31. 卒業
死に戻りから7年が経ち、アンネリーゼは12歳となった。
その間、件の男やベルタンに変わった動きはなく、前世と変わらぬ平和な時間が流れている。
麗らかな春の空の下、騎士団の訓練場の中央で2つの影がサーベルを手にまるで舞うように戦っている。
1人は亜麻色の髪と褐色の肌を持つ背の高い女性、もう1人は淡い金色の髪に白い肌とダークブルーの瞳を持つ少女だ。
2人は躱わし、いなし、弾き、相手の体勢を崩し、隙をついては互いに攻め合う…サーベルの打つかり合う甲高い音が広い訓練場に響いては春風に攫われていく。
多くの騎士達が見守る中、互いを牽制する長い沈黙が流れた後、意を決した2人が同時に動いた。
先に突きを繰り出した背の高い女性のサーベルの内側に少女が自身のサーベルを沿わせ手首を返し、サーベルの反りを利用して突きの軌道を逸らして首に斬り掛かった。
「そこまで!!」
訓練場に男の声が響き渡る。
少女のサーベルの切先は、女性の首に食い込む寸前で止まっていた。
「参りました…お見事です殿下…」
女性は突きの体勢を解き、悔しさの滲む顔を浮かべつつ対戦相手である少女の勝利を讃える。
殿下と呼ばれた少女はサーベルを鞘に納めると、深く息を吐いて今し方まで戦っていた女性に頭を下げた。アンネリーゼだ。
「テレーゼ先生、手合わせありがとうございました…」
「とうとう負けてしまいましたね」
「まだ一勝ですよ?私がこれまでどれだけテレーゼ先生に負けてきたと思ってるんですか…」
アンネリーゼが苦笑すると、テレーゼは首を振った。
テレーゼから指導を受け始めてしばらくして、アンネリーゼはテレーゼの事も先生と呼ぶようになった。
正面から向き合い指導をするテレーゼに敬意を抱き、呼び方を変えてから5年…やっとのことで掴んだ勝利だ。
「たかが一勝ではありません…されど一勝ですよ殿下。
私は今回本気で手合わせをしました…しかも木剣や訓練用の刃引きした剣ではなく、真剣でした。もしこれが戦場であれば私の首は落ちていました…その意味は分かりますね?」
「はい…」
「これは紛れも無く殿下の勝利です…本当に、本当にお強くなられましたね」
そう言って笑ってアンネリーゼを抱き締めたテレーゼの目尻には涙が浮かんでいる。
師として弟子の成長を喜ぶとともに、まだ12歳の少女に真剣勝負で敗北してしまったという悔しさが溢れ、テレーゼは涙したのだ。
アンネリーゼも師であるテレーゼの思いに気付き、涙を堪えて抱き締め返す。
「ありがとうございます…テレーゼ先生…」
「ふふっ…その呼ばれ方も今日で卒業ですかね…」
「えっ…今、何と…」
アンネリーゼが聞き返すと、テレーゼは寂しそうに笑って頭を撫でた。
「私が殿下に教えられることはもう無くなったということです…おめでとうございます…弟子卒業ですね」
「そんな…」
テレーゼが背を向け立ち去る…アンネリーゼは呼び止めようとしたが、掛ける言葉が見つからず伸ばした手を彷徨わせている。
「今はそっとしておいてやってくだされ…」
そう言ったのは、2人の手合わせの立会人をしていたレオンハルトだ。
レオンハルトもアンネリーゼの師となってから6年が経って72歳となり、剣を手放してから既に3年になるが、今でも何かとアンネリーゼに目を掛けてくれている。
テレーゼにとっても師であるレオンハルトは、2人の弟子達の成長と避けられない関係の変化に胸を痛めていた。
「私はまだテレーゼ先生に教わりたいことが沢山あります…。まだ先生でいて欲しいのです…」
「弟子にそう思われるのは、師としてまことに幸せなことですな。ですが、出会いがあれば別れの時は必ず訪れるものですからな…」
「別れは避けられないのでしょうか…」
「まあ、今生の別れでもない限りまた会えると思いますがのう…あれは殿下もご存知の通り、風のように自由な奴ですから、案外ふらっと戻ってくるやも知れませんぞ」
「そうでしょうか…」
「そう信じるしかあるまいて」
アンネリーゼは俯き、逡巡してレオンハルトを見た。
「少しお父様のところへ行ってまいりますわ…」
「承知いたしました…行ってきなされ」
レオンハルトに一礼し、アンネリーゼはアレクサンダーの元へ向かった。
***
「お父様、テレーゼ先生の事でお話しがございます!」
アンネリーゼはノックも無しに執務室の扉を開き、書類に目を通していたアレクサンダーに詰め寄った。
今日はヘルムートはいないらしく、執務室にはアレクサンダー1人のようだ。
「ノックくらいしたらどうだアンネリーゼ…それで、どうした急に」
「申し訳ございません。急ぎの用事でしたので忘れておりましたわ…」
「テレーゼ殿の事だったか…ならば、先程こちらに来ておったぞ。真剣勝負で勝ったそうだな?」
「はい…」
「どうした?あれ程勝ちたいと言っていたのに嬉しくないのか?」
俯き今にも泣きそうなアンネリーゼを見てアレクサンダーは椅子から立ち上がってソファに座らせ、自身も隣に座る。
「テレーゼ先生が辞められると…」
「ああ、先程本人からも聞いた…其方はテレーゼ殿に辞めて欲しくないと思っているのか?」
「辞めて欲しくありません…ですが、ご本人の意思を無視したくもありません。
お父様、私はテレーゼ先生から剣だけでなく多くの事を学ばせていただきました…それなのに、何も返せていないのが申し訳なくて、悔しくて仕方がないのです」
俯き震えるアンネリーゼの膝に涙が落ちた。
アレクサンダーはアンネリーゼの頭を抱き寄せ、優しく撫でて慰める。
「其方はテレーゼ殿に何かしてやりたいと?」
「はい…このままお別れになるのは嫌です…」
「ふむ…何か贈るというのも一つの手段とは思うが、果たしてテレーゼ殿が物で喜ぶかどうか…」
アレクサンダーの言葉を聞き、アンネリーゼはハッとして顔を上げる。
「お父様、お願いを聞いてくださいませんか…?」
「まあ、良かろう…テレーゼ殿には其方が世話になった…何か思い付いたというのであれば聞いてやろう」
「ありがとうございます!」
涙を拭ったアンネリーゼはアレクサンダーにいくつか頼み事をすると、急ぎテレーゼの元に向かった。
テレーゼにあてがわれた部屋の前に辿り着いたアンネリーゼは、またもノックをせずに扉を開いた。
「テレーゼ先生、いらっしゃいますか!?」
「うわぁ!な、何ですかいきなり!?」
私物の片付けをしていたテレーゼは、アンネリーゼの急な訪問に驚き飛び上がる。
「ど、どうしたんですか一体…」
「はぁ…はぁ…良かった…まだいらっしゃいました…」
「取り敢えず水を飲んで落ち着いてください」
テレーゼは水差しからコップに水を注ぎ手渡す。
アンネリーゼはその水を一気に飲み干すと、コップをテーブルに置いてテレーゼの手を握った。
「テレーゼ先生!」
「は、はい!」
アンネリーゼの勢いにテレーゼが身を竦める。
「出て行かれる前に旅行に行きましょう!レオンハルト先生も一緒に!!」
「…は?」
テレーゼは状況が理解出来ないままアンネリーゼに押し切られ、結局強制的に旅行に連れて行かれる事になってしまった。




