8. 愛馬
「んっ…」
「アンネリーゼ様、おはようございます」
目覚めたアンネリーゼの顔をカミラが笑顔で覗き込んだ。
それを見たアンネリーゼは一瞬固まる。
「えっ…」
「はい?」
「貴女…まだ居たの?」
「酷くないですそれ…?」
カミラはアンネリーゼに握られた手を挙げ、反対の手で指差す。
「そうだったわね、ごめんなさい…」
アンネリーゼは気まずそうに頬を掻き、カミラから目を逸らした。
甘えてしまったことが恥ずかしいのもあるが、憮然としているカミラの目を直視出来なかったのだ。
だが、カミラはすぐに笑顔になり、アンネリーゼを真っ直ぐ見つめた。
「良い夢は見れましたか?」
「ええ、おかげさまで久しぶりにいい目覚めだわ」
その言葉を聞いたカミラは笑顔で頷き、アンネリーゼの両手を取って優しく包み込んだ。
「ふふっ…それは良かったです。
あの、アンネリーゼ様…私には大したことは出来ないかもしれませんが、辛い時や悲しい時は無理をしないでくださいね…私は絶対にアンネリーゼ様をお一人にはさせませんので」
「ありがとう、頼りにしてるわ」
「なら良かったです…」
二人は見つめ合い笑い合ったが、アンネリーゼはすぐに挙動不審になった。カミラはそれを見て首を傾げる。
「どうかしましたか?」
「カミラ、ごめんなさい…貴女、仕事は大丈夫?ずっと私に付いていてくれたけれど、残ってる仕事とかあるんじゃないの?」
「ああ、それなら大丈夫です。他の侍女がアンネリーゼ様が眠られてすぐに戻って来ない私を探しに来たんですけど、アンネリーゼ様が私の手を握って寝てるのを見て残りの仕事を代わってくれたんです」
「その娘には悪いことをしたわね…」
「持ちつ持たれつでやってるんで心配しないでください。次は私が代わってあげれば良いんですから」
カミラはそう言うと、むんっ!と袖を捲って力瘤を見せてにっこりと笑う。
「貴女の細い腕だと何だか心許ないわね…」
「いや、5歳のアンネリーゼ様に言われましても…」
「それもそうね…たぶん、17歳の私よりも今のカミラの方が力がありそうだわ。私、力仕事なんてしたこと無かったし…」
「それは言い過ぎじゃぁ…いや、ありそうですね」
そう言って二人はまたも笑い合う…今この時を忘れないように、少しでも楽しい記憶を残せるようにと、どちらともなく冗談を言い合い笑った。
ひとしきり笑ったあと、アンネリーゼは指を鳴らして防音の魔法を展開する。
カミラから心配そうな視線を感じアンネリーゼは首を傾げた。
「どうかしたの?」
「いえ、そんなに頻繁に魔力を使って大丈夫なのかなと…」
「んーっ…あまり良くはないんだけど、今はまだ私が外に出られないじゃない?それに、このくらいの魔力はすぐに溜まるわ。必要な時には使わないと、何処から話が漏れるか分からないしね…」
「確かにそうですね…。では、外出許可が降りた時の為に、私も外で話が出来そうな場所を探しておきますね」
「ええ、お願いね」
任せてください!と胸をドンと叩くカミラに苦笑した後、アンネリーゼは自分の頬を両手で軽く叩き気持ちを切り替えた。
「あのねカミラ…オイレンブルク侯爵に会うにはどうすれば良いと思う?」
「えっ…外務卿のオイレンブルク侯爵ですか?何でまた…」
「ええ…貴女は知らないだろうけれど、オイレンブルク侯爵家は古くから諜報活動も担っていて、情報収集を依頼したいのよ」
カミラは腕を組み悩んだが、首を振って肩を落とす。
「すみません…今すぐにというのは思い付きません…」
「今すぐでなければあるってこと?」
「ありますよ?」
アンネリーゼはその言葉に目を丸くする。
正直藁にもすがる思いで尋ねたにも関わらず、自分が思いも付かなかった方法を事もなげにあると答えたのだ…しかも、それが信頼しているとは言えカミラなのだから驚くのも無理はない。主人思いだが何処か抜けたところがあり憎めない可愛い存在…それがカミラに対するアンネリーゼの正直な評価だ。
「えっと…本当に?」
