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5.僥倖

 「んっ…」


 閉じた瞼越しにも解る陽の光に眩しさを覚え、重い瞼をゆっくりと開く。どれだけの間閉じていたのだろうか、あまりの眩しさに目が眩み、自然と涙が浮かぶ。

 もう一度瞼を閉じ、眩しさに慣らすようにゆっくりと瞬きを繰り返し、慎重に身体を起こす。

 あれ程身体の奥底で荒れ狂っていた魔力の暴風は鳴りを顰め、今は凪いだ水面のような静けさだ。無事抑え込めたことに安堵し胸を撫で下ろす。


 「いっ…!?つうっっっ…」


 長い間寝続けていたためか背中と腰に痛みが走り、眩しさとは別にまたも瞳に涙が浮かぶ。魔力を抑え込めたことに安堵して油断したようだ。


 ーーまったく、どれだけの間寝ていたらこんなになるのかしら?


 痛む身体に苦笑しつつ、上体を起こして背中に手を伸ばす。

 

 ーー床擦れにはなっていないみたいだし、ずっと寝ていたせいで背骨と筋肉が痛むだけのようね。


 床擦れにならないように定期的に体勢を変えてくれていたであろう誰かに心の中で感謝しつつ、ゆっくりとベッドの縁に座り、床に足をつけて力を込め、注意しながら慎重に立ち上がる。


 「っとと…。ふふっ、なんだか生まれたての子鹿の気分だわ」


 足の力が抜けてよろけてしまい、ベッドに仰向けに倒れてしまった自身の姿に、不甲斐なさやもどかしさ以上に愉快な気分になってしまい、自然と笑みが溢れる。

 くすくすとひとしきり笑い、もう一度挑戦するべくベッドの縁に座り直す。


 「さて、次こそは立たないといけないわね!」


 今度は天蓋のポールを掴んで慎重に立ち上がり、ゆっくりとその場で足踏みを繰り返す。

 久しぶりに動かしているからか背中と腰だけではなく股関節と膝にも痛みが走るが、その痛みも何故か愛おしく、嬉しく感じる。

 夢中になって足踏みを繰り返していると、背後から何かが落ちる音が聞こえ、その音に驚いて振り返ると、急な動きにまたもや身体中が悲鳴を上げ、激痛が走りベッドに倒れてしまった。


 「あいたたたっ…」


 痛む背中を摩りつつ、もう一度音のした方を確認すると、目を丸くし口元に両手を当てて驚く侍女がいた。足元には桶が落ちており、桶には水かお湯が入っていたのだろう、その周囲はびっしょりと濡れていた。


 「あ、あの…おはよう…貴女、大丈夫?」


 時が止まったかのように動かない侍女にそう尋ねると、侍女は見る間に瞳を潤ませ、大粒の涙を零し始めた。


 「アンネリーゼ様っ…」


 「だ、大丈夫よ、落ち着いて…ね?」


 うつ伏せになり言葉に詰まった侍女にそう伝えたが、侍女はそのまま踵を返すと、勢いよく扉を開け放って叫んだ。


 「アンネリーゼ様がっ…!アンネリーゼ様がお目覚めになられましたっ!!」


 侍女の叫びに、あっという間に蜂の巣をつついたように騒がしくなる。


 「あぁ…もう、こうなることが分かってたから落ち着いてって言ったのにっ…」


 アンネリーゼはうつ伏せのままベッドに顔を埋め、耳を塞いだ。



 ***



 「アンネリーゼ様!何故私がいる時に目覚めてくださらなかったのですか!?しかも病み上がりで立ち上がるなんて何を考えているのですか!!」


 「そんな無茶を言わないでちょうだい…。一人で立ち上がったこともごめんなさい…軽率だったわ」


 仮眠中に騒ぎを聞き付けて駆け付けたカミラが、瞳に涙を浮かべ頬を膨らませながら恨めしそうにアンネリーゼを睨みつける。

 かつてない程に怒っているカミラにたじたじになりつつも、それ程心配を掛けてしまったことに申し訳なくなると同時に、自分をこれ程までに愛し慕ってくれている事に嬉しくなり、アンネリーゼはカミラの頬をつたう涙を優しく指で拭った。


 「ありがとうございます…でも、こんなことでは誤魔化されませんからね!三ヶ月間ずっと気が気ではなかったんですから!!」


 アンネリーゼはその言葉に驚愕し、カミラの頬に触れたまま動きを止めた。


 ーー三ヶ月…そんなに掛かってしまったのね…。いえ、それだけで済んで良かったと考えるべきだわ。最悪目覚めない可能性だってあったのだから。


 あの人生最悪の日まで十二年…やるべき事はまだ山のようにあり、今はやっと最初の一歩を踏み出せたというところだ。三ヶ月で目覚められたことは僥倖であったと思うべきだろう。


 「どうされましたか?どこか痛みますか?」


 「ごめんなさい、何でもないわ…思っていた以上に眠ってしまっていたことに驚いただけよ。

 皆もありがとう…それとごめんないね、長いこと心配をかけてしまったわ」


 「アンネリーゼ様がお目覚めになられることを、皆心よりお待ち申し上げておりました…本当に…本当によろしゅうございました」


 ーーああ、カミラだけではないわ…皆の未来を守るためにも、まだまだ強くならなくてはいけないわね。

  

