46. 葛藤
倒れて眠ったままのレオンハルトの元をアンネリーゼが見舞いに訪れるようになってから数日が経った。
アンネリーゼは目覚める事なく眠り続けるレオンハルトの手を握り、高齢による体力の低下により剣を握らなくなって細くなった手に寂しさを感じつつも、これまでの辛かった事や楽しかった事などを語りかけ、ただひたすらに待ち続けた。
「先生、また参りますわね…えっ…?」
この日もいつも通り思い出を語りかけ、何も反応が返ってこない事に涙を堪えて立ち上がり握っていた手を離そうとすると、微かに握り返された気がしたアンネリーゼは床に膝を付いた。
「先生!先生!聞こえますか!?私です、アンネリーゼですわ!!」
「ん…。お、おぉ…これは殿下…どうかなされたのですかな?」
「あぁ…!良かった!」
アンネリーゼは堪えていた涙が瞳から溢れ、レオンハルトに抱き付き声を上げて泣き出した。
2人だけにしようと部屋の外で待機していたカミラとガーランド、そして3日前にミレーナと交代したターニャがその泣き声を聞いて駆けつけ、ガーランドはレオンハルトが目覚めた事を医師に伝えるため席を外した。
「殿下…儂はどうしたのでしょう?」
「2週間程前に倒れられたのです…」
「あぁ、儂は殿下の訓練中に倒れたのですな…。ご心配をおかけして申し訳ございません」
朧げだった記憶が徐々に甦り、レオンハルトはベッドに寝たまま頭を下げる。
「謝らないでください…先生は何も悪くありませんわ」
「ですが、ご心配をおかけしてしまいましたからなぁ…」
「医師をお連れしました!!」
2人が話をしていると、医師を背負ったガーランドが戻って来てすぐに診察を受ける。
アンネリーゼはその様子を祈りながら見守り、自分が昏睡状態から目覚めた時のアレクサンダー達がどのような心境だったのかを身をもって味わった。
「ふぅ…」
医師は診察を終え、俯き深く息を吐く…その表情は険しく、アンネリーゼやカミラ達にも良くない状態である事は理解出来た。
「医師殿、言葉を選ばずとも自分の事は自分で良く分かっておるよ…儂は長くはないのであろう?」
「はい…こうして目を覚まされた事すら信じられないと言うのが私の正直な感想です」
「世話をかけたのう…儂が眠っておる間も医師殿は診てくれておったのであろう?」
「…それが私の仕事であり誇りですので」
「医師殿の仕事に…その誇りに感謝いたす。医師殿、すまぬがしばらく儂らだけにして貰えんかのう?」
「はい、私は両陛下へご報告いたしますのでこれで…。
剣聖様、私も貴方を診る事が出来て大変光栄でございます。またお伺いいたしますので、どうかご無理だけはなさらぬようお願いいたします」
医師は一礼し、アレクサンダー達へ報告するためそのまま部屋を後にした。
「剣聖様、両陛下も公務が片付き次第すぐにお見舞いにいらっしゃるそうです…本当は直ぐにでも駆け付けたいご様子でしたが」
「そうか…では、今のうちに話しておこうかのう」
「先生!起きてはいけませんわ!」
起き上がろうとしてよろけたレオンハルトにアンネリーゼが駆け寄り手を伸ばすと、レオンハルトはその手を優しく押しのけてゆっくりとベッドの上に座り直した。
「いやはや、情け無いものですなぁ…剣聖などと持て囃された儂も老いには敵わんようです」
「もう、先程無理をしないようにと言われたばかりではないですか!」
「皆の顔を見たいのです…」
レオンハルトのその一言に皆が押し黙る。
「殿下、お話をさせていただいても?」
レオンハルトは一度ターニャに目を向けた後、アンネリーゼに視線を戻して尋ねた。
「えぇ、ターニャとミレーナにも先日話しましたから構いませんわ」
「それは良かったですなぁ…どうかお一人で抱え込まぬようになさいませ」
「はい、皆から耳が痛くなるほど言われましたわ」
そう言って苦笑するアンネリーゼを見てレオンハルトは声を上げて笑い、深く息を吸ってアンネリーゼを見た。その表情は優しさに溢れている。
「殿下、今でも全てに復讐したいと思っておられますか?」
レオンハルトの問いにアンネリーゼは押し黙ると、しばらく俯いて沈黙した後、不安げな表情で顔を上げた?
