6. 追憶
ーーさて、まずは何から始めましょうか…とは言っても、まだ外出許可が出ていないから出来る事は少ないのだけれど。
昏睡状態から目覚めて数日が経ち、朝の日課となっているリハビリを終えたアンネリーゼは、今はベッドの上で暇を持て余し大の字になって寝転がっていた。
まだ病み上がりということもあり、ベッドの上での脚の曲げ伸ばしや補助付きでの室内限定での短時間の歩行練習しか許可されておらず、無理をしそうとのことで自主的なリハビリも禁止されているため、一日の大半が暇になってしまう。
あまりのだらけ具合に、これが帝国一と謳われるほどの淑女になるとは誰も思うまい。
ーーお昼寝という気分でもないのよね。夜が眠れなくなっても困るし。
日中であればカミラや他の侍女達を呼んで話し相手をして貰うということも出来るが、就寝時間を過ぎてしまえばそうはいかない。
暗く広い部屋の中で、ひとり寂しく長く退屈な時間と格闘しなければならないと思うとゾッとする。
ーー今のうちにある程度今後の計画を立てておこうかしら。
アンネリーゼは起き上がり、紙とペンを持って来て貰おうと呼び鈴を手に取ったが、少し考え込んでゆっくりと元の位置に戻した。
ーー何か書き留めておこうかと思ったけれど、見つからないという保証もないしやめておいた方が良いわね…何が原因であの男に私の死に戻りが知られてしまうか分からないし、慎重にやらなければいけないわ。
あの日、帝国に攻め入ったベルタンとそれを手引きしたであろう男の顔を思い出し、アンネリーゼは沸々と怒りが込み上げる。
だが、ふとある疑問が浮かび頭に昇りかけていた血が一気に下がった。
ーーそう言えば、あの時、あの男は裏切りではないと言っていたわね…最初から企てていたとも言っていたわ。でも、私の知る限りではそんな素振りは一切見られなかったはず…。
私が物心ついた時には、既にあの男の家は建国時からこの国の重要なポストにあったし、この国で生まれこの国で育ったのは確かよ…なら、何故あのような事をしたの?それに、どうやってベルタンと繋がっていたの?もし外部と連絡を取り合っていたのなら、どんなに警戒していても何かしら足が出るはずよ…完璧な人間なんてこの世に存在しないのだから。
アンネリーゼはベッドの上で左右に何度も転がりながら唸っていたが、ある可能性に思い至り飛び起きた。
ーー外部と連絡を取らずとも計画を完遂する方法…あるじゃない…。
数十年、下手をすれば百年以上の長い時間をかけて綿密な計画を練り、既にそれは実行に移され、やるべき事もほぼ終わっていて、後はその計画に沿って真綿で首を絞めるようにこの国が滅びるのをゆっくりと待つだけの状態であったならばどうだろう。大きな修正が必要になるような出来事でも無い限り、連絡を取り合う必要も無いのではないか…そう思い至り、アンネリーゼは背筋が凍る程の寒気を覚えた。
ーーもし私が想像している通りなら、時間が無いのかもしれないわね…。
そう思うと、今から九年後に起こるであろうケンプファー辺境伯領での事件もその計画の一部のように感じる。
あの時、あの男が目立った動きをしていたとは思えないが、結果としてはその事件をベルタンが帝国を攻める足掛かりにしたのは明らかだ…何かしらの関係があるという前提で対策をした方が良いだろう。
ーー他にもやっておきたい事はあるし、出来るだけ早く私の耳目になる者が必要だわ…それも、帝国ではなく私自身に忠誠を誓う信頼の出来る者が。
アンネリーゼは記憶を頼りに協力者として最も引き入れたい者として、とある帝国貴族を思い浮かべる。
ーー出来ることなら、オイレンブルク侯爵は引き入れたいわ…。
