25. 剣聖
アンネリーゼが帝都に戻って2週間が過ぎた。
その間、侯爵領の騎士達の見送りなどを行なっており比較的平凡な毎日を送ってはいたが、今まで通りとはいかなかった…カミラとガーランドとの関係に若干の変化があったのだ。
カミラは暇な時間を利用して書物を読み漁って知識を蓄え、ガーランドは今まで以上に剣の訓練に勤しんでいた。
恐らく…いや、確実にアンネリーゼが人を殺めた事に対し2人が悩んだ結果行き着いた行動だろう。
「殿下、そろそろお時間です」
「分かったわ、ありがとうガーランド」
「アンネリーゼ様、こちらをお使いください」
今日は剣の才を判断する人物が来ることになっており、アンネリーゼはその人物が来る前に中庭で準備運動をしていた。
アンネリーゼがカミラから受け取ったタオルで汗を拭いていると、背後から突如として気配を感じ3人は振り返った。
そこには、頭は白髪に覆われてはいるものの、背筋の通った体格の良い老人と言える年齢の男が腕を組んで立っていた。
「ふむ、身体を温めておるとは感心感心!良い心掛けですな!」
「あの、申し訳ありませんがいつからそこに…?」
アンネリーゼに問われた老人は豪快に笑い、ガーランドを睨んだ。恐らく、気を抜くなと釘を刺したのだろう。
「そこの騎士が殿下に声を掛ける少し前ですな!あまりに気付かれんものですから傷付きましたぞ!」
「気付かずに申し訳ありませんでした…私はヴァルドシュタイン帝国第一皇女アンネリーゼと申します。
貴方が私の剣の才を判断してくださる方でよろしいかしら?」
「おお!これは自己紹介が遅くなり申し訳ない!儂の名はレオンハルト…一応、前騎士団長など務めておりましたが、今はちいとばかし剣が得意な爺にございます」
老人の自己紹介を聞いた3人は唖然として言葉を失った。
目の前にいるのは、帝国…いや、近隣諸国にまで名を馳せた剣聖本人だったのだ。
「ん?どうかされましたかな?」
「え…いえ、剣聖様でございますか?」
「ふむ…まあ、そのように呼ぶ者もおりますが、正直儂には過ぎた名ですな!」
豪快に笑うレオンハルトを横目に、アンネリーゼは項垂れた…無理であると悟ったのだ。
「お父様は認めないおつもりなのね…」
「ふむ…陛下からはなかなか良い目をしておられたと聞き及んでおりましたが、やる前から諦めていらっしゃるのでしたら儂はこれにて失礼いたします」
「ちょっとお待ちになって!判断が早過ぎません!?」
そそくさと立ち去ろうとするレオンハルトを慌てて引き留め、アンネリーゼは深呼吸をする。
「剣聖様…いえ、この呼び方はあまり好まれないようですのでレオンハルト様とお呼びしても?」
「お好きなようにお呼びくだされ」
「ではレオンハルト様、お見苦しいところをお見せしてしまい申し訳ございませんでした…私の剣の才を判断していただけますか?」
「良いでしょう…ですが、甘くはありませんぞ?陛下から厳しく判断するようにとは言われておりますが、剣とは危険な物…おいそれと許可を出す訳にはまいりませんからな」
「それで構いません…私も軽い気持ちで剣を習いたいと言ったわけではないと証明するわ!」
「はっはっは!その意気ですぞ!では、まずは某が手本を…」
そう言ったレオンハルトは真新しい木剣を両手で持ち、ゆっくりと上段に構え、振った…ただそれだけだ。
だが、レオンハルトが構えた瞬間に周囲の空気が張り詰め、「ピッ!」と短く鋭い音を発したその切先を目で追えた者はいなかった…騎士であるガーランドでさえその一振りに目を奪われ、力量の差に愕然とした。
剣の素人であるアンネリーゼとカミラから見ても、その一振りは見知った騎士達のそれとは次元が違う事が分かってしまった。
「ふむ…木剣ではこれが限界でしょうな」
「真剣であればまだ速く振れるのですか?」
「まだ腕は鈍っておりませんわい!こう見えて今も毎日剣を握っておりますからな!」
またもや豪快に笑ったレオンハルトはアンネリーゼに木剣を差し出す。
アンネリーゼは受け取った木剣を見て全身に鳥肌が立った…その木剣は、たった一振りで柄に亀裂が入り使い物にならなくなっていたのだ。
「…これを私にやれと?」
「いや、無理でしょうな!ですから、儂を唸らせる一振りを見せていただけたら合格といたしましょう!」
再度木剣を受け取り、アンネリーゼは見よう見まねで構え、振り下ろした。
だが、その一振りは「ブン!」と大きく鈍い音を発した。
「違うわ…」
そう呟き、アンネリーゼはまたも構えて振り下ろす。
「これも違う…」
回数を重ねるごとに集中力が高まるアンネリーゼを見てレオンハルトが満足気に頷くと、ガーランドが木剣を手に取り頭を下げた。
「剣聖様、俺も…いや、私もやらせていただいてもよろしいでしょうか?」
「ふむ…好きにせい。だが、気を抜くなよ?殿下はなかなかに見込みがありそうだ…」
レオンハルトが首をしゃくって促し、ガーランドはそちらを見て目と耳を疑った。
そこには先程までとは違い、鋭い音を響かせて素振りをするアンネリーゼの姿があった。
ーーまだよ…まだ違う…レオンハルト様はどのように振っていたかしら?
