40. 報恩
ヴィクトルの元を訪れて数日が経ち、アンネリーゼはある子爵家のタウンハウスを訪れていた。
訪れた目的は二つ…一つはミレーナとターニャをアンネリーゼの専属侍女として招くための後見を頼む事、そしてもう一つはこの子爵家の令嬢こそが魔力増幅の論文の作者である事が理由だ。
アンネリーゼはその令嬢が書いた未完成の論文があったからこそ今の自分があると感じており、その恩を返したいと思い訪問を決めたのだ。
「シャルフェ子爵、本日は急な申し出にも関わらず訪問をお許しいただき感謝いたしますわ」
「なんのなんの!このカール、アンネリーゼ殿下にご訪問いただけて幸甚の至りにございます!こちら妻のフローラと
娘のヴィルマにございます」
「アンネリーゼ殿下、ご無沙汰しております」
「お、お初にお目に掛かります殿下!ヴィ…ヴィルマと申します!」
見るからに慌てた様子のヴィルマを見て、アンネリーゼは優しく微笑んだ。
「夫人もお久しぶりです。ヴィルマ、そんなに緊張しなくても大丈夫よ…私と貴女は同い年なんだし、気軽にアンネリーゼと呼んでちょうだい」
「そそそそんな!恐れ多いです!」
「私の魔力が枯渇しているのは知っているでしょう?貴女も魔力が少ないと聞いてどうしても会いたいと思って訪問させて貰ったの…それに、貴女が色々と努力しているのも聞いていたから、私も何かお手伝いさせていただけないかと思って今日は我儘を聞いて貰ったのよ。
だから、今日の私はただの物好きな訪問者…皇女だとかそんなことは気にせず気軽に接して貰えたら嬉しいわ」
「あ、ありがとうございます!ど、努力します…」
柔らかいウェーブの掛かった濃い茶色の髪と、薄いそばかすの浮いた素朴な顔立ちに分厚い眼鏡を掛けたヴィルマは見た目通り真面目な性格らしく、身分の差になかなか心を開いてくれないようだ。
だが、アンネリーゼはめげずに距離を詰めていく。
「貴女の部屋を見せていただけないかしら?」
「ふえっ!?わ、私の部屋をですか!?」
「ヴィルマ、殿下をご案内して差し上げなさい」
「わ、分かりましたぁ…こ、こちらになりますぅ…」
父であるカールにまで言われてしまい、ヴィルマはとぼとぼと歩き出す…さぞ胃が痛い思いをしているだろう。
アンネリーゼはそんなヴィルマに後ろ姿に苦笑し、カールとフローラに頭を下げた。
「ありがとうございます。また後程ゆっくりとお話しさせていただきますわ」
「お気になさらないでください…娘はあのような性格ゆえ同年代の令嬢ともなかなか交流が出来ず、親として心配していたのです。殿下から娘に会いたいと仰っていただいた時は目頭が熱くなる思いでございました…」
「本日は娘のためお越しいただき本当に感謝しておりますわ…どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ」
カールとフローラに見送られ、アンネリーゼはヴィルマの部屋へ向かう。
ヴィルマが扉を開け部屋に案内されると、アンネリーゼは目の前に広がる光景に驚き歩みを止めた…蔵書の量に驚いたのだ。
「私の部屋も大概だけれど、まるで貴女の部屋は書庫みたいだわ…凄いわね!」
「両親からは女の子らしくないと怒られます…」
「あら、私も妹や馬の物ばかり買っていると先日母から叱られたばかりよ?しかも、せっかく買い物のために商会を呼んだのに母の監視付きだったのよ…生きた心地がしないとはあのことよ」
「ふふっ…殿下にもそのようなことがあるんですね」
「あ…やっと笑ってくれたわね?私も1人の人間だもの、怒られる事もあるわよ…だから肩肘張らずに普通に接して欲しいわ」
「はい…すぐには難しいかもしれませんけど、努力します」
「ええ、よろしくねヴィルマ」
2人はどちらからともなく笑い、互いの蔵書について語り合う。
読書という共通の趣味も手伝い次第に距離が縮まっていき、アンネリーゼは決心した。ヴィルマに感謝を伝えると共に、受けた恩に報いたいと強く思った。
「ヴィルマ、ありがとう…」
「えっ…お礼を言うのは私の方です!だって、同い年の女の子とこんなに楽しくお話ししたのはアンネリーゼ様が初めてで…」
「違うのよヴィルマ…私は貴女に助けられたの…」
「えっと…私が何かしたのでしょうか?」
「そうね、まずはそこから説明するわね」
アンネリーゼはそう言うと、いつも通り指を鳴らした。
「これは…魔法ですか!?でも、アンネリーゼ様は魔力が枯渇したって…」
騙していた事に罪悪感を覚えたアンネリーゼは頭を下げ、ヴィルマの手を取る。
「枯渇はしていないの…魔力を高める為に枯渇したように見せかけていただけ…そして、その方法を教えてくれたのは貴女よヴィルマ」
