75. 責任
アンネリーゼは宣言通り半刻程で目覚め椅子に座り直すと、回復した男の手を取り微笑んだ。
「調子はどうかしら、貴方達も知っての通り私は普段殆ど魔法を使わないから加減が出来なくて…まだ痛むところはある?」
男はアンネリーゼが寝ている間に着替えたのか、全身を覆っていた包帯は既に無く、血の付いていない清潔な服を着ていた。
だが、見えない箇所にまだ傷があるかもしれないと思い、アンネリーゼは念の為確認する。
「殿下が回復してくださったおかげで怪我をする前より調子が良いと思えるほどでございます…この度は私などのために長年貯められた魔力を…」
「自分の事を「など」と言って卑下しては駄目よ…貴方は危険な任務を見事に果たし、怪我はしたけれどこうして生きて戻って来てくれた…とても立派だわ。
魔力なんてしばらく使わなければ勝手に回復するのだし、貴方が気にする事ではないの…だからもう頭を下げないでちょうだい」
ベッドの上に座り直し深々と頭を下げた男の肩に手を置き、アンネリーゼは優しい口調で諭す。
男は自身を労うアンネリーゼの言葉に肩を震わせ、声を殺して涙を零した。
アンネリーゼは涙する男の手をしばらく握り続け、落ち着くのを待ってもう一度微笑んだ。
「私、まだ貴方の名前を聞いていなかったのだけれど教えてくださらない?」
「ドミニクと申します」
「ドミニク、私は貴方の忠義と誠実さに最大限の感謝と敬意を表します。しばらくは身体を休め、またこの国のため尽力してくれる事を願っていますわ」
「勿体無きお言葉でございます…帝国と殿下のため、必ずや職務に戻りより一層精励いたす所存でございます」
「ええ、期待しています…では、あまり長居しては貴方もゆっくり休めないでしょうし、私はこれでお暇させていただきます。滞在中にまたお見舞いに伺いますわね」
ドミニクが立ち上がり見送ろうとしたが、アンネリーゼはそれを手で制し、無理はするなと苦笑し部屋を出る。
コンラートもドミニクに一言二言、労いの言葉をかけてアンネリーゼに続いて部屋を後にした。
「レヴィ達を待たせてしまったわね…」
「ご無理をなさるからです…とは言え、ドミニクを救っていただき感謝いたします」
「ああいう無理ならいくらでもするわ…もう後悔するのなんて真っ平ごめんだもの」
「周りをもっと頼っていただけると助かります」
「そうね…皆んなのおかげで多少は余裕があるし、もっと頼らせてもらうわ。
さてと、じゃあレヴィ達のいる離れまで案内して貰えるかしら?」
「はい、ではこちらへ」
アンネリーゼはコンラートの配下達に労いの言葉をかけ、レベッカ達の待つ離れへと向かう。
離れに着くと中から明るい声が聞こえ、アンネリーゼは笑みを浮かべる。
「楽しそうで何よりだわ」
「はい…こちらに来てから気丈に振る舞ってはおりましたが、彼女のレベッカ王女殿下への想いをわたくしもひしひしと感じておりました。
初めこそベルタンの王族付きの侍女をこちらで預かる事に不安を感じておりましたが、今日レベッカ王女殿下と直接お会いし、それも杞憂であったと安堵致しました」
「そうね…でも信用し過ぎては駄目よ?例え私が相手でも必ず疑いを持ち続けなさい」
「心得ております」
「ふふっ、そう言って割り切れる貴方だからこそ信頼に値するわ」
「恐縮でございます」
アンネリーゼは嬉しそうに笑い、コンラートが開けた扉を通り明るい声が聞こえる方へ歩を進める。
部屋の前に着きノックをすると、扉を開けたカミラがアンネリーゼの表情を見て首を傾げた。
「アンネリーゼ様、お疲れですか?」
「よく分かったわね貴女…そう、私は非常にお疲れだから早く部屋に入れてくれない?」
「あ、そうですね」
カミラに案内され部屋に入ると、アンネリーゼを見たエマが深々と頭を下げた。
「アンネリーゼ殿下、この度はベルタンの人間である私を救っていただき誠にありがとうございました」
「元気そうで良かったわ。不自由はしていないかしら?」
「はい、オイレンブルク卿にも良くしていただき、何不自由無く過ごさせていただいております」
「それはそうよね、私の頼みを無碍にして貴女を冷遇なんてしたら、怖〜い皇女様から何を言われるか分からないもの…ね、コンラート?」
「はい、首が飛びかねませんからな」
「あら、それはどちらの意味で?」
「どちらもです」
「分かってるじゃない…まあ、そんな事やらないけれど」
アンネリーゼはくすくすと笑ったが、室内には微妙な空気が流れている。
物騒な会話であったというのもあるが、アンネリーゼならばやりかねないと思い皆一斉に沈黙したのだ。
皆のそんな反応を見たアンネリーゼはガーランドを睨み付ける。
「な、なんで俺だけ睨むんですか!?」
「貴方はいじりやすいからよ」
「そんなぁ…」
ガーランドが肩を落とすと、エマの隣りに座っていたレベッカがくすくすと笑った。
「本当、貴女達のやりとりにも慣れて来ましたわ」
「堅苦しいのよりはマシでしょう?」
「ええ、私もそう思います…貴女がそのように裏表の無い方でなければ、私はエマが本当に無事なのかずっと疑っていたでしょう」
「約束は守ると言ったでしょう?」
「はい…ですが、実際にこうしてエマの無事な姿を見せていただくまでは信じなかったでしょうし、今のように笑い合えていたのか分かりません。
アンネ…エマを救っていただいた事、私は生涯忘れませんわ」