「あ…信じてませんね?」
アンネリーゼはジト目で睨まれ素早く目を逸らす。
「いえ、そんなことは…」
「ふふーん!聞いて驚いてください!断言しましょう!7歳まで待てば機会が訪れます!」
カミラが断言し、一瞬の間を置きアンネリーゼはベッドから飛び起きた。
「な、なんですってー!!?」
「根拠が知りたいですか?」
「ええ、それはもう!」
目を輝かせるアンネリーゼを見て、カミラは鼻高々だ。
恐らく、実際に鼻が高くなっていれば天井を突き破っていただろう。
むふふと笑いながらカミラが人差し指を立ててアンネリーゼを見る。
「オイレンブルク侯爵領は皇室に何を納めています?」
「馬ね…」
「そうです!皇帝の子は7歳になると侯爵家から馬を贈られるのです!」
馬は重要な移動手段だ。外交で他国に向かう際の移動手段としてはもちろん、騎士も乗り、商人は荷馬車を引かせるのにも使う。
オイレンブルク侯爵領は帝国一の馬の一大産地でもあるのだ。
そのため、オイレンブルク家は皇族が乗る馬も繁殖・育成しており、その子息・子女が7歳を迎える年の春に、調教を施した3歳になる馬を贈っているのだ。
ーーああ、そうだったわ…何故忘れていたのかしら…。
「わわっ!どうされましたか!?」
アンネリーゼが悲痛な表情を浮かべ、カミラが焦って顔を覗く。
それに気付いたアンネリーゼは苦笑し、首を振った。
「私もね、前の人生で侯爵家から一頭の白馬を贈られたの…人懐っこい子でね、私が撫でるといつも顔を寄せてくれて本当に可愛い子だったの。でもね、放牧中に脚の骨を折ってしまって安楽死処分になってしまったわ。
その頃まだ10歳だった私は、馬が脚の骨を折ってしまうことの重大さが理解出来ていなくて、何で殺すのってお父様に泣いて我儘を言ってしまって…。
それがトラウマになったのね…その後は自分の馬は持たないようにしたの…あ、でも馬車は乗ってたわよ?本当はそれも嫌だったけれど…」
そう言って弱々しく笑うアンネリーゼの表情は、ままならない事もあると言いたげだ。
馬は身体が大きく心臓の力だけでは全身に血液を循環させることが出来ないため、歩いたり走ったりすることで蹄がポンプの役割をし、血液を心臓に送り返している。
馬にとって脚を骨折するということは、その機能が阻害されてしまい壊死を引き起こす原因となってしまい、そうなってしまえば馬は苦しみ死ぬことになるため、苦しませぬよう安楽死させる。
それを知ったからこそアンネリーゼは馬に乗ることを忌避していたのだ。
「申し訳ありません…」
「どうして貴女が謝るのよ…仕方のないことだわ」
俯くカミラを抱き寄せ、アンネリーゼは顔を覗く。
「私、今回も馬を貰うわ」
「…良いのですか?」
申し訳無さそうに尋ねるカミラに微笑み、アンネリーゼは目を伏せる。
「今いる馬ってね、人と共存しなければ生きていけないのですって」
「そうなのですか?」
「ええ…脚の速い馬同士で子供を作らせたり、力の強い馬同士で子供を作らせたりして、品種改良されてきたのが今いる馬達だそうよ。
だから、馬を産ませ育てる人達や馬を使う人達がいて、そうすることでその人達は生活しているの。
私には第一皇女としてその言葉や行動に責任があるわ…。
私が嫌だからと否定してしまえば、その人達の収入源を奪ってしまうことになる…そんなの、私のエゴでしかないわ。
だから、私は馬に乗るの…馬に生きてもらうために乗って、馬で生活している人達のために乗るの」
「アンネリーゼ様…」
アンネリーゼは物言いたげなカミラに笑顔を見せる。
自分はもう気にしていないと、心配するなと伝えたくて笑う。
「ふふっ…7歳になる前に、お父様に侯爵領に馬を見に行きたいってお願いしてみようかしら!贈ってもらうのではなく、今度は私から迎えに行ってあげたいもの!」
今度迎える時は放牧時に怪我をしないように気を付けよう、前世で可愛がれなかった分たくさん愛してあげようと、アンネリーゼはまだ見ぬ懐かしの愛馬に想いを馳せた。




