74. 奇跡
コンラートから渡された書類を読み、目を輝かせていたアンネリーゼの表情が徐々に曇る。
記されている内容は帝国を滅ぼすための計画など求めていた情報そのままだったのだが、アンネリーゼはその書類のある違和感に気付き何度も何度も確認し、顔を上げてコンラートを見た。
「これはどういう事…?」
「それが、わたくしにも理解出来ないのです…紙とインクの状態から見るにそれぞれ年代が違うというのに、筆跡が完全に一致しているのです。
通常どんなに似せて書いても不自然な震えが生じますし、筆圧や運筆などがここまで一致する事は考えられません…仮にそれを為せる者がいたとしても、最も古い物で帝国建国時に書かれた物ですから、仮に生きていたとすれば数百歳になるかと…ですが、私はこの筆跡に見覚えがございます」
俯いていたコンラートは顔を上げ、血が滲むほどに強く握り締めた拳を震わせアンネリーゼを見る…その目には疑念と怒りが宿っていた。
アンネリーゼは書類を封筒に入れて近くの棚に置くと、血が滴るコンラートの手を取り魔法で治療する。
「貴方には色々と頼んでいるからいずれ知られるとは思っていたけれど、まさかこんなタイミングとはね…気付いてから今までよく取り乱さずに心の内に秘めていてくれたわ」
「正直に申しまして、いまだに信じられない…信じたくないというのが本心でございます…殿下は近くにいるというのに何故正気を保っていられるのですか?」
「そうね、信じられないという点では私もそうだったわ…前世での私も…いえ、お父様とお母様、お兄様方、リーゼロッテもあの男を随分と信頼していたし慕っていたわ…でも裏切られた。
私が何故正気を保っていられるのかと聞いたわね?それは単純な話よ…今はまだその時ではないから…あの男が最も苦しんでいるタイミングで、最も残酷な方法で復讐したいからよ。そのためならどんなに憎くても感情を殺してあの男を慕えるし、どんな事でもしてみせるわ」
「殿下はお強いですな…わたくしも感情を表に出さぬよういたします」
コンラートが弱々しく苦笑すると、アンネリーゼは頷いて棚の上に置いた封筒を返した。
「私は専門外だし、これに関してもう少し詳しく調べてちょうだい」
「承知いたしました…どういたしましょう、屋敷を調べさせましょうか?」
「あの男の?それはもう少し待った方が良いんじゃないかしら…ほら、私に向けられた暗殺者の件での捜査が終わったばかりじゃない?まだ警戒してると思うのよ…」
「あぁ、わたくしのところは早々に捜査が終わっていたため失念しておりました…怪しまれぬよう随分と協力的だったようですな」
「ええ、屋敷の隅から隅まで調べたけど何も出てこなかったみたいね…まったく、何処に隠しているのやら」
「取り敢えず本格的な調査の前に見張りを立てましょう…もしかすると何かしら動きを見せる可能性がありますから」
「そちらに関しては貴方に任せるわ…でも、無茶はさせないでね?
