってなんなの? 始めは普通に彼氏と彼女なのかと思ったけど、あなた昨日ワザとアキヒトに私を抱かせたわよね? まさかそういう趣味なの?」
見下ろすエメルダを、寝そべったまま見上げて答える。
「趣味って?」
「世の中には、自分の相手を他人に抱かせたり、他人を抱かせたりして喜ぶ人が居るじゃない? あなた達そうなの?」
「ほう。世の中にはそんな者達がおるのか。じゃが私はそうではないな」
するとエメルダは屈んで私に顔を近づけてきた。そして探る様な目で私の目を覗き込む。
「そうよね。今日は私の邪魔をしようとしているみたいだし。昨日は良くて今日は駄目な理由はなんなのよ?」
昨日と今日の違いは、はっきり言って気分の問題というか、昨日は止むを得なかったが今日は我慢できないというか、それだけの事なのだが、エメルダにしてみれば分からん話か。
「とりあえず納得できる様に説明して貰えるかしら? けしかけられる様なマネをされたと思ったら今度は邪魔してくるなんて、気分が悪いわ」
うーん。結構目がマジじゃな。もう少し様子を見てから話すつもりじゃったが、止むを得んか。
「お前は私の親のネーミングセンスが悪いといったが、神様という名は親からつけられたものではない。言うなれば私という存在の名じゃ」
「存在の?」
「そう。私は神様という名前の人間ではなく、事実神なのじゃ」
私の言葉にからかわれたと思ったのか、エメルダの顔が険しくなり、口を開こうとしたが、手を上げてそれを制した。
「とりあえず黙って最後まで聞け」
眉をひそめさらに険しい顔になったものの、口を噤んだエメルダに話を続けた。
「アキヒトはこの世界の人間ではない。別の世界の人間じゃ。それを私がこの世界に連れてきた。そしてその時に3つの願いを叶えてやった」
「3つの願い」
「そうじゃ、そしてその一つがお前も見た、あのドラゴンを一撃で倒した力じゃ。それ以外にもあわせて色々と与えてはおるがな。まぁ、そのおかげでアキヒトは、この世界では無敵のはずじゃ」
「まさか……でも……それなら……」
真っ向から否定されて、説明には苦労すると思っていたら、意外にもエメルダは考え込み頭の中で私の言葉を反芻している様じゃ。
「どうした? 何か思い当たる事があるのか?」
「私は魔物には詳しいの。世の中には強い魔物は幾らでも居る。五色のドラゴン以外にも今の世には倒せる者が居ないといわれている魔物は沢山居るわ。でも、それでもやっぱり五色のドラゴンは別格。比べ物にならない。アキヒトはそれを一撃で倒した。でも私はアキヒトの名前を一度も聞いた事が無い」
「まぁ、そうであろうな」
「私は魔物だけじゃなくて、強い戦士や勇者、魔法使いにも詳しい。でもアキヒトの名前は知らなかった。今までまったく無名なのに突然現れたの。それも単に他の者と比べて強いってものじゃない。「居るはずの無い」五色のドラゴンを倒せる者なのよ。しかも一撃で。それが現れた。まるでどこかから突然現れたかの様。それに……」
「それに?」
「怒らないで聞いてちょうだい。昨日アキヒトに抱かれた時、不思議に思った事があるの。とても鍛えている人間の身体じゃないって。戦士や勇者は勿論、魔法使いだってある程度鍛えるし、精神鍛錬の為に修行するわ。でも、アキヒトの身体は精々普通の男の子。いえむしろ貧弱だったわ。それで、どうやってあの強力な魔法を習得できたの?」
「それは、アキヒトが修行で身につけたものじゃなくて、私が与えたものだからじゃな」
寝そべる私と座って覗き込むエメルダは見つめ合う。それはしばらく続いたが不意にエメルダは口を開いた。
「それで、後2つの願いは?」
ぐっ。やっぱりこの話は避けられないか。いや、むしろこっちの話が本題とも言えるので避けようは無いのじゃが。だが、やっぱり話すのはちょっと恥ずかしかったので、寝返りをうってエメルダに背を向けた。
