34. 出立
「殿下、お世話になりました」
「そんな、それは私の台詞ですわテレーゼ様…」
オイレンブルク侯爵領から戻り10日後、テレーゼがケンプファー辺境伯領に向かう為帝都を発つことになった。
アンネリーゼが6歳の頃からの付き合いになるテレーゼとは、今世において約半分の時間を過ごした間柄のため、名残惜しい気持ちが拭えずにいる。
だが、師弟関係を終えてなお自分のために動いてくれるというテレーゼの申し出に、アンネリーゼは寂しさを振り払い笑顔で見送ることを決意した。
今、2人は共に過ごした日々を思い出しながら笑顔で別れを告げている。
「いえ、こんな素晴らしい馬まで贈っていただいたのですから、お世話になったのは私の方です!」
「それを言ったら、私の方こそテレーゼ様の剣を頂いてしまって…」
「それは気にしないでください…。使い古しで申し訳ないですが、殿下に持っていて欲しいのです」
「そんな!テレーゼ様がお使いになっていた物なのですから大切にいましますわ!…それで、その子の名前は決まりましたの?」
アンネリーゼはテレーゼから受け取ったサーベル、レイピア、ダガーをまるで宝物の様に胸に抱いている。
そして、テレーゼもアンネリーゼとアレクサンダーから贈られた馬を愛おしそうに撫でた。
「シャッツィと名付けました…だって、殿下から頂いた私の宝物ですから」
シャッツィとは「宝」という意味を表すシャッツを可愛らしく表現した言葉だ。テレーゼにとって初めての可愛い弟子から贈られた宝物であるその馬にぴったりな名前だろう。
その名を聞いたアンネリーゼは頬を染め恥ずかしそうにはにかんだ。
「もう、恥ずかしいですわ!」
「殿下、儂もちとよろしいかのう?」
「はい、私ばかり申し訳ございません」
もう1人の師であるレオンハルトに声を掛けられ、アンネリーゼは一礼して後ろに下がる。
「ほれ、こいつを持って行くが良い」
レオンハルトがテレーゼに差し出したのは、彼が長年愛用していた長剣だった。それを受け取ったテレーゼは、喜びと哀しみの籠った複雑な表情でレオンハルトを見た。
「先生、これは…」
「ケンプファー辺境伯領まで得物も無しでは心許無かろう?それに、お主も分かっておるだろうが、儂もそう長くはないからのう…」
アンネリーゼに聞かれぬようにレオンハルトは声を顰めて呟き苦笑する。
「…先生のお身体はそんなに悪いのですか?」
「長生きしたからのう…ただの歳よ。恐らく、お主とは今日が今生の別れとなろう…達者での」
「先生…両親のいない孤児だった私にとって、先生は父のようなお方でした。出来れば最期の時はお側にと思いますが、先生はそれは望まれないですよね…」
「お主が訪ねて来たのは、儂が騎士を引退し故郷に戻ってすぐであったか…あの時はお主も荒んでおったが、よく成長してくれた。
子や孫のおらぬ儂にとっても、お主は娘のような存在であった…殿下はさながら孫じゃな。テレーゼよ、孫を頼む…儂に出来ぬ分お主が殿下を助けてやるのだぞ」
「はい…心得ました」
テレーゼは鼻を啜り涙を堪えながらレオンハルトと固く握手を交わし、アレクサンダーとヒルデガルドに一礼した。
2人は師弟の別れに水を差さないように見守ってくれていたのだ。
「両陛下…このような素晴らしい馬まで賜ったうえに見送りにまでお越し頂き感謝の念に耐えません」
「いや、礼を言うべきは我等の方だ…娘が世話になったな。馬を贈りたいと言い出したのはあの子だ…礼ならば余ではなくあの子に言ってやってくれ」
「テレーゼ、寂しくなるわね…貴女は明るくてあの子も慕っていたから、今から寂しがる姿が目に浮かぶわ。どうか健やかに…またいつでもいらしてね、歓迎するわ」
「はい、ありがとうございます…あの、こちらは?」
テレーゼはアレクサンダーから差し出された小箱を見て首を傾げた。
「テレーゼ殿はケンプファー辺境伯領に行かれると聞いた。レオンハルトから紹介状を受け取っているとは思うが、余からも辺境伯のヴィルヘルムに宛てて用意した…彼奴のもの程ではないが少しは役に立つであろう。
それと、辺境伯領までは距離がある…途中いくつかの領に立ち寄る際、それを出せば滞在費と路銀を工面するよう取り計らっておる。このようなものでしか返せぬが、アンネリーゼが本当に世話になった…ヒルデガルドが言った通り、またいつでも訪ねてくるが良い」
小箱を開けるて中を確認すると、帝室の印を押された書状と僅かながら金貨と銀貨が入っていた。
途中の領で路銀を工面する事で、少しでも身軽に移動が出来るようにとのアレクサンダーなりの心遣いだ。
テレーゼはアレクサンダーとヒルデガルドに恭しく一礼し、馬に乗る。
「殿下、辺境伯領に着きましたら文を送ります。
では皆様、6年間お世話になりました…またいずれお会いいたしましょう」
テレーゼは一礼し、最後にレオンハルトを見て「次は彼方でお会いしましょう」と死後の再会を願い出発する。
