62. 即興
翌朝、アンネリーゼが日課のランニングを済ませて朝食を摂っていると、皇宮内がにわかに騒がしくなり始める。
アンネリーゼは口の中のパンを紅茶で流し込み、ナプキンで口元を拭いてニコリと笑った。
「手筈通りやってくれたみたいで安心したわ」
「まあ、あの子にとっては夜中に皇宮から抜け出すくらい朝飯前です」
「確かに朝飯前よね…夜中だもの」
アンネリーゼが冗談にミレーナとカミラが呆れてため息を吐く。
「そういう意味ではありません…」
「またくだらない事を…」
「軽い冗談でそんなに呆れなくても良いじゃないの…ガーランドはいつもこんな気持ちなのね」
2人から冷めた目で見られたアンネリーゼは肩を竦め、今は宿舎で朝食と支度をしているであろうガーランドの気持ちを理解する。
本来アレクサンダーをはじめ帝室の面々の護衛を務める騎士達は主人より早く朝の支度を済ませ護衛に就くのだが、ガーランドは夜明け前にアンネリーゼのランニングに付き合っているため、特別に許可を得て朝食時の護衛は免除されている…特に最近はミレーナとターニャが護衛も兼ねているため、以前ほど問題視される事も無くなった。
「そう言えば、ヴィルマには今日からいつも通りで良いと伝えてるのよね?」
「はい、今は事務作業をしているはずですが…どうかなさいましたか?」
「レベッカ殿下の人柄が分かるまで念の為遠ざけていたし、ちゃんと紹介したいと思っただけよ…今日休んでいる他の2人にも最近は裏方ばかり頼んでいたし、明日からは今まで通り持ち回りにしましょう」
アンネリーゼの専属侍女5人のうち、ヴィルマと古参の2人はここ数日は裏方に専念していた。
古参の2人は全ての仕事を卒なく熟すが、歴の短いヴィルマはレベッカに会わせるにはまだ不安があったため、顔合わせをした日以後は2人から指導を受けつつ得意な事務的作業を行なって貰っている。
だが、レベッカの人柄もある程度把握出来たため、事務的作業以外の身の回りの世話を一手に引き受けていたカミラへの負担を考慮し、古参2人の休み明けから元に戻すことにしたのだ。
2人がアンネリーゼの提案に頷き食器を片付けていると、支度を終えたガーランドとヴィルマが一緒に部屋に訪れた。
「殿下、お待たせいたしました。これより護衛に就かせていただきます」
「おはようございますアンネリーゼ様、皇帝陛下がお呼びとのことですが…」
事務作業を行なっていたヴィルマが現れた事に首を傾げたアンネリーゼだったが、理由を知って苦笑した。
「ありがとうヴィルマ、すぐに行くわ…そろそろ呼び出されると思っていたから丁度良かったわ」
「あっ、では片付けは私が代わります!」
「ありがとうございます」
そう言ったヴィルマはカミラから食器を受け取り、ミレーナと共に片付けを行う。
アンネリーゼはガーランドとカミラを連れ、アレクサンダーの元に向かった。
ガーランドとカミラを外で待たせ、アンネリーゼが1人部屋に入ると、アレクサンダーとヒルデガルド、ヘルムート、レベッカ、大使の5人が揃っていた。
アレクサンダー達が険しい表情をしている中、レベッカだけは今にも泣き出しそうな表情をしている。
「遅くなってしまい申し訳ございません…何やら朝から騒がしいようですが、ご用件はそれが理由でしょうか?」
「よく来てくれた。単刀直入に言う…レベッカ王女の侍女の1人が姿を消した…」
アンネリーゼはアレクサンダーの言葉に驚いた素振りを見せ、レベッカを見る。
「それは本当ですの?…ちなみに何方でしょう?私もレベッカ殿下の侍女を全員は把握しておりませんので…」
「エマですわ…」
「エマさんがですか!?侍女であるエマさんが警備の厳しい皇宮から簡単に抜け出せるとは思いませんし、まさか誘拐ですか…?」
「それが分からないのです…私物はそのままで置き手紙なども無く、昨夜までは変わりはなかったのに今朝になったら居なくなっていたのです…あぁ、どうしましょう…」
とうとうレベッカの瞳から涙が溢れ、アンネリーゼは寄り添い抱き締めた。
「大丈夫ですわレベッカ殿下…きっと見つかりますから…それでヘルムート宰相、エマさんの捜索はどうなっているのでしょう?」
アンネリーゼはレベッカの名演技に笑いそうになるのを堪え、ヘルムートを見る。