「まだ恨みも怒りもまだ私の中にありますわ…。先生やテレーゼ様と出会い剣を教わり力の何たるかを知った事で、この力を復讐に使って良いものかと悩んでおります。
以前の私はベルタンの全てを…王侯貴族も民も何もかもを滅ぼしたいと思っておりました…私の受けた苦しみを、悲しみを、痛みを味わわせてやりたいと思っておりましたわ…」
「今は違うと?」
「正直分かりませんわ…。あの日、この国に攻めて来たのはベルタンの騎士達であり、それを指示した者達です…それなのに、罪もないベルタンの民達まで私の復讐の犠牲にしても良いものかと思ってしまうのです。そんな事をすれば、あの日この国を滅ぼした連中と何も変わらないのではないかと思うのです…」
レオンハルトは素直に心情を吐露するアンネリーゼを見て優しく微笑むと、重い腕をゆっくりと上げ頭を撫でた。
「悩んでおられますなぁ…非常に良い事です」
「悩む事が良い事なのですか?悩みなどない方が良いと思うのですが…」
アンネリーゼが遠慮がちに尋ねるとレオンハルトは声を上げて笑い、また頭を撫でた。
「多くの者達が悩みとは悪い物と思いがちではありますが、実はそうでは無いと儂は思うのです」
「そうなのですか?」
「うむ、例えばアンネリーゼ殿下は妹君のリーゼロッテ殿下によく贈り物をしておられますが、何を贈ろうかと悩まれておるでしょう?何を贈っても喜んで貰えるとしても、より良い方を贈りたいと悩む…それは悪い物でしょうか?」
「違うと思いますわ…。では、何故私を含め多くの者達は悩みを悪い物と考えてしまうのでしょう?」
「殿下ならば分かられるかと思いますがのう?」
レオンハルトの意外な一言にアンネリーゼは驚き思案したが、答えが見つからず首を振った。
「申し訳ございません…思い当たるものがございませんわ」
「ふむ、では儂の持論ではありますがお答えしましょう…答えは「慣れ」でございます。悪い悩みというものは痛みと同じで慣れてしまうのですよ…それが無意識のうちに記憶に残ってしまい悩みとは悪い物と思い込んでしまうのです」
「では、逆に良い悩みは何故記憶に残らないのでしょうか?」
「人は快感を求める生き物ですからな…。良い悩みは比較的早く解決してしまうためすぐに満足し、悩んでいた事すら記憶の片隅に追いやり次を求めてしまうのです」
「結局、悩むのが良い事というのは何故なのでしょうか?お聞きした限りでは良くも悪くもあるという事しか分かりませんでしたわ…」
「それは、悩みの本質は何であるかでございますな」
「悩みの本質…でございますか?」
「うむ、悩みがあるということは現状に満足しておらぬという事です。良い悩みはより良い結果を、悪い悩みは現状の打破を…これらはどちらも共通しておるものがございます」
レオンハルトに見つめられ、答えを求められていると感じたアンネリーゼは、思考を巡らせ辿り着いた答えを遠慮がちに口にする。
「どちらも未来を見ている…と、いう事でしょうか?」
「そうです。悩むという行為は先を見ている証拠なのです。現状に満足しておったり諦めておれば悩みはいたしません…それを生きていると言って良いのかと儂は思うのです。
儂はこの歳になり、この様な身体で残された時間が少なくとも今だに悩みが尽きませぬ…あと20は若ければまだ殿下のお側にお仕え出来たのではと悔しくて堪りませぬ。ですが、それで良いのです…悩み、悔やんでおるのはまだ儂が生きておる証拠ですからな。
良いですか殿下、悩みも後悔もあって良いのです…大事なのは諦めず、悩み、考えて生きることですぞ」
「はい、先生…ご教示いただきありがとうございました」
アンネリーゼは瞳に涙を浮かべ深々と頭を下げた…これが最後の指導であると察したのだろう。
それを見たレオンハルトはもう一度優しくアンネリーゼの頭を撫で、自分が伝えるべき事は全て伝えられたと言いたげに満足気に頷いた。




