54. 案内
「これは凄い蔵書の数ですわ…」
図書館の扉を開き、中に入ったレベッカが感嘆の声を上げる。
「皇宮内には専門性の高い書物や禁書などを管理する司書のいる図書館と誰でも自由に立ち入り閲覧出来る図書室がございますが、私はもっぱらこちらばかり利用しております」
「アンネリーゼ殿下は勉学がお好きなのですか?」
「流石に興味のあるものに限りますわ…」
「それでも学ぶ意欲があるのは良い事ですわ!どのような書物を読まれていらっしゃるの?」
アンネリーゼはレベッカに問われどう答えようか迷ったが、既に知られている可能性もあるため素直に答える事にした。
「医学書と毒物や薬物に関する専門書や馬について書かれている書物が多いですわね…一国の皇女とは思えませんでしょう?」
「そんな事はございませんわ!悲しい事ではありますが、毒物や薬物は王侯貴族にとってどうしても切り離せない物でもありますわ…使われる事も逆に使うこともあります。知識があれば未然に防ぐなど対処も出来ますし素晴らしいことだと思いますわ」
「ありがとうございます…私も以前妹が花緑青の生地に触れそうになり、それから本格的に学び始めましたわ」
「花緑青の生地でございますか…あの、よろしければ明日お時間をいただけませんか?」
花緑青の生地という言葉に表情を曇らせたレベッカに頼まれ、アンネリーゼは頷く…自分の物か友好の品として持参した物の中に在るのかもしれないと思ったのだ。
「ええ、構いませんわ…どういたしましょう、私が殿下のお部屋に伺いましょうか?」
「いえ、こちらからお願いいたしましたし私がお伺いしますわ」
「はい、ではその件についてはまた明日」
「ありがとうございます…助かりますわ」
「では次に参りましょうか?」
そう言って図書館を後にした一行は次に騎士団の訓練場に向かう。
訓練場に入ると、騎士達はアンネリーゼとレベッカに気付き膝を付いた…使節団に随伴して来たベルタンの騎士達の姿もある。
アンネリーゼは騎士達にレベッカを紹介し、騎士団長に頭を下げた。
「訓練中にお邪魔してごめんなさいね…色々と思うところはあるでしょうけど、彼等の事もよろしくね」
「心得ております」
「少しだけ見学してから行くから気にせず続けて」
「はっ!失礼いたします!」
騎士団長は訓練に戻り、アンネリーゼはいつも自分が剣を振っている訓練場の一角にレベッカを案内する。
「私はいつもこの場所で剣を振っておりますわ」
「このような片隅でですか?」
「この場所は本来彼等騎士達の為の場所ですわ…いくら第一皇女の私が剣の訓練を行うとは言え、彼等の場所を奪う訳にはいきませんもの…それに、私が目立っていては彼等もやりにくいでしょうし」
「確かに緊張してしまいますわね」
レベッカがくすくすと笑い、しばらく両国の騎士達の合同訓練を見学した後、労いの言葉を掛けて次に向かう。
「さあ、ここが私の一番のお気に入りの場所ですわ!」
「えっと、ここは…」
広い敷地にポツンと佇む建物を見てレベッカが首を傾げる。
アンネリーゼは今日一番の笑顔を見せ、レベッカの手を引いて建物に連れて行く。
「ここは厩舎だったのですね…」
「ええ、私が皇宮内で最も心安らぐ場所ですわ!」
そう言ってアンネリーゼは一頭ずつ馬達の頭を撫で、ニンジンを与えていく。
「入り口から5頭目まではお父様達と宰相の馬で、その奥の馬達は私の所有している子達ですわ!」
「馬達…でございますか?複数飼われているのですか?」
「最初は3頭だけだったのですが、先生…剣聖レオンハルト様の子を譲り受けたのですわ」
アンネリーゼはレオンハルトから譲り受けた馬…アドルファスにニンジンを与え、亡き師に思いを馳せながら優しく撫でる。