アンネリーゼは涙を堪え、テレーゼの姿が見えなくなるまで手を振り見送った。
「行ってしまいましたな…」
「はい…寂しくなりますが、また会える日を楽しみしています」
アンネリーゼは寂しげに呟いたレオンハルトに潤む瞳で笑って答える。
「先生、良かったら私の部屋でお話しをいたしませんか?」
「おお、殿下のお誘いとあれば喜んでお供いたします!」
部屋に戻り、カミラに紅茶の用意を頼んだアンネリーゼは防音のため魔法を展開する。
「テレーゼ様が発ったからと言って、寂しがってばかりではせっかく協力を申し出て下さった先生方に申し訳がありませんし、今のうちに今後について話させていただこうと思いますわ」
「了解いたしました…して、殿下はどのように動かれるおつもりで?」
レオンハルトに問われ、アンネリーゼは皆に見えるように指を3本立てた。
「現状私が優先すべきこと、優先したいことは三つあります…一つ目は帝都及び近隣の領や街などで動き情報を集める者、二つ目は私の影武者を務められる者の勧誘、三つ目はこの国の魔法技術の向上ね。
三つ目は個人的に私がやりたい事…魔力量増幅の基礎を考えた令嬢が報われるようにしたいだけだから後回しにしても構わないわ」
「ふむ…一つ目に関してはオイレンブルク卿の手の者がおるのでは?」
「彼等には深い所に専念して欲しいのです。今のまま手広く動いて貰っていてはこれ以上の情報は得られないでしょうし、何よりいくつも任せてしまって下手に目立っては彼等も危険だわ…それなら、最新の注意を払って専念して貰いたいのです」
「では、影武者についてはどのようなお考えで?」
「影武者は単純に私が動きやすくするためですわ。
前世の通りことが運ぶのであれば、残された時間は5年弱…ただ待っているだけでは変えられないかもしれません。
ですが、私が下手に動けば警戒されかねません…ですから影武者が必要なのです。
時間は掛かりましたが、先日侯爵から私の条件に合う人物が見つかったと報告を受けましたので、一つ目と二つ目は同時に解決しそうですわ」
「影武者の条件とは?」
「若い女性の双子であること、武術の心得があること…この二つですわ」
「それはまた難儀な条件ですな…武術の心得だけならまだしも、双子で影武者に適した者となると…」
「ええ、なので探すのに4年掛かりました…。
そして、その条件に合う女性達が帝都の歓楽街を縄張りにしているある組織の頭目の関係者にいるそうですわ」
「何故そこまで双子にこだわっておいでで?」
「私が動くとなれば早くて数日、下手をすれば長くて1ヶ月程は帝都を離れる事になります…その間、影武者に選んだ者がいなくなっては勘繰られます。
ですので、普段は侍女の1人として交代で私の所作などを学んでいただき、影武者が必要な時には双子の片方に私の代わりを務めさせようと思っているのです…それに、武術の心得が無いと私の代わりは出来ませんでしょう?」
「ふむ…ですが、見た目の問題は如何なさるおつもりで?魔法で擬装するにもかなり高度な操作が必要かと思いますが…」
アンネリーゼはその問いに不敵に笑うと、カミラを隣に呼び魔法で姿を変える。
カミラの身体が一瞬光に包まれ、光が収まるとアンネリーゼの姿になっていた。
『如何でしょうか?』
2人のアンネリーゼが同時に発した言葉が重なり、レオンハルトは目を見開いた。
「姿形だけでなく声までとは…いやはや、これでは見抜くのは容易くありませんな」
アンネリーゼは驚くレオンハルトを見て得意気に笑い、魔法を解いてカミラの腕に抱き付く。
「ここまで再現出来るようになるまで、かなり訓練をしましたから…ね、カミラ?」
「はい…」
「俺に知らせずやるもんだから困りましたよ…見抜かれたら負けとか言って遊び感覚でやるんですもん」
練習に付き合わされていたカミラとガーランドが疲れ切った表情で肩を落とし、レオンハルトは苦笑した。
「まあ、何事も楽しんでやった方が身に着くというものであろう…ご苦労だったのう」
「お気遣いいただきありがとうございます…」
カミラとガーランドが覇気の無い声で礼を言い、アンネリーゼは手を叩いた。
「まずはオイレンブルク卿と繋がりのある商会を招いてその組織について詳しく話を聞きましょう!それに、リーゼへのプレゼントも買いたいしね!」
「またですか…いくら情報収集のための口実とは言え、そろそろご自身の物も買われないと皇后陛下からまたお小言を貰いますよ?」
「仕方がないじゃない、リーゼが可愛くて仕方がないのだから…さて、次は何を買ってあげようかしら?ぬいぐるみ?ドレス?いえ、そんなケチ臭い事は言わずにこの際どちらもアリね…」
アンネリーゼは7歳の時に生まれた妹、第二皇女のリーゼロッテが最近何かと慕ってくれているため可愛くて仕方がないらしくえらく御執心だ。
せっかくのカミラの忠告も、妄想の世界に旅立ったアンネリーゼにはもはや届いてはいなかった。