ヘルムートは普段の涼しげな表情はなりを顰め、眉間に皺を寄せて俯く。
「申し訳ございません…何ぶん一切の痕跡が無いため、いまだ発見には至らず…面目次第もございません」
報告を受けてから自身も走り回っていたのか、ヘルムートの衣服は乱れ表情にも疲れが見える。
「今は皇宮内をくまなく探しておるが、その後は帝都内まで捜索範囲を広げるつもりだ…其方はレベッカ王女を見てやってくれ」
「承知しておりますわ…それにしても問題続きですわね」
「…何が言いたい?」
「滅多な事を言うものではありません!」
アンネリーゼの言葉を聞き、アレクサンダーとヒルデガルドの表情が険しくなる。
だが、アンネリーゼは臆する事なく2人を見据えた。
「言葉通りですわ…レベッカ王女がいらっしゃるというのに問題が起き過ぎている事がおかしいと言っているのです…それを見て見ぬふりして問題が解決するとは思えませんわ。
帝国内にも今回の使節団訪問に懐疑的な者達はおりましたし、ベルタンにもレベッカ王女の失脚を目論む者達はいるでしょう…互いに触れられたくはないものがあるからと言って、それを放置していては最悪の事態に発展する事もあるのではないでしょうか?」
「全てを検めよと申すか…」
「はい…幸い発覚からまだ時は経っておりませんし、こちらは皇宮の後は帝都内にある全ての貴族のタウンハウスを、使節団の方々は迎賓館の部屋と荷の全てを検めるべきと考えますわ」
「分かった…其方の案に従おう」
「反発は必至ですがよろしいのですか?」
「仕方が無かろう…我が国で他国の人間が消えたとなっては外聞も悪い…大使殿もそれで良いか?」
アレクサンダーは眉間を押さえつつヘルムートに答え、大使に同意を求める。
大使は俯き思案したが、しばらくの沈黙の後頷いた。
話がまとまり、アンネリーゼはレベッカを抱き締めたままヒルデガルドを見る。
「あの…今のままでは心配ですし、レベッカ王女は私の部屋でゆっくりしていただこうと思うのですがよろしいでしょうか?」
「そうね、その方が気が紛れるかもしれませんね…レベッカ王女はよろしいですか?」
「はい…お気遣いいただき感謝いたします…」
「総力を上げ捜索するゆえ、今はゆっくり休まれよ…アンネリーゼ、レベッカ王女を頼むぞ」
レベッカはアンネリーゼに支えられながら一礼し退室する。
外で待機していたガーランドとカミラを連れ、怪しまれぬようにゆっくりと歩いて部屋に戻ると、アンネリーゼは防音の魔法を展開した途端腹を抱えて笑い出した。
「ふふっ…あはははははっ!あぁ可笑しい!レベッカ殿下は役者になれるのではなくて?」
「そう言うアンネリーゼ殿下こそよくあんなに即興で口が回りますわね…私、殿下の胸で顔を隠していなければ絶対に我慢出来ませんでしたわ」
「実は笑ってたでしょう?」
「少しだけですわ」
「ふふっ、皆んな絶対に泣いて震えてると勘違いしてたわよね」
楽し気に笑う2人の姿を見て、部屋にいる他の4人は呆れ果てている。
「まさか、あのような形で時間を稼ぐなんて思いませんでしたわ…帝国内の裏切り者と使節団のタカ派達の焦る顔が目に浮かびますわね」
「タウンハウスを徹底的に調べれば裏切り者達は証拠隠滅に必死になってこっちは調べやすくなるし、既に帝都を経っているエマが逃げる時間も稼げて一石二鳥よ!どう、なかなかのものでしょう?」
「ええ、期待していた以上ですわ!」
「あ、あの!お楽しみのところ申し訳ございません…!」
2人の会話に割って入り、ヴィルマが今にも消えてしまいそうな程に小さくなりながら手を挙げた。
「どうかした?」
「貴女はヴィルマさんでしたわね?」
アンネリーゼとレベッカの視線を受け、ヴィルマは申し訳なさそうに深々と頭を下げた。
「あ、あの…お聞きして良いか迷ったのですが、何か物騒な言葉が聞こえたような気がしまして…」
ヴィルマの言葉を聞き、アンネリーゼの目が点になる。
「あ…」
「…まさか彼女には話していなかったのですか?」
「すっかり忘れていたわ…」
「アンネリーゼ殿下は案外抜けてますのね…」
「か、完璧な人間なんていないわよ!ちょっと抜けているくらいが可愛げがあるものよ!」
自らの株を上げて落としたアンネリーゼは、必死に取り繕うとレベッカが来てからの出来事を一からヴィルマに説明した。