 皆が肩を震わせ深々とお辞儀をする姿を見て、そのためには何だってやらなければならない。改めてそう思う。

 


 ***



 皆が落ち着きを取り戻し、汲み直して来た少し温めのお湯で身を清めて着替えをしていると、またもや部屋の外が慌ただしくなりアンネリーゼは苦笑する。


 ーーお父様とお母様ね…まあ、かなり心配をかけてしまったし、騒がしくなるくらいは甘んじて受け入れるしかないわね。


 「アンネリーゼ!心配したぞ!!」


 「陛下、あまり騒がしくしてはアンネの身体に障りますわ」

 

 「んんっ!…おはようございます、お父様、お母様…ご心配をお掛けしました」


 アンネリーゼは予想通りの展開に笑い出しそうになるのを咳払いをして堪えて和かな笑顔で二人を迎え、二人の背後に医師の姿を確認し、目を伏せて小さく頭を下げると、医師はそれに気付いて恭しく頭を下げた。

 

 「よろしく頼む」


 「では、失礼致します」


 医師による問診、視診、触診、聴診が行われ、皆がその様子を固唾を飲んで見守っている。

 既に何度も経験していることとは言え、こうも注目をされていると気恥ずかしさと居心地の悪さを感じてしまうのだろう、アンネリーゼの落ち着かない様子を察した医師は小さく苦笑して手を止めた。


 「どうでしたか?」


 「先日から熱は下がっておりましたし、ぶり返した様子もございません。昏睡していた時間が長く寝たきりでしたので体力と筋力がだいぶ落ちておりますが、まずは誰か他の者に補助をしてもらいながら立ち上がることから始め、徐々に歩いたり走ったりと段階的に進めていけばよいでしょう」


 不安げな表情を浮かべていたヒルデガルドは医師の言葉に安堵し胸を撫で下ろす。

 アンネリーゼも小さく息を吐いたが、背後から気配を感じ振り返って思わしげな表情のカミラを見た。


 「…何かしら?」


 「誰か他の者に補助して貰うと良いそうですよ?」


 「分かってるわよ…」


 事情を知る者達は二人のやり取りを見て笑い出しそうになるのを必死に堪えている。

 アレクサンダーとヒルデガルドは首を傾げているが、医師はカミラの言葉で察したのか咳払いをした。


 「殿下、逸る気持ちはわかりますが無理は禁物です。もしまた何かあれば悲しむ者がいることをお忘れなきよう」


 「あ、ありがとうございます…肝に銘じますわ」


 医師の瞳の奥に、今回だけは見逃してやるという凄味を感じたアンネリーゼは背筋に薄寒い感覚を覚え、若干引き気味に答え目を逸らす。


 「あの…体力と筋力の低下以外に、他に何かあるのではないですか?」


 これはマズイと医師の視線に耐えられなくなったアンネリーゼが話を逸らすと、室内の空気が数段重くなったのを感じた。

 誰もが言葉を発せずにいると、アンネリーゼが小さく溜息をついた。すると、皆がビクりと肩を震わせた。


 「隠す必要などありませんわ…薄々気付いてますもの」


 「それは…」


 医師が口籠もると、アンネリーゼは気にするなと言いたげに微笑んだ。


 「私は魔力が無くなったのでしょう?」


 「何故落ち着いていられるのだ!?」


 アンネリーゼの魔力が枯渇したと判明した三ヶ月前、毅然としていたアレクサンダーが問いただすが、アンネリーゼは真っ直ぐに目を見据え、涼しげな表情を浮かべている。

 アンネリーゼ自身が自らの意思で魔力を抑え込んでいることを知らない者達にとっては、その態度が理解出来ないのも仕方のないことだろう。

 アンネリーゼは一度目を伏せ、ゆっくりと呼吸をし、もう一度アレクサンダーの目を真っ直ぐに見据えた。


 「それだけが全てではないからです」


 「それはそうだが…」


 「魔力が無くとも生きてはいけます。お父様とお母様、お兄様達を支えることは出来ます」


 皆がアンネリーゼの言葉に聞き入り静まり返った。

 アンネリーゼは気にせず言葉を続ける。


 「私が昏睡し魔力が枯渇してからの三ヶ月もの間、お父様もお母様も、ここにいる皆も変わらず私を愛してくださいました…待ち続けてくださいました。見捨てようとすれば…切り捨てようとすればいくらでも出来たはずなのに、そうはなさいませんでした。ですから、魔力が無くなったからと言って悔しくはありません。悲しくもありません。だって、こんなにもたくさんのものをいただいているのですから」


 そこまで言ったアンネリーゼは満面の笑みを浮かべた。


 「私は既にこんなにも恵まれていますのに、これ以上望んでしまっては贅沢に慣れ過ぎて欲張りさんになってしまいますわ!そうなって困るのはお二人ですわよ!!」


 「ははは…それは嬉しい悩みだ」


 「本当に…。成長しましたねアンネリーゼ」


 「ええ、ですから気にされないでください。私は気にしておりませんから。

 むしろ、継承権を失った代わりに選択肢が広がったと思えばお得だと思いますもの」


 「貴女…本当にアンネリーゼよね?5歳よね?」


 「何を言ってますのお母様…アンネリーゼですし5歳ですわよ?」


 アンネリーゼはヒルデガルドの言葉に内心大量の冷や汗をかきつつ猛省した。

 

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