目を瞑り、レオンハルトの一振りを思い浮かべながら木剣を振るう。
ゆっくりと上段に構え、振り下ろす…ただそれだけの動きだというのに遥かに遠い。
素振りを繰り返していたアンネリーゼの手の平にはいつしかマメが出来、潰れ、一振りごとに血の滴が飛び散る。
そして、疲労で腕の力が抜けた瞬間、先程とは違う手答えを感じた。
ーーこれだわ!
そう感じたアンネリーゼは、先程の感覚を忘れぬうちにもう一度木剣を振るった。
無駄な力を抜き振り下ろすと「ピュン!」という音とともに実感が湧く。
だが、まだレオンハルトの音には届かない。
ーーあと何が足りないの?
そして、アンネリーゼはレオンハルトの使った木剣を思い出した…柄に亀裂が入り、使い物にならなくなったあの木剣だ。
ーー何故あの木剣の柄は割れていたの?いつあれ程の力が加わったの?
幾度もの試行錯誤を繰り返し、そしてたどり着いた…。
極限まで脱力し、木剣を振り切る瞬間、力を込めた。
すると「ピッ!」と短く鋭い音が響いた。
「お見事!」
レオンハルトの歓喜の声が聞こえ、アンネリーゼはその場に倒れ込む。
駆け寄ったカミラに抱き起こされたが、既に精魂尽き果てたアンネリーゼは自力で立ち上がることすら出来なくなっていた。
「ありがとうございました…」
辛うじてそう呟いたアンネリーゼは、そのまま気を失うように眠ってしまった。
「先を越されてしまいました…」
そう言って悔しさを滲ませたのはガーランドだ。
アンネリーゼの手の治療をカミラに任せたレオンハルトはニヤリと笑い、ガーランドの背中を叩く。
「悔しいならばもっと剣を振れい!殿下のあれは一種の才能だ!才能は努力で覆せる!」
「精進します…」
ガーランドの決意の籠った言葉にレオンハルトが満足気に頷くと、アレクサンダーが様子を見に現れた。
「レオンハルトよ、アンネリーゼはどうであった?」
「おお、これは陛下!どうもこうも素晴らしいの一言ですぞ!あのような非凡な才を眠らせておくなど国の損失どころの話ではない!!」
「そこまでか…」
「それはもう!集中力もそうですが、特筆すべきはあの目ですな!事細かに物を見て我ものにする才がございます!良き師に師事すれば必ずや某をも超える剣の使い手となりましょう!!」
興奮冷めやらぬレオンハルトの言葉にアレクサンダーは逡巡し、頷き頭を下げた。
「レオンハルトよ…騎士を引退した其方に頼むのは心苦しく思うが、娘を見てやってはくれまいか?」
「陛下、頭を上げてくだされ!このレオンハルト、陛下たっての頼みとあらば謹んでお受けいたします!ですが、某がお教え出来るのは騎士の剣…両手で扱う重い剣は殿下には向きますまい。
某がお教えいたすのは基礎に留め、片手で扱えるサーベルやレイピア、ダガーなどを扱える者を紹介いたしましょう」
「うむ、全て其方に任せる…では、余はアンネリーゼを送って行こう。たまには父親らしいことをしてやらねばな…」
アレクサンダーは眠っているアンネリーゼを抱き上げ、カミラに付き添われながらまるでガラス細工を扱うように優しく慎重に運んでいく。
その姿を見送ったレオンハルトは素振りを再開したガーランドを呼び止める。
「お主、ガーランドと申したか…」
「はい」
「先程陛下にはああ言ったが、殿下をよく見ておれよ…あのお方の剣はどこか危うい。
いざという時、あのお方をお守り出来るのは己のみと心得よ」
「承知しております…この命に換えましても必ずやお守りいたします」
「馬鹿者!お主が死んでどうする!?お主が死んでは殿下を守る者がいなくなるだろうが!死ぬな!そして守り通せ!!」
ガーランドは木剣で尻を叩かれ、蹲りながらも何度も頷き生き抜く事を誓った。




