第1話「ミアとビアンカ」 ―喉を鳴らす鉄猫
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ゴロゴロ……
「……なに、この音?」
ビアンカは眉をひそめた。
目の前で、黒鉄の猫が喉を鳴らしている。
正確には――スチームバイクだ。
だがフロントカウルはどう見ても猫の顔をしていて、閉じた双眸の奥で、淡い光が揺れている。
ここはローマン共和国北方百キロ。
蒸気石鉱脈の調査途中だ。
蒸気圧は正常。
蒸気核も安定。
それなのに、バイクは動かない。
「故障かしら……?」
エンジンを覗き込むビアンカの背後で、ミアが地面に座り込んでいた。
猫族――ケット・シーの少女。
ツインテールの髪型にパイロットゴーグル、茶色のフライトジャケットを纏っている。
自称発明家のスチームエンジニア
(蒸気技術者)。
背中には試作型スチームパック。
蒸気石を制御する蒸気核。
更に効率よく増幅する小型蒸気原子炉を内蔵した、世間に知られれば騒ぎになる代物だ。
だが当の本人は、左腕のブレスレットを見つめながら、空中に指で何かを書いている。
「ビアンカ、それ故障じゃないわ。」
顔も上げずにミアが言う。
「ただの“喉鳴らし”よ。」
「はあ?」
ビアンカは振り返る。
「機械が喉を鳴らすわけないでしょ。」
この世界に普通の猫はいない。
喉を鳴らすのはケット・シーだけ。
それを――機械が?
「じゃあ首元を撫でてみて。」
「……本気?」
半信半疑で、ビアンカは猫顔カウルの下部を指先で撫でた。
ゴロゴロ……ゴロゴロ……
音が強くなる。
そして。
閉じていた双眸が、ゆっくりと開いた。
淡い光が、まるで焦点を合わせるように瞬く。
ビアンカは、なぜか見られている気がした。
「……えっ、尻尾動いてない?」
テール中央から伸びた黒い排気管――
フレキシブル構造の“尻尾”が、ゆっくり左右に揺れる。
「ほらね。」
ミアが立ち上がる。
「この子、拗ねてただけ。」
「機械が拗ねるって何よ……」
そう言いながらも、ビアンカの胸に奇妙な感覚が残る。
このバイクは、ただの蒸気機関ではない。
エンジン内部には蒸気核の横に、小型リアクターが併設されている。
ミアが作った禁断の増幅装置。
誰にも言えない技術。
誰にも言えない“出所”。
「さ、鉱脈はあっちよ。」
ミアは北東の丘を指差した。
「地図も見ずに?」
「必要ないもの。」
さらりと言う。
ビアンカは小さく息をつく。
三年前、彼女と出会った時から、
ミアは時々こういう目をする。
何かを“知っている”目。
ドルルンッ!!
エンジンが一発でかかった。
さっきまでの不調が嘘のようだ。
「……調子良すぎない?」
「褒められて伸びるタイプなの。」
本気なのか冗談なのか分からない顔で、
ミアは大きなサドルバッグに座り込む。
「さあ、出発!」
バイクが走り出す。
今までにない加速。
「わ、ちょっと! 急にやる気出さないで!」
風を切る。
この世界...ブル・モンドの空は広い。
地球の三倍の重力を持つ星だというのに、人は空を飛び、海を渡り、蒸気で世界を動かしている。
その燃料――
蒸気石...「スチームナイト。」
この新大陸ローマン共和国は、
世界最大級の埋蔵量を誇る。
そして彼女たちは、その鉱脈を探す
スチームハンター。
本来なら、ただの資源調査。
ただの仕事。
だが――
背後で、ミアのブレスレットが一瞬、青く光った。
ビアンカは気づかない。
黒鉄の猫だけが、わずかにライトを明滅させる。
まるで――
何かを認識したかのように。
ゴロゴロ……
それは、機械音ではなかった。
夜。
野営地で眠るビアンカ達の隣で、
鉄の猫は静かに空を見つめていた。
誰もいない方向を。
遥か彼方。
まだ出会っていない“何か”を。
その瞳の奥で、
蒸気ではない、別の光が揺れている。
――この旅は、ただの鉱脈調査では終わらない。
続く。




