年に一度の大イベント『第15回ネット小説大賞』に応募できない。~ 同じ「AI直接使用」でも、作り方の違いが区分に表れることを願って ~
日本最大級の商業化コンテスト!
『第15回 ネット小説大賞』の応募受付が、2026年10月14日から始まりました。
年に一度の大きなイベントです。
私も、自分の作品を参加させたい。
けれど、今回の応募規定では、「AI直接使用」に該当する作品は応募不可となっています。
「AI直接使用」とは、AIが生成した文章を、段落などの連続する文章のまとまりとして、そのまま本文に使っている場合です。単語を変える程度の修正にとどまる場合も、この区分に含まれます。
私は、その使い方をしています。
だから、今回、今のままでは応募できない作品があります。
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今年の六月、私は以下のエッセイを書きました。
◎『「AI利用状況設定」が必須になった。
~このエッセイは、AIが書いたものなのか?~』
https://ncode.syosetu.com/n5874mi/
そこでは、AI利用を明示する取り組みに賛成したうえで、一つの戸惑いを書いています。
三十万字を自分で書いた作者が、読みづらい一段落だけ、AIのリライト案を採用したとする。その作品も「AI直接使用」になるけれど、その表示だけでは、作者が何を作り、何をAIに任せたのかまでは伝わらないのではないか、と。
あれから、私の考えの軸は変わっていません。
AIを使ったことは正直に示したい。けれど、いつか、その区分の中にある制作過程の違いも、分かるようになってほしいと思っています。
そして今回は、その区分によって、私には実際に応募できない作品がある。
六月には表示を見ながら考えていたことが、今度は、応募資格にもかかわる話になりました。
今回の条件には従います。
そのうえで、今後は「AI直接使用」の中にある違いを、区分そのものに反映してほしい。
それが、今回、あらためて書いておきたい願いです。
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私がAIに頼むのは、資料調査や名前の候補出しだけではありません。物語の流れを整理してもらったり、自分の考えた内容から本文のラフを作ってもらったり、読みづらい部分のリライトを頼んだりすることもあります。
そこから全文を読み、台詞を直し、展開を変え、加筆し、削る。提案が合わなければ使わないし、元の文章を残すこともある。
そして、気に入った文章は、そのまま採用することもあります。
だから、本文まで全部自分で書いている、とは言いません。作品によっては「AI直接使用」に当たるので、その区分を設定しています。
今回のコンテストは、その区分の作品を受け付けていない。
参加するなら、その条件を守る。それは理解しています。
ただ、条件を守ることと、その線引きに今後も変わらず賛成することは、別です。
理解していても、残念に思う気持ちはあります。
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自分では、主人公の思いを伝えたつもりだった。
何度も読み返した。それでも、どうもうまくいかない。
そんな文章について、AIの提案を読み、「ああ、こう書けば伝わるのか」と気づくことがあります。
キャラクターの瞳や髪の色が途中で変わっていると指摘されることもあれば、展開が唐突で、読み手がついていけないのではないかと言われることもある。説明の順序を変えた案と、自分の原文を読み比べて、こちらの方が分かりやすいと思うこともあります。
もちろん、提案がいつも正しいわけではありません。読みやすくなっていても、人物の気持ちが変わっていたり、大切にしたかったものが抜け落ちていたりすれば、採用できない。
それでも、自分の文章より、その場面に合っていると思えることはあるのです。
そのとき、応募できるようにするために、気に入った表現を必ず手放すかといえば、私はそうではありません。
コンテストに応募するためだけに、小説を書いているわけではないからです。
自分の力だけで、思い描いたとおりに書ければ、それが一番嬉しい。けれど、今の私の文章力では、十分に表せない部分もあります。
この人物が何を失ったのか。なぜ、そこで手を伸ばしたのか。最後に仲間たちと笑い合えたことが、どれほど嬉しかったのか。
それを、読んでくれる人へ一滴も取りこぼさずに届けたい。
そして、自分らしい物語を、最後まで書き上げたい。
そのために、この文章の方がよいと思ったのなら、私はそれを選びたい。その結果、その作品では応募できなくなるのなら、それは受け止めます。
それでも、残念な気持ちは残ります。
AIの文章を採用した部分も含めて、今の自分が一番よいと思う形に仕上げた作品だからです。
何か月も自分なりに悩み、選び、直してきた作品を、生みの親として大きなイベントへ送り出したかった。
応募できる形に変えることより、今の形で読者へ届けたいと思う。
