55. 生地
ベルタンの使節団が帝国を訪れた翌日、アンネリーゼは朝食を済ませた後自室でレベッカを待っていた。
図書館で花緑青の生地の話をした後、レベッカから時間を設けて欲しいと請われ別れ際に午前中早いうちに会う約束をしたのだ。
「やっぱり品の中にあの生地が入ってたんですかね?」
「だと思うわ…でも、リーゼの件を知っていたとして、こちらが毒だと分かっている物をわざと入れてくるかしら…公式訪問している立場でそんなリスクを冒すなんて嫌がらせの域を逸脱し過ぎているし、あちらの出かた次第では国際問題よ?いくら何でも自分達が悪くなるのが分かり切っているのにそんな馬鹿な手を使うとは思えないわ…」
「私も殿下と同じ考えね…どうあっても国の代表として贈る品が毒だと知らなかったなんて言い訳は通用しないもの」
不安気なカミラの言葉にアンネリーゼが答えると、ターニャが同意して椅子に腰掛け紅茶を啜る。
ガーランドには今朝の早朝ランニングのうちに事情を説明しているため、レベッカが来るまで部屋の外に待機させていおり部屋の中には3人しかいない。
レベッカが来た時にすぐに分かるように防音はせず、ガーランドに合図をするように頼んでいるため、3人は声を抑えながら話をする。
四半刻程待っていると扉が一回だけ軽くノックされ、3人はすぐに話を切り上げてターニャは椅子から立ち上がり、カミラと共に壁際に立った。
「殿下、レベッカ王女殿下がお見えです」
「ありがとう、お通しして」
扉を開けて伝えて来たガーランドに笑顔で答え、アンネリーゼは立ち上がってレベッカを迎え入れる。
「アンネリーゼ殿下、朝早くからお時間をいただいてしまい申し訳ありません…」
「構いませんわ…こちらこそ淑女らしからぬ部屋で恐縮ですがどうぞご容赦願いますわ」
「いえ…凄い蔵書の数ですわね」
「お恥ずかしい限りですわ…さあ、こちらへ」
棚に並ぶ本の数に圧倒されるレベッカに手を差し出し、アンネリーゼは席に案内する。
「侍女達は昨日紹介いたしましたが、彼はおりませんでしたので改めてご紹介いたしますわね…私の護衛騎士のガーランドですわ」
アンネリーゼの背後に立っていたガーランドがレベッカに一礼すると、レベッカもそれに応えるように微笑んだ後、自分の背後に控える侍女と騎士を振り返った。
「こちらは私の筆頭侍女のエマと護衛騎士のジェラールですわ…ご紹介が遅くなり申し訳ございません」
「昨日は到着したばかりで忙しかったですし仕方がありませんわ…それで、お話しとは何でしょうか?」
アンネリーゼが話を切り出すと、レベッカは頷きジェラールを見た。
「はい…こちらをご覧下さい」
低い声で答えたジェラールは抱えていた箱をテーブルに置き、手袋をして中からいくつかの生地を取り出した…テーブルに並べられたのは花緑青の生地だった。
「これはまた…」
「昨日アンネリーゼ殿下から花緑青の生地のお話を聞き、部屋に戻り品を改めさせたところこちらが入っていましたの…」
「レベッカ殿下…ひとつお聞きいたしますが、こちらの他に紫色の生地はございませんでしたか?」
「ええ、入っておりましたが…まさか、そちらも?」
「どちらも詳しく調べてみない事には確証はありませんが、代替染料が開発されたという話はまだ聞きませんし、恐らくこちらの花緑青はヒ素、紫はアニリンという毒が染料として使われていますわ…それらは経口接種せずとも皮膚から吸収し、最悪の場合どちらも死に繋がります…殿下は直接触れてはおられませんか?」
「は、はい…全て侍女達に任せていましたので…彼女達は大丈夫でしょうか?」
血の気の引いた顔で答えるレベッカと不安気なエマを見て、アンネリーゼは安心させるように微笑む。
「常に身に付けているという訳でなければすぐに症状が出る事はございませんし、排泄物として自然と体外に排出されますわ…心配であれば利尿作用のあるお茶などを飲む事をお勧めいたします。
もしよろしければ皇宮に勤める医師に診ていただけるよう手配いたしますがどうなさいますか?」
「お願いしてもよろしいでしょうか…」
「承知いたしましたわ…。カミラとミレニアはエマ嬢をお連れして先生と迎賓館に行ってちょうだい」
「かしこまりました…さあ、こちらへ」
