33. 師弟
侯爵領に滞在して4日目の夜、明日には帝都に発つため最後の夜となった。
晩餐の後、アンネリーゼは侯爵邸に滞在中に借りている部屋のバルコニーで、カミラが淹れた紅茶をゆっくりと飲みながら自然豊かな侯爵領の星空を眺めていた。
「殿下、お時間よろしいでしょうか?」
ガーランドがノックされた扉を開けて訪問者を確認すると、そこにはテレーゼとレオンハルトが立っていた。
「あら先生方、どうかなさいましたか?」
そう言ってアンネリーゼは2人を部屋に招き入れ、カミラに紅茶を出すよう頼んで室内のテーブルに着く。
テレーゼとレオンハルトもテーブルに着くと、真っ直ぐにアンネリーゼの目を見た。
「夜分遅くに申し訳ない…しばし此奴に付き合ってやっては貰えんかのう?」
「殿下、私は帝都に戻れば準備が整い次第去ることになります…ですので、その前にお聞きしたいことがあるのです」
「はい、何でしょうか?」
師2人が訓練以外では滅多に見せない真剣な表情を見て、アンネリーゼは居住いを正す。
そして、これからテレーゼが一段声を低くして発する言葉に、胸を締め付けられるような感覚を覚えることになった。
「殿下、貴女は人を殺めたことがございますね?しかも、私や先生と出会う前に、魔法で…。カミラ殿とガーランド殿もご存知なのでしょう?」
「…何故、そう思われるのですか?」
「私が殿下の師となる前、何をしていたかは知っておられるでしょう…人を殺めた事がある者は臭いで分かるのです」
テレーゼは名の売れた傭兵であり、これまで多くの命を奪ってきた…傭兵としての経験と勘というものだろう。
「私が人を殺めていたとして、何故魔法だと?私の魔力は5歳の時に枯渇したのはご存知のはずですが…」
「理由など単純でしょう?私達と出会う前、殿下は剣を握ったこともなかったはずです。
当時まだ幼く力の弱い殿下には難しく、持った事がある刃物などハサミやディナーナイフ程度の物でしょう…そんな殿下が人を殺めるとすれば、それは魔法以外にはあり得ません」
テレーゼに断言され長い沈黙が流れた後、アンネリーゼは意を決したかのように頭を下げた。
「今まで黙っていて申し訳ございません…テレーゼ先生のおっしゃる通りです。レオンハルト先生もご存知だったのですか?」
「儂も出会った時からそれとなく気付いておりました…」
「そうですか…。私に剣を教えた事を後悔されていらっしゃるのではありませんか?」
アンネリーゼがそう問うと、テレーゼとレオンハルトの2人は揃って苦笑した。
「後悔しているのであれば、最後まで教えたりはしませんよ…ねえ先生?」
「うむ。殿下は何故儂とテレーゼが後悔しておらんか分かるかのう?」
「いえ…」
「儂等は殿下の本質は優しさだと思っておるのです。
出会った時こそ危うく思っておりましたが、剣に打ち込むにつれそれも大分落ち着きなさった…のう、ガーランド?」
急に話を振られたガーランドは一瞬戸惑いを見せたが、力強く頷いた。
レオンハルトがアンネリーゼの剣の才を見定めた日、ガーランドに忠告していたのだ。
「人を殺めたことを責めはしないのですか?」
「私達にはそんな資格ありませんよ…ねえ先生?」
「うむ。騎士も傭兵も人を殺める事のある仕事だしのう…そんな儂等に殿下を責める資格は無かろうて。
殿下、覚えていなされ…何の為に力を使うかが重要なのです」
「それが復讐だとしてもですか…?」
復讐という言葉に2人が眉を顰め沈黙した。
それを見たアンネリーゼは目を伏せ話を続ける。
「私はこれからも復讐のため多くの人を殺めるでしょう…その為ならば、私はどのような悪名も謗りも喜んで受け入れる所存です」
「儂は復讐そのものが悪とは思ってはおりません。騎士は報復の為敵国に攻める事もありますし、傭兵は金で他人の復讐に加担する事もある…。
命、金、物、尊厳…復讐とは何かを奪われて初めて起こるものです…何があったかお聞かせ願いたいのですが構わんかのう?」
「はい…」
アンネリーゼは短く返事をし、いつも通り指を鳴らして防音のため魔法を展開する。
テレーゼとレオンハルトはほぼ確信していたため、別段驚く事も無くアンネリーゼが話始めるのを待った。
だが、話が始まるとそうはいかなかった…話の内容そのものも勿論怒りを覚えるものではあったのだが、何より目の前の少女は誰が敵で誰が味方か分からない状況で少ない協力者しか持たず、この7年もの間、回りを必要以上に巻き込まぬよう配慮し、己を鍛え1人耐え抜いてきたことに動揺を覚える。
そして、死に戻る前からの年齢を合わせても自分達よりも若いアンネリーゼが必要以上に自身を追い込み、国や民のためその身を捧げている事に哀憐の情を抱かずにはいられなかった。
ーー儂があと30…いや、せめて20は若ければ殿下をお支え出来たというのに、何とも口惜しいのう…。
レオンハルトは自分の気持ちや考えを言語化する事が不得手なテレーゼに代わり、アンネリーゼにかけるべき言葉を模索した。
これまではアンネリーゼの直接の師であるテレーゼの顔を立て、そしてテレーゼ自身の成長のためにもフォローするに留めていたのだが、今回はそうもいかない…覚悟は出来ていても小さな切っ掛け一つで折れてしまいかねないアンネリーゼに、何か言葉を掛けなければとそう強く思った。
だが、意外にも先に口を開いたのはテレーゼだった。
「殿下、よく耐えてこられましたね…」
たった一言だけだ…だが、アンネリーゼにはそれだけで良かった。師のその一言に救われた気持ちになったのだ。
テレーゼは立ち上がると、俯き肩を震わせ声を押し殺して涙するアンネリーゼを抱き寄せレオンハルトを見た。
「先生、私は帝都を発ちましたらケンプファー辺境伯領に向かい、殿下の仰っていた事件が起こるまでそちらで腕を磨こうと思います…よろしいでしょうか?」
「承知した。儂からも辺境伯には紹介状を書いてやろう…成長したのうテレーゼ」
「当然です。師を辞するとは言え、私の弟子であった殿下が耐えておられるのです…それを見て見ぬふりをしては、殿下の師であったと胸を張って名乗ることなど出来ませんから」
「儂が赴ければ良いのだが、この歳ではの…任せたぞテレーゼ」
「お任せください」
尊敬する師2人の理解と協力を得る事が出来、安心したアンネリーゼは泣き止むと共に睡魔に襲われてしまい、名残惜しい気持ちを抱きつつもその日は休む事になった。
部屋に戻る2人に改めて礼を伝えベッドに入り眠りに落ちたアンネリーゼは、2人の師と過ごした厳しくも楽しかった日々を夢に見ながら侯爵領での最後の夜が更けて行った。