立ち入ってはいけないような空気を感じたレベッカは、ただその姿を見守っている。
ひとしきりアドルファスを撫でた後、アンネリーゼは隣の馬房に行きニンジンを差し出した。
「ここから3頭が私の本来の所有馬です」
青毛の馬が首を覗かせ、ニンジンを食べ始める。
アンネリーゼはにこにこと笑いながら青毛の馬…ナハトの額に自分の額を押し付けて声を掛ける。
「貴方は本当に良い子ね…」
「その子は何というお名前なのですか?」
「ナハトですわ」
「良いお名前ですね」
「ふふっ、ありがとうございます」
アンネリーゼは自分の付けた名前を褒められ、照れ臭そうに笑いながら次の馬房に向かう。
隣の馬房からは先程から何やら物を蹴る音が聞こえている…ナハトが早くしろと前掻きをしている音だ。
「ほらリヒト、貴方の大好きなニンジンよ」
やんちゃなリヒトは待ちかねたと言いたげにアンネリーゼの手からニンジンを奪い、音を響かせながら美味しそうに食べている。
「この子はリヒト、一番ヤンチャで悪戯好きの困った子ですわ」
困った子とは言いつつも笑顔のアンネリーゼを見てレベッカもくすくすと笑う。
リヒトはニンジンを食べ終わったのか、再度首を覗かせてアンネリーゼの髪を口に咥えて軽く引っ張る。
「ちょっと!何で貴方はいつも私の髪を噛むのよ!?飼い葉じゃないのよ!?」
「アンネリーゼ殿下!だ、大丈夫ですか!?」
レベッカは慌ててリヒトを宥めようとしたが、直接触れるのは怖いのかなかなか近付けない。
2人が悪戯好きなリヒトに困り果てていると、ニンジンを取りに行ったカミラとターニャが戻って来た。
「ほらリヒト、ニンジンですよ〜!」
「た、助かったわ…」
「何だか慣れてらっしゃいますわね…?」
レベッカはアンネリーゼの乱れた髪を手で漉きながらリヒトにニンジンを食べさせるカミラを見て呟いた。
「リヒトは何故かカミラ…私の侍女の方に懐いていますの…甘やかしてくれるからかもしれませんわ…」
「ふふっ、そうなのですね」
アンネリーゼは髪を漉いてくれたレベッカに礼を言い、次の馬房に向かい中に入った。
レベッカが恐る恐る中を覗き込むと、アンネリーゼが床で寝転がっている白馬の鼻先にニンジンを差し出していた。
「……あの、何をしていらっしゃるのですか?」
「この子はユングフラウという子なのですが、3頭の中で一番マイペースでこのように鼻先にニンジンを差し出して釣らないとなかなか起きてくれないのですわ…ほら、いい加減に起きなさいな!寝てばかりでは太りますわよ!?」
ユングフラウは薄っすらと目を開けてしばらくニンジンを眺めた後、首だけを上げて口に咥え、そのまま頭を下げて寝転んだまま咀嚼し飲み込んだ。
「もう、貴女はまたそうやってはしたない食べ方をして…」
アンネリーゼは口では小言を言いつつも優しくユングフラウの頬を撫で立ち上がった。
「レベッカ殿下、お付き合いいただきありがとうございました」
「いえ、私も普段こんなに近くで馬を見る機会はありませんので良い経験が出来ましたわ…それにしても、アンネリーゼ殿下は本当に馬がお好きなのですね」
「はい、お恥ずかしながら…」
「夢中になれるものがあるのは良い事ですわ」
「お気遣いありがとうございます…では、庭園でお茶にいたしましょうか?」
「はい、是非」
アンネリーゼ達は厩舎を後にし、庭園のガゼボでお茶を楽しむ。
準備されていた茶葉の中に例の苦い茶葉が紛れ込んでいるのを見つけたアンネリーゼがターニャを睨み、そんな主人と侍女の主従を超えた気安い関係性を見たレベッカは羨まし気な表情を浮かべていた。




