44. 祖父
ヴィルマとミレーナ&ターニャが専属侍女としてアンネリーゼの元にやって来てから月日が経ち、季節は秋になっていた。
アンネリーゼがヴィルマと共に考えた毒物や薬物を研究する為の専門機関の件も何とか承認され、ミレーナ&ターニャも皇宮での生活に慣れてきたため次回からは一ヶ月交代へと移行する事になった。
情報収集を行っているコンラート達もヴィクトルの組織の協力もあり、怪しい動きを見せる帝国貴族を見つけ出すなどここ数ヶ月でいくつかの成果を挙げている。
だが、何もかもが順調に事が運んでいると思っていた矢先、つい1週間前にアンネリーゼの訓練を見ていたレオンハルトが倒れてしまったのだ。
倒れたレオンハルトは意識が戻らず、医師の診断では高齢のため体力と魔力が著しく落ちており、いつ旅立ってもおかしくない状況とのことだった。
「殿下…まだ続けられるのですか?」
先日、レオンハルトが倒れる前日にターニャと交代したミレーナが遠慮がちにアンネリーゼに尋ねた。
アンネリーゼは返事をせず、ただひたすらに剣を振る。
その切先は普段のアンネリーゼの鋭い一振りとは違い、不安を振り払いたいと言いたげなただ力任せの素振りだ。
あまりに長い時間力任せに素振りをしているからか、アンネリーゼの手の皮は破け、飛び散った血の跡が周囲に広がっている。
「殿下、そろそろ治療を受けてください!」
「近寄らないでちょうだい!」
駆け寄り止めようとしたミレーナに、アンネリーゼが切先を向け叫ぶ…その瞳には涙が浮かんでいる。
「私は1日も怠ってはいけないの…先生にそう教えられたから…」
「ですが、このままでは殿下まで倒れてしまいかねません!剣聖様がそれを望まれるとお思いですか!?」
向けられた切先に怯みもせずミレーナが尚も近付こうとすると、それまで様子を見ていたガーランドがそれを制止てアンネリーゼに頭を下げた。
「殿下、手合わせをお願いします」
「…本気なの?」
「はい」
「手加減してあげられる心の余裕は無いわよ…?」
「覚悟のうえです」
ガーランドが木剣を持ち、アンネリーゼも治療を受けて木剣を構えた。
「行きます…」
「来なさい」
2人が構え、ミレーナの開始の合図と共にガーランドが打ち込んだ。
普段2人が手合わせをした場合、勝率は突きを起点とした攻めとカウンターを得意とするアンネリーゼの方が高い…だが、それは決してガーランドが劣っているのではなく、目指すものが違う事に由来する。
アンネリーゼの剣は相手を討ち倒す攻めの剣、ガーランドの剣はアンネリーゼを守る為にひたすら鍛え上げた守りの剣…ガーランドはレオンハルトの教えを守り、アンネリーゼの為の剣をひたすら磨き続けて来たのだ。
普段と変わらぬ…いや、普段より苛烈に攻めるアンネリーゼと、その剣を防ぎ一定の距離を保つガーランドの姿に、訓練場に集まり見守っていた騎士達はアンネリーゼの勝利を疑わなかった…だが、膝を付いたのはアンネリーゼだった。
冷静さを欠いたアンネリーゼは、普段ならばまず引っ掛かる事の無いフェイントに反応してしまい、木剣を叩き落とされてしまったのだ。
「ありがとうございました…」
「流石ね…完敗だわ」
「いえ、普段の殿下であれば俺は勝てませんでした…」
「そうかしら?でも、負けは負けよ…。ありがとう、頭が冷えたわ」
「いえ、俺は何も…」
アンネリーゼは謙遜するガーランドを見て苦笑し、大きく伸びをする。
「ミレニア、さっきは剣を向けてごめんなさい…我ながら最低な行為だったわ」
「いえ、殿下は剣聖様を慕っておいでですから仕方のないことかと…どうか気になさらないでください」
「ありがとう…。さてと、戻りましょうか?」
アンネリーゼがそう言って歩き出すと、ミレーナが引き留めようと手を伸ばしたが、途中でその手を下ろし俯いた。
「どうかしたの?」
「あ、いえ…今日も剣聖様の元へは行かれないのですか?」
「今行ってしまうと耐えられる気がしないもの…そんな姿を先生には見せられないわ。まあ、あんな荒れ方をしていた私が言うべき台詞ではないのだけれど…。
とにかく、私が会いに行くのは先生が目覚めてからよ」
「承知いたしました…」
「ミレニア殿、俺は着替えてから行くので殿下をお願いします」
「はい…では、また後ほど…」
死に戻りやこの国の未来を知らされていないミレーナは不安の残る表情で頷き、アンネリーゼの後を追う。