オイレンブルク侯爵家は建国以来、歴代の当主の多くが外務卿を務めてきた名家であり、職務上他国の情勢にも強いが、何より諜報活動にも精通しているためアンネリーゼの耳目としてこれ以上の適任はいない。
ただ、問題は現外務卿として帝国に忠誠を誓っている侯爵をどのように引き入れるか、そして、どのようにして周囲に怪しまれぬよう自然に交渉の席を設けられるかが鍵だ。
アンネリーゼが何か良い手立てが無いかと頭を悩ませて唸っていると、扉をノックし、ティーセットを持ったカミラが顔を覗かせた。
「アンネリーゼ様、よろしければお茶の時間にしませんか?」
「あら、気が利くわね。ちょうど甘い物が欲しくなってきたところだったのよ」
頭を使い過ぎたため、ちょうど脳が糖分を欲していたアンネリーゼはベッドから飛び起きる。
それを見て嬉しそうに笑ったカミラはテーブルにティーセットを置き、アンネリーゼの手を引いて椅子に座らせた。
「もう、過保護なんだから…」
「室内でも歩く時は補助をって言われてたじゃないですか」
「でも、ほんの数歩の距離よ?」
「あと数日で外出許可が出ますし、それまでの我慢ですよ」
カミラは口を尖らせるアンネリーゼに苦笑しながらカップに紅茶を注いでいる。
アンネリーゼはその姿に目を細め、何かを決意したように小さく頷いた。
「カミラ、大事な話があるの…良かったら、貴女もお茶に付き合ってくれないかしら?」
「えっ…よろしいのですか?」
「ええ、お願いよ」
「そう仰るなら…では、私のカップを取って参りますね」
カミラはいつになく真剣な表情のアンネリーゼを見て、やや困惑しながら部屋を出ていく。
アンネリーゼはそれを見送り、深く息を吐いた。
ーーやっぱり、あの娘には正直に言っておかないとね…休みの日以外ずっと私に付いていてくれるあの娘に、十二年もの間隠し通せるはずがないもの…それに、もし運命が変えられず帝国が滅ぶことになったとしても、事前に知っていれば避難するなり生き残れる可能性はあるかもしれないしね…。
アンネリーゼは自嘲気味に笑う。
アンネリーゼには、家族以外にどうしても救いたい人物が二人いる。一人はもちろんカミラだが、もう一人は今後任命されるであろう護衛騎士の青年だ。
その護衛騎士の名はガーランドと言い、あの日、カミラがアンネリーゼの囮となる少し前、二人を守り逃すために単身ベルタン兵が使役していた魔物の群れに挑み、非業の死を遂げた勇気ある青年だ。
カミラに手を引かれて逃げる際、振り返り最後に見た彼の姿は、今でもアンネリーゼの瞼の裏に焼き付いている。
岩をも砕く強靭な牙で左腕を喰い千切られ、鉄製の鎧すら紙のように切り裂く鋭い爪で裂かれた腹部からは腑が垂れ下がり、それでもアンネリーゼとカミラを逃がそうと折れた剣を必死に振るい、忠義を尽くしその若い命を散らした護衛騎士を思い浮かべ、アンネリーゼの瞳が潤む。
ーー駄目ね…カミラに見られたらまた騒がれてしまうわ。
カミラが騒ぐ姿を想像し、アンネリーゼは苦笑する。
だが、一度思い出してしまうと歯止めが効かなくなってしまい、二人と過ごした幸せだった日々の思い出が溢れて止まらなくなり、それに呼応するかのように涙が溢れだす。
最期こそ忠義を尽くしたガーランドだったが、普段は冗談ばかり言って二人を笑わせてくれていたことを。
それをアンネリーゼに悪影響を与えるとわざとらしく頬を膨らませ注意するカミラを。
そして、そんな二人の間に挟まれて苦笑しながらも幸せを感じていたかつての自身の姿を思い出してしまい涙が止まらない。
ーー死に戻ってからの時間を併せてもそんなに経っていないはずなのに、随分と懐かしい気がするわ…。
二度と戻ることの無い懐かしい日々を想い、アンネリーゼは鼻を啜った。