その選択は自分でしている。それでも、参加したかった気持ちは残っています。
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ただ、文章も、創作の一部です。
このことは、私自身、きちんと受け止めたいと思っています。
例えば、自分で絵を描いたとします。
構図を考え、人物を描き、牛も描き、牧場の背景も塗った。けれど、その中の馬だけは、どうしてもうまく描けない。そこで、一頭の馬をAIに描いてもらった。
出来上がった絵には、自分の考えた世界があります。時間をかけて描いた場所も、たくさんある。
それでも、「全部、自分で描きました」とは言えません。
小説も、同じなのだと思います。
どんな出来事を描くかだけでなく、それをどんな文章で伝えるかも、作者の仕事です。その一部をAIに任せたなら、そこにはAIの関与がある。自分で考えた物語だからといって、その事実がなくなるわけではありません。
コンテストが、本文の表現をどう作ったかについて条件を設けることも、理解できます。
ただ、馬を描いてもらったことで、自分が考えた構図や、自分で描いた人物や背景まで、なくなるわけではない。
AIが担った部分があることと、自分が考え、作った部分があること。その両方を踏まえた区分になってほしいのです。
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AIを使った作品の作り方には、幅があります。
自分のプロットから本文のラフを作ってもらい、全体を何度も改稿する人。
大部分を自分で書き、どうしてもまとまらない一場面だけ、リライト案を採用する人。
もっと広い範囲で文章を手伝ってもらいながら、人物の感情や台詞、結末を自分で考える人。
何を任せ、何を自分で担うのかは、人によっても、作品によっても違います。
もちろん、利用方法によって該当する区分も変わります。また、作者の加筆・修正がない「全編AI生成」作品など、なろうで投稿自体が禁止されるものもあります。
そのことを踏まえても、投稿は認められている「AI直接使用」の作品の中にも、一部の段落だけを採用したものから、もっと広い範囲で生成文を採用したものまで、制作過程の違いがある。
六月に私が戸惑ったのも、この点でした。
今の区分は、AIの文章を本文で使ったことを示しています。けれど、その使い方は様々です。
私は、その違いを、区分として分けてほしいと思っています。
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なろうには、すでに「AI利用に関する備考」の欄があります。そこで、具体的な利用方法を100文字以内で説明することはできます。
けれど、読者全員が、作品情報ページの備考まで読むとは限りません。「AI直接使用」という表示を見て、「AIが作った作品」だと受け取り、備考を読む前に離れる人もいるでしょう。
そして今回のコンテストでは、その備考に何を書いても、「AI直接使用」に該当する作品は応募できません。
極端な話、「自分で書いた長編の、一段落だけ採用しました」と説明しても、応募資格は変わらないのです。
私が思うに大切なのは、作者として、AIにどこまで委ねたのか――。
その違いを、区分の段階で多少分かるようにしてほしいのです。
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もちろん、簡単ではないでしょう。
「苦手な部分だけ助けてもらいました」と言っても、一段落なのか、本文の大半なのかでは違う。採用した量だけでなく、何を任せたかも違います。作者の説明だけで、制作過程を外から確かめられるわけでもありません。
区分を細かくすれば、選ぶ側も、確認する側も大変になる。私は、誰もが迷わず使えて、不正も起こらない分類を、ここで提案できるわけではありません。
それでも、線引きが難しいことを承知したうえで、今の「AI直接使用」を、関与の範囲や制作過程に応じて分けることを考えてほしい。
区分が分かれたからといって、必ず応募を認めてほしいということではありません。どこまでを受け付けるかは、それぞれのコンテストが決めることです。
ただ、その判断をするときに、一部の表現を採用した作品と、広い範囲で生成文を採用した作品は、少なくとも異なる区分として扱えるようになってほしい。
読者にとっても、区分を見た段階で、作り方の違いを知る手がかりになる。
そういう仕組みになったら、嬉しいです。
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私自身も読者なので、他者の作品を読みに行きます。
そして文章のうまさと、物語に惹かれることは、必ずしも重ならないと感じています。文章が巧みだから好きになる作品もあれば、不器用な文章でも、人物や展開から目を離せなくなる作品もある。
だからといって、文章を軽く考えているわけではありません。
その人物や展開を伝えるためにこそ、表現を選びたいのです。