「とりあえず、1つ目は私に理想の彼女になって欲しいと……」
「は?」
「そして、最後の願いは、この世界に私も付いてきて欲しいと……それがアキヒトの願いじゃった」
「はぁ……」
どうやら、もっと壮大というか、世界をどうにかするとか、さらなる強大な力とかを願ったのだと想像していたらしいエメルダが、気の抜けた声を漏らした。
「え~と、それでどうしてアキヒトに私をあてがおうとするの?」
生々しい話となり、「恥じらい」設定が発動し始め、顔を赤らめながら言った。
「アキヒトは私の事を彼女だと思って求めてくるが、私は神様だ。人間にそうそういい様にされる訳にはいかん。だが私は外見だけではなく、心も「アキヒトの彼女」という願いを叶えている。アキヒトに迫られては拒めん……」
「それで、代わりに私の事を抱けっていう事?」
私の背から機嫌を損ねたらしいエメルダの声が聞こえてくる。思わず言い訳っぽく口を開いた。
「別にそれだけではない……。始めにアキヒトにこの世界で何をしたら良いか聞かれた時に、戦って勇者になるのも、国を建てるのも、ハーレムを作るのも好きにしろと言ったら、アキヒトはじゃあハーレムが良いって言うから、そうしているのじゃ」
「確かにアキヒトは、好戦的じゃないし権力者を目指すガラでもなさそうだから、その3択ならハーレムを選ぶでしょうね」
エメルダの声から機嫌を損ねていた感じのものは消えたが、その代わりちょっと呆れている風に聞こえた。
「それで、邪魔するのはどうして?」
「私の心はアキヒトの彼女じゃ。アキヒトが他の女を抱くのはムカつく……」
ハーレム作りを勧めておきながら、他の女に手を出せばムカつくという、私自身支離滅裂と考える言葉に、思わず身を縮ませベッドの上で身体を丸めた。
そしてエメルダも私の言葉に呆れが頂点に達したのか、ふ~~。と声を出しながら大きく息を吐くとベッドの上に仰向けに倒れた。
「神様の考える事は分からないわ……」
うるさい! 私だってこんな状況訳分からんわ! だがそうとは言えず私が黙り込んでいると、不意にエメルダがベッドから降りて立ち上がった。そして廊下へと通じる扉へと向かう。
「どこに行くのじゃ?」
と、問いかける私に、
「ちょっと」
とはぐらかす様に答えて部屋から姿を消す。だが部屋を出る時、私の方を見て微かに笑った気がした。
お手洗いか? とも思ったが、なかなか部屋に帰ってこない。もしや?
慌ててベッドから降りて、部屋も出て廊下を走った。そしてアキヒトの部屋の扉を乱暴に開いた。
「アキヒト! 何をやっておるのじゃ!」
と、部屋に飛び込んだが、部屋に居るのは私の怒声に驚いているアキヒト1人。あれ?
「神様来てくれたんだね!」
私の突然の訪問に驚いていたアキヒトだったが、我に返るとそう言って満面の笑顔で近づいてくる。
「あ、いや。その、なんていうか……」
エメルダはアキヒトの部屋に行ったのだろうという当てがはずれた私が戸惑っている内に、アキヒトは目の前に立つ。そして私を抱き寄せた。
ええ~~~!?
「まさか神様の方から来てくれるとは思ってなかったら、僕嬉しいよ!」
しまった! これはまさかエメルダの罠にひっかかったか!? 慌てて身をよじりアキヒトから離れようとする。
だが、思わぬ私の訪問にテンションが最高潮となったアキヒトの勢いに抵抗できる訳も無い。顎を摘まれ顔を少し上に向けられると、アキヒトは私の唇を塞ぐ。
「ん~~~!!」
そして私を抱きしめたまま、私の背にベッドが来る様に身体の向きを変え、そのまま私を押し倒す。アキヒトの目を見ると欲情に潤んでいる。例によって「設定」が総動員し身動きが取れない私は、私の服を脱がすアキヒトの指を、アキヒトに負けないほど潤んだ目で眺めていた。