あ…そう言えば、それを持ち帰って来てくれた人は大丈夫なの?危ない橋を渡って持ち帰ってくれたのだし、出来れば会って直接お礼が言いたいわ」
アンネリーゼがそう尋ねると、コンラートが複雑な表情を浮かべ口籠った。
「どうかしたの?まさか…」
「あ…あぁ、いえ…生きてはおります…生きてはおりますが、逃げる際に重傷を負ってしまい今は療養中なのです。
ただ、状態が状態ですので恐らく今後任務への復帰は難しいかと…」
「案内してちょうだい…私のためにそんなになってまで任務を果たしてくれたのだから…」
「かしこまりました…」
コンラートは頷くと、隠し部屋の扉を閉めて幾重もの魔法で厳重に施錠し、アンネリーゼを敷地内にある諜報員の宿舎に案内する。
宿舎に入るとコンラートの部下達がアンネリーゼの姿に驚きつつも頭を下げ、アンネリーゼはそれに微笑んで控え目に手を振り応える。
「こちらです…」
「ありがとう」
コンラートが医務室の扉を開け中に案内すると、奥のベッドに傷付き全身を血の滲む包帯に包まれた男が眠っていた。
アンネリーゼは男の身体を見て息を飲む…頭に巻かれた包帯は右目の位置が血で汚れ、左腕のある場所には肩から先が無かったのだ。
男の姿に確かな忠義を感じ、アンネリーゼの目に涙が浮かぶ…例え仕事とは言え、このような状態になってまで自身に科された役目を全うした男の傷だらけの姿に胸が痛む。
「…この方はずっと寝たままなの?」
「時折目覚めますが、いまだに熱が下がらず予断を許さない状態が続いております…ベルタンが使役している魔物から受けた傷があまりにも深く、傷を負ってから時間も経っていたため浄化も回復魔法も効きが悪く見守るしかない状況なのです」
魔物は瘴気を纏っている…もし魔物の牙や爪により傷を負った場合、魔物が纏う瘴気で傷口が汚染され、浄化をしなければいくら回復魔法をかけようと傷が再び開きやがて死に至る。
目の前の男は逃げる際に魔物により傷を負い、与えられた任務を果たすため治療もせず命を懸けて走り続けたのだ。
「コンラート、ここの皆に箝口令を敷いてね…」
アンネリーゼはコンラートにそう言うと、カーテンを締めて目の前で眠る男の左肩に優しく触れた。
男は肩に触れられ目覚めたのか、アンネリーゼに気付き朦朧とした意識のまま起きあがろうとしたが、左肩に違和感を覚えそちらを見た。
すると、左肩の傷口を覆っていた包帯が内側から徐々に盛り上がり、包帯を取り払うと失ったはずの左腕が修復されていく…骨が構築され、神経と血管が伸び、筋肉と皮膚が覆っていきやがて腕が無かった事自体が夢であったかのように元通りになっていた。
男は目の前で起きた奇跡とも思える光景に身震いし、失ったはずの右目にも違和感を感じ、治ったばかりの左手で恐る恐る包帯の上から右目の位置を撫でだ。
指先に瞼の奥で球状の何かが動いているのを確認し、急いで包帯を取りゆっくりと瞼を開けると、目の奥が焼けそうな程の眩しさに涙が滲む。
「あぁっ…!これは夢ではないのか!?」
男は歯を食い縛り涙を堪え、絶望的とまで思っていた自分の傷を治したアンネリーゼを見た。
だが、男の目の前には胸を押さえ床にへたり込むアンネリーゼの姿があった。
「殿下!?」
コンラートが駆け寄り、今にも倒れそうなアンネリーゼを支える。
アンネリーゼは汗の滲む顔で弱々しく笑うと、男に頭を下げた。
「そんな顔をしないでちょうだい…貴方にはどんなに感謝や謝罪の言葉を並べても足りないわ…辛い思いをさせてごめんなさい…そして、生きていてくれてありがとう」
息も絶え絶えにそう言ったアンネリーゼはコンラートに支えられながら立ち上がると、男の手を取り微笑んだ。
だがすぐに顔が青ざめ、アンネリーゼは男の隣のベッドに仰向けに倒れ込む。
「さ、流石に無茶が過ぎたわ…貯めに貯めた魔力がすっからかんだわ…また貯めなおさないといけないわね」
残念そうな物言いではあるものの、アンネリーゼの表情は非常に明るい。
コンラートはそれを見て安堵し、頭を下げた。
「わたくしの部下のためありがとうございました…。
この者とわたくしは先代の頃からの付き合いで、立場は違えど友のような存在なのです…わたくしの友人を救っていただき誠にありがとうございました」
「魔力なんて勝手に回復するものなんだし気にしないで良いわ…それに、貴方にも彼にも返しきれない程の恩があるのだしまだまだ足りないわ」
「そのような事は…」
「私の座右の銘は「恩は倍返し、恨みは千倍返し」よ?」
「物騒な座右の銘ですな…」
「それ、レヴィにも同じ事を言われたわ…ごめん、半刻程眠らせてちょうだい…」
アンネリーゼは皇女とは思えない大きな欠伸をすると、コンラートの返事も待たずにそのまま眠りに着いた。