アンネリーゼは混乱するヴィルマにも理解出来るようにゆっくりと話し出す。
それはカミラ達に語ってきた内容と変わらないが、いかに未来のヴィルマが考えた論文に助けられたか、どのように工夫し今に至ったかを説明した。
「あの…その話が本当だとして、私はどうすれば良いのでしょう?まだ信じ切れなくて…」
「私はね、貴女が魔力量の少なさで苦労していることを知っているわ。そして、それをどうにかしようと必死に努力した事も知っているの…私自身が貴女の努力に救われたし、その恩を返したいの」
「はい…」
「だから、私の専属侍女にならない?そうすれば一緒にいる時間が増えて貴女と私でより良い方法を探せるし、研究の為の書物や設備などの資金も公費で賄えるわ…それに、同じ趣味を持つ友達として私と一緒にいて欲しいの…駄目かしら?」
「本当に私が一緒にいても良いのでしょうか…」
「私は一緒にいたいと思える人を側に置きたいの…その方がいっぱい頑張れるじゃない?それに、友達だったらなおさらだと思わない?」
「ありがとうございます…私もアンネリーゼ様ともっと沢山お話ししたいです…。こんなに楽しいと思えたのは初めてでしたし、これで終わりにしたくないです」
「ええ、私もよヴィルマ…」
「本当に私と一緒に良い方法を探してくださいますか?」
「検体協力ならもってこいの人物が貴女の目の前にいるじゃない?出来る事なら何でも協力するわ」
「それは…恐れ多いので遠慮しておきます…」
「あら、それは残念だわ…せっかく覚悟してきたのに」
「ふふっ…そんな覚悟しないでくださいよ」
ヴィルマが笑い、アンネリーゼは安堵して胸を撫で下ろす。
「もう一度聞くわね?私の専属侍女になってくれるかしら?」
「はい、よろしくお願いします」
「ありがとうヴィルマ…やっと貴女に恩を返せるわ」
アンネリーゼはヴィルマを抱き締め礼を言う。
ヴィルマは照れながら頷き、アンネリーゼの背にそっと腕を回した。
「さて、貴女のご両親に伝えに行きましょうか?「娘さんを私にください!」ってね」
「やめてくださいよ…信じたらどうするんです?」
「あながち間違いではないと思うのだけど…冗談で通じない?」
「通じないと思います…」
「…ならやめておきましょう」
どことなく残念そうなアンネリーゼを連れてヴィルマはカールとフローラの元を訪れ、専属侍女になる事を伝える。
2人は驚きはしたもののたいそう喜び、アンネリーゼに何度も礼を言った。
貴族家の令嬢にとって、帝室の専属侍女となることは非常に名誉な事だ。しかも、それが皇女から直々に選ばれたともなればなおさらだろう。
「ヴィルマ、殿下にしっかりとお仕えしなさい」
「頑張るのですよ。殿下、娘をよろしくお願いいたします」
「お2人共顔を上げてください、お世話になるのは私の方ですわ…」
アンネリーゼは何度も頭を下げてくる2人に何度目かのフォローを入れ困ったようにヴィルマを見たが、嬉しそうに笑っている姿を見て諦めのため息を吐いた。
「あの、子爵…ヴィルマを専属侍女に迎えるついでにもう一つお願いを聞いていただけないかしら?」
「何なりとお申し付けください!このカール、殿下の頼みとあらば山をも持ち上げて見せましょう!」
「そ、そんな難しい事ではありませんわ…頼みと言うのは、私が贔屓にしている商会の伝手でもう1人護衛も兼ねた専属侍女を雇うつもりなのですが、その女性の後見人になっていただけたらと思うのですがどうでしょう?」
「ふむ、それは構いませんが…殿下の贔屓の商会であればオイレンブルク卿に頼まれた方がよろしいのでは?」
「あまり特定の方ばかりを重用すれば角が立ちますから…」
アンネリーゼがテオバルトの商会を利用しているのは、表向きは馬具の購入を主な理由にしている。他の商品はそのついでと言っても良い。
オイレンブルク侯爵家は馬産をしているため、その繋がりで馬具類の取り扱いが多いテオバルトの商会を贔屓にしていると他の貴族家には伝わっているのだ。
だが、特定の貴族家ばかりを重用すれば他の家は良い顔をしない…そのため、今回はヴィルマの件と一緒にカールに依頼したのだ。
「どうでしょう、引き受けてくださいませんか?」
「承知いたしました!その程度であればいくらでもご協力いたします!」
「感謝致しますわ。では連絡がつき次第こちらに伺わせますので、ヴィルマもその時一緒に迎えにまいりますわ」
「では、また後日ご連絡いたします!」
その後、アンネリーゼは子爵一家との会話を楽しみ、ヴィルマとのしばしの別れを惜しみながら抱擁を交わし皇宮へと戻った。