レベッカに頭を下げられたアンネリーゼは、改めて礼を言われた事に少し困って頬を掻くと、気恥ずかしさを誤魔化すように胸を張った。
「お、恩返しを期待しているわ!」
「恩の押し売りですか…まあ、いただいてしまった事は事実ですからちゃんとお返しいたしますわ」
「倍返しでお願いね?その代わり返済期間は無期限にしておいてあげるわ」
「ふふっ、ありがとうございます…本当に貴女はお優しい方ですわね」
レベッカは無期限という言葉に目を瞬かせると、その意図に気付き可笑しそうに笑った。
アンネリーゼが返済を求めているのはただのポーズであり、実際は見返りなど求めてはいない…要はただの照れ隠しだ。
「だ、だってこれだけの事をしてあげたんだし何で返すか考えるのに時間がかかるでしょ?」
「ええ、そうですわね…そう言う事にしておきますわ」
レベッカに笑われアンネリーゼは顔を背けると、カミラと目が合った。
「な、何よ…貴女も揶揄うつもり?」
「いえ、何故お疲れなのかまだお聞きしていませんでしたので」
「あら、流石に旅の疲れが出ましたか?」
アンネリーゼは意外そうに尋ねるレベッカに首を振り、コンラートを見た。
コンラートが話しても構わないと頷くと、アンネリーゼは先程まで何をしていたかを皆に語った…もちろん書類に関しては隠している。
「そのような事が…その方が助かり安心いたしましたわ」
「まあ、間諜なんて危険が付きものだし貴女が気に病む事では無いわ。私達だってそんな輩がいれば捕らえるし、最悪消す事だってあるもの…とは言え、回復が間に合って良かったわ」
アンネリーゼがチラリと見ると、コンラートは申し訳なさそうに頭を下げた。
「お手数をおかけしてしまい申し訳ございません…」
「幸い今回は間に合ったんだから別に良いわよ…。
ただ、暗殺者の件を黙っていた私が言うのはおかしな話だけれど、ああいう時はちゃんと言いなさいね…私の指示で誰かが生命の危機に瀕したのであれば、それに対処するのは直属の上司である貴方の仕事だけれど、責任を取るべきは指示を出した私なのだし当事者が知らなかったでは済まされないわ。
今回は助かったから良かったけれど、もし彼に家族がいた場合、何かあれば遺族への説明もその後の生活の保証も貴方に指示を出した私が責を負うべきでしょう?」
「はい、肝に銘じます」
「貴方に無茶な頼み事をしているのは承知の上だし、何かあれば必ず私の名前を出しなさいね、貴方に対する責も私が負っているんだから」
「お心遣い感謝いたします…」
「自分一人で必要以上に抱え込むより、自分には責任を取ってくれる者が付いていると思った方が気が楽でしょ?これからは貴方も気楽になさい…気を張り詰め過ぎていては碌な事にならないわよ」
コンラートが頭を下げると、アンネリーゼは満足気に頷き紅茶を飲む。
それを見ていたレベッカはくすりと笑い、労うようにコンラートを見た。
「流石のオイレンブルク卿もアンネの前では形無しですわね…良い方に仕えられましたね」
「自身の未熟さを思い知らされお恥ずかしい限りです…」
「責任逃れをする者も少なくない中、ここまで言い切れる方は貴重です…ベルタンにもアンネのような方がいれば違う今があったのかもしれませんね」
「ふん、そんなの今更でしょ…貴女が生まれる遥か前の事にまで責任を感じる必要は無いわ。
自分の与かり知らない過去なんていう無意味な事でいたずらに悩むより、これから自分が何を成すべきかを悩んだ方が余程建設的だわ」
アンネリーゼは自らの生きる指針としているレオンハルトの教えを思い出しつつレベッカを諭す。
「ええ、承知しておりますわ…そのために貴女に会いに来たのですから」
「それで良いのよ… 私はこの国を守るため、貴女はベルタンの在り方を変えるため、将来に悩んで行動に移すからこそ人は生きていると言えるんだもの」
「あら、深い言葉ですわね…」
「レオンハルト先生の受け売りだけどね。
正直あの方に出会わなければ今の私は無かったし、恐らくもっと歪んでいたと思うわ…少なくとも貴女に協力したり馴れ合おうなんて考えなかったでしょうね」
「それはレオンハルト様に感謝せねばなりませんね…出来ればひと目お会いしたかったですわ。ねぇ、ジェラール?」
「はい、私も剣聖様にお会い出来ればと悔やんでも悔やみきれません」
「ふふっ、まさかベルタンの王女と騎士にそんな風に言って貰えているなんて、先生がまだ生きていたら「かっかっか!」とか豪快に笑って喜んでいたと思うわ…帝都に戻ったらお墓参りでも行きましょうか?」
「ええ是非…ですが、まずはリーゼロッテ殿下の馬選びですわね」
「それはそう、大事な大事な一大イベントよ…可愛いリーゼと馬との出会いを見逃すなんて姉として有り得ないわ」
「本当に貴女はリーゼロッテ殿下の事となると気持ち悪くなりますわね…とは言え、私も子馬を見るのは初めてですし密かに楽しみにしておりましたわ」
「それはもう可愛いわよ…ねえ、今私の事を気持ち悪いって言った?」
「言っておりませんわ」
「そう?私の聞き間違いかしら…」
「ええ、気のせいですわ…それより子馬の魅力について教えてくださらない?」
「良いわよ!」
調子に乗ったアンネリーゼは、昼寝から目覚めたリーゼロッテが皆がいない事に気付き泣き喚いている事を報告されるまでたっぷり二刻程ノンストップで子馬の魅力について語り続けた。