ガーランドはそんなミレーナの様子を見て深く溜息をついて騎士の宿舎へと戻って行った。
***
「あの、殿下…」
部屋に戻る途中、ミレーナが遠慮がちにアンネリーゼを呼び止めた。
「どうしたのミレニア?」
「長い時間訓練をされておりましたし、湯浴みをなさいませんか?」
ミレーナからの意外な提案にアンネリーゼは目を瞬かせ、彼女なりの気遣いなのだろうと思い苦笑し頷いた。
「そうね、だいぶ汗もかいてしまったしそうしようかしら…もちろん貴女も一緒よね?」
「いえ、私は…」
「たまには良いじゃない?」
アンネリーゼは遠慮するミレーナの手を引き、方向転換して浴場に向かう。
「わ、私は殿下のお召し物を持ってまいります!」
「そんなの頼めば良いじゃない?あ、そこの貴女、今から湯浴みをするから私と彼女の着替えを持って来てくれないかしら?」
言うが早いかアンネリーゼは近くにいたメイドに声を掛け、ミレーナが止める間もなく着替えを取りに行かせた。
「はい、これで着替えの件は解決したわね」
「分かりました…お供いたします…」
ミレーナが諦めて項垂れたのを確認し、アンネリーゼは浴場に向け再度歩き始めた。
「貴女も一緒に訓練していたのだから丁度良いじゃない」
浴場に着き、脱衣室で訓練着を脱いだアンネリーゼがいまだに乗り気でないミレーナに声を掛ける。
ミレーナはゆっくりと服を脱ぎ、アンネリーゼと自身の着ていた服を軽く畳んで籠に入れる…時間稼ぎだ。
「服の上からでも分かっていたことだけれど、凄いわね…凄い以外の言葉が出てこないわ…」
「な、何をジロジロと見てるんですか!?」
「砂時計?」
「変な例えはやめてください!」
ミレーナは身体をタオルで隠すが、面積が足りず隠しきれていない。
アンネリーゼは剣の訓練で無駄な脂肪の無い引き締まった身体をしているものの、第二次性徴期を迎え女性らしい身体付きになりつつあるのだが、大人のミレーナとは比べるべくもない。
「私も成長するのかしら…」
自分の胸を見下ろし、両手の平で僅かな膨らみに手を添えてアンネリーゼが呟く。
前世の17歳の時点では、細身ではありつつも一応はある方だったのだが、目の前にある物は格が違う…アンネリーゼをオレンジに例えるなら、ミレーナはメロンだ。
「殿下はまだ12歳なんですからこれからです!」
「ははは…そうであって欲しいわね…」
アンネリーゼは乾いた笑いを漏らし、肩を落として洗い場に向かう。
ミレーナは溜息を吐くと湯船からお湯をすくい、ゆっくりとアンネリーゼの身体にかけていく。
「ありがとう」
「いえ…」
アンネリーゼの一言に多くの意味が含まれているのを感じたミレーナは短く返事をする。
2人はそれからしばらく無言になり、ミレーナはアンネリーゼの髪と身体を洗い流す。
「ミレーナ、交代しましょう」
「は…は?い、いえ!恐れ多いです!」
素っ頓狂な声を上げたミレーナに苦笑し、アンネリーゼは立ち上がると有無を言わさずタオルを奪った。
「さっき剣を向けてしまったお詫びと言うには安すぎるけれど、せっかく2人なのだからこのくらいはさせてちょうだい…あ、髪は私ではやりにくいから自分でお願いね?」
アンネリーゼは慌てているミレーナの背後に周り、お湯をかけて背中を洗いだす。
諦めたミレーナは大人しくなり、またもや長い沈黙が流れ浴場には身体を洗う音のみが響く。
「心配を掛けてしまってごめんなさいね…」
長い沈黙を破り、アンネリーゼがミレーナの背中越しに語りかけた。タオルを持って背中を洗っていた手が止まり、小さく震えている。
ミレーナは何を言うでもなく、ただアンネリーゼの言葉を聞く。
「私のお祖父様…先帝は私が生まれた翌年に亡くなってしまって、顔も声も覚えていないの…絵画には残っているけれど、実際にお会いした事は覚えていないわ。
私はね、レオンハルト様のことを本当のお祖父様の様に思っているの…厳しくするのは私を思ってのことだし、訓練以外では本当に優しく見守ってくれるわ…」
アンネリーゼはミレーナの背に額を押し付け、震える声を押し殺し涙を流す。
「レオンハルト様がご高齢なのは理解しているし、そう長くは無い事も予想がつくわ…でも、死んで欲しくないわ…」
ミレーナは肩に添えられたアンネリーゼの震える手に自分の手を重ね、力を込める。
初めて出会った日から一度も見せた事の無いアンネリーゼの年相応の弱さに触れ、ミレーナは掛ける言葉が見つからずともただ寄り添いたいとそう思った。