その選択にAIの提案を含めるかどうか。
今の私は、含めてでも、自分の届けたい物語に近づきたいと思っています。
そして、気にかかるのは、コンテストへの応募を目指す人だけではありません。
趣味で、自分の物語を作ることを楽しんでいる人たちのことです。
小説を書いてみたい。頭の中には、好きなキャラクターも、見せたい場面も、たどり着きたい結末もある。
けれど、文章にするとうまくいかない。会話が説明ばかりになったり、場面がつながらなかったり、どこを直せばよいのか分からなくなったりする。
そうして、書くことを諦めてしまった人もいるのではないでしょうか。
そんな人が、AIに手伝ってもらい、初めて一話を完成させたとする。
続きを考え、台詞を直し、気に入らなければやり直す。
仕事から帰って物語を開くのが楽しみになり、少しずつ書き進めて、ようやく結末までたどり着いた。
そうした人たちが嬉しそうに「自分の物語ができた」と言うなら、私は、よかったですね、と言いたい。
AIを使って物語を作る楽しみを得たことまで、後ろめたく思ってほしくはありません。
その人が考え、選び、作った部分もある。
だから、「利用区分」が誰にでも、胸を張って示せるものになってほしいと思います。
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これは、AIを使う側に都合のよい願いなのかもしれません。
自分で文章を磨き、苦手な場面も書き直し続けている人からすれば、「そこも自分で頑張るのが執筆だ」と思うこともあるでしょう。
そもそも、AIを利用していない方にとっては、『しらんがな』という話かもしれません。
その考えも分かります。私も、文章を書く力をつけていきたい。自分で書けることを増やし、知識も身につけていきたい
それでも、今、助けを借りて完成させた作品には、私なりの、その作品として届けたい形がある。
応募資格を得るためにAI部分を書き直すことを選ぶ人もいるでしょう。
私は、気に入った表現を残して、その作品では応募を諦めることにします。
その結果は、自分で引き受ける。
そのうえで、これからも、必要だと思えばAIに助けてもらいます。
コンテストごとの条件を守りながら、いずれ、その違いを扱える区分になってほしいと願い続けます。
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AIを使えば、面白い作品になるわけでも、間違いがなくなるわけでもありません。私自身、提案された文章を選んで使う以上、何度も読み返し、その内容には責任を持たなければならない。
利用区分が細かくなったとしても、それだけで作品の出来が保証されるわけでもありません。
それでも、何を任せ、何を自分で担ったのかを、今より正確に示せるようになってほしい。そして、それを正直に示す姿勢が、信頼につながってほしいと思います。
六月のエッセイで、私は、利用表示がいつか「安心マーク」のようになったらと書きました。
どう作ったのかを隠していない。区分からも、その作り方がある程度分かる。
そのうえで、もっと知りたい人は備考を読み、自分で読むかどうかを選べる。
そんな安心につながる表示になってほしいのです。
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応募できないのは、やっぱり残念です。
けれど、これが今の自分のベストだと思える作品を作ることまで、諦めるつもりはありません。
私は、自分の物語を最後まで形にしたい。
読んでくれる人に、少しでも読みやすく、楽しんでもらいたい。
使ったことは、使ったと書く。
自分で担ったことも、自分の言葉で伝える。
六月には、区分を選びながら「このエッセイを作ったのは誰なのか」と、自分自身にも問いかけました。今も、その答えが出たとは思っていません。
ただ、これから自分がどうするかは、決めています。
AIに任せた部分を隠さず、自分で選んだ文章と、その作品に責任を持つ。
そのうえで、自分がよいと思える形で、読者へ届けていきたい。
そして、願っています。
自分で書いた物語の一部にAIの表現を採用することと、本文の広い範囲をAIに委ねること。さらに、世界観や展開から任せたのか、自分で書いた原稿の表現を整えてもらったのか。採用した範囲と、創作のどの部分を任せたかという違いが、補足説明だけでなく、区分そのものに反映されるようになったら。
助けを借りて完成させた物語を、どう作ったのかも含めて、必要以上に後ろめたく思わずに届けられたら。
正直に示したAI利用区分が、ひとつの『《《安心マーク》》』のように受け取られたら。
そんな日がきたら、本当に、少し嬉しいなと──。
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※このエッセイは、私の考えをもとに、構成の整理と本文のリライトにAIの協力を受けています。AI生成文を連続する文章のまとまりとして採用しているため、「AI直接使用」として公開します。