アンネリーゼが指示を出すと2人はすぐに行動に移し、エマを連れて部屋を出た。
それを見送ったアンネリーゼは、ジェラールを見て苦笑した。
「貴方も手袋をしていて良かったわね…例え短い時間だとしても、毒物に触れないに越した事はないから懸命な判断だったわ」
「はっ、お気遣い感謝いたします…」
「殿下をよく守って差し上げてね、盾となるのが貴方の使命なのだから…まあ、守られる立場でありながら自ら剣を握る私が言える事ではないのだけれど」
「本当ですよ…」
「ふっ…いや、失礼…」
アンネリーゼとガーランドのやり取りに笑いを漏らしたジェラールは咳払いをして居住いを正す。
「まあ、暗い顔をしていても解決しないし話を進めましょう?」
「そうですわね…でも、どうすれば良いでしょう」
「目録にはどの様に記載をされてらっしゃるのですか?」
「産地や素材、色などを細かく明記しておりますわ…」
「まあ、そうなりますわよね…」
「代わりの品を用意しては如何でしょう?」
ジェラールが提案したが、アンネリーゼとレベッカは揃って首を振った。
「それは駄目よジェラール…代わりの品を用意するにしても、まずは陛下にご報告しなければ隠蔽を疑われてしまうわ…」
「そうですわね…仮にこの国で代わりの品を用意したとしても、それでは価値が無いですし困りますわね」
「何故です?」
「だって、こっちで代わりの品を買うという事は、わざわざ贈って貰わなくてもちょっと帝都の大店に行って探せば手に入るって事よ?他国から贈られる品というのはその国の特産であったりなかなか手に入らない特別な物だとか、良い関係を築きたいという友好の意思を示す物だからこそ価値があるの…いくら金銭的価値があったとしても、その辺で手に入れた物なんて贈ったらそれこそ軽く見ていると受け取られかねないわ」
「うわ…言われてみれば確かにそうですね…」
「もっと良く考えなさいな…そんな事だから貴方はカミラ達から軽く扱われるのよ」
アンネリーゼとガーランドはレベッカ達の存在を忘れ、ついいつも通り軽い口調で会話をしてしまい、レベッカ達から向けられる視線に気付いて青ざめた。
「あの…お2人は普段はそのような感じで話されていらっしゃるのですか?」
「あぁもう!貴方のせいでバレたじゃないの!?」
「俺の所為ですか!?いや、まぁ俺の所為か…」
「ふふっ、仲がよろしいのですね」
猫を被るのを諦めいつもの口調に戻ったアンネリーゼを見てレベッカが笑う。
「侍女達ともこんな感じですわ…幻滅なさいました?」
「いえ、そんな事はございませんわ…ただ、楽しそうで羨ましくはありますわね」
「あら、ならそちらのジェラール殿とやってみられてはいかがかしら?」
「ご勘弁を…私の首が飛びます」
「んんっ…!そうね、冗談が過ぎたわ」
真顔で答えたジェラールから漂う雰囲気に気圧され、アンネリーゼはこれは本当なのだろうと思い咳払いをして誤魔化しレベッカに向き直る。
「取り敢えずですが、下手な小細工は余計に事をややこしくしてしまいますし、大使に説明をしてからお父様達に報告しましょう…乗り掛かった船ですし、2人には私からも説明いたしますわ」
「本当でございますか!?」
「私の独断ではありましたが医師も向かわせましたし、殿下や大使が把握していなかった可能性は十分考慮してくださるかと思います…ただ、一切のお咎めなしという事にはならないかと」
「それでも構いませんわ!何と感謝を申し上げれば良いか…」
「それは終わった後ですわ…まず、殿下は大使へ説明をお願いいたします…私はお父様達に緊急の要件がある旨を伝えてまいります」
「はい、では後ほど」
アンネリーゼとガーランドはレベッカ達を見送りため息を吐く。
「良かったんですか?敵に塩を送って…」
「十分過ぎるくらい恩は売れたわよ?あとはベルタン本国がこの件でどう動くかね…有耶無耶にすればうちだけでなく近隣諸国からの評価は更に下がるし、どういう反応を見せてくれるか楽しみだわ」
アンネリーゼはアレクサンダーに会うため急ぎ用意を済ませて部屋を出る。
レベッカに恩を売る事は出来たが、誰が何故その様な真似をしたのか分からず心に靄が掛かったままだった。




