2.覚醒
ランプの淡い灯りしかない薄暗い部屋の中、額に汗をうかばせた苦しげな表情の少女が眠っている。
誰に向けての言葉なのか、涙を流しながらごめんなさいと何度も何度も繰り返し呟き魘されていた。
「アンネリーゼ様、大丈夫ですか!?」
部屋の扉が開き、少女の様子を見に来たであろうお仕着せに身を包んだ年若い娘が、魘されている少女に駆け寄る。
アンネリーゼと呼ばれた少女は、その娘の声に反応し、弱々しく重い瞼を開いた。
「ここは…何処…?」
「アンネリーゼ様のお部屋でございます!ああっ、まだ起きあがられてはっ…!!」
アンネリーゼが身体を起そうとすると、娘は慌ててそれを止めた。
ーー酷く頭が痛いわ…力も入らないしどうしたのかしら…
娘はアンネリーゼの身体を優しくベッドに寝かせると、急いで部屋の外に行き、騒ぎを聞きつけた者達に対し指示を出している。
それを目で追っていたアンネリーゼは、重く感じる右手をゆっくりと持ち上げ、手の平を見て愕然とした。
ーー傷が無い…いえ、そんなことより…これは私の手ではないわ。でも、確かにアンネリーゼと呼ばれて…。
崖から飛び降りた時、アンネリーゼの手の平には自身の爪が食い込んだことによる傷があったはずだ。
そして何より、アンネリーゼの年齢は17歳であるはずなのに、今目の前にある手は明らかに小さな子供の手だった。
アンネリーゼが置かれた状況に混乱していると、指示を出し終えた娘が小走りで戻ってくる。
「アンネリーゼ様、すぐに両陛下と医師が参りますのでーー」
心配そうに覗き込む娘の顔を改めて見て、アンネリーゼは堪え切れずに涙をながす…その娘は、アンネリーゼを逃がす為、囮となって命を落とした侍女のカミラだった。
カミラは涙を流したアンネリーゼを見てまたもや慌てだしたが、アンネリーゼに手を握られ、その手を愛おしそうに自身の頬に擦り付ける姿を見て、言葉に詰まった。
「カミラ…良かった…会いたかったわ」
そう言ってアンネリーゼがゆっくりと抱きつくと、アンナは涙を浮かべて背中に腕を回し、愛おしむように優しく抱き返してくれた。
「アンネリーゼ様…心配いたしました…」
「カミラ…申し訳ないのだけれど、今は何年の何月だったかしら…」
「帝国暦246年の3月でございます」
しばらく抱き締め合った後、アンネリーゼは恥ずかしそうに頬を染めつつ聞くと、カミラは一瞬きょとんとした表情を浮かべたが、アンネリーゼは魘されていたため、まだ意識がはっきりとしていないのだろうと優しく微笑み、ベッドに寝かしつけながら答えてくれ、アンネリーゼはその答えに驚愕し、俯き思案する。
ーー12年前だわ…まさか、時間が巻き戻って…。
部屋の外が俄かに騒がしくなり扉に目を向けると、弾けるように扉が開き、背が高くがっしりとした燃えるように赤い髪と赤い瞳を持つ壮年の男性と、アンネリーゼと同じ淡い金髪とダークブルーの瞳を持つ女性が入って来てベッドに駆け寄り、瞳に涙を浮かべながら優しくアンネリーゼの手を握った。
ヴァルドシュタイン皇帝アレクサンダーと皇后ヒルデガルドの二人だ
「アンネリーゼ!無事で…無事でよかった!!
お前が倒れたと聞いた時はどうすればよいかと…余は…余はっ…!!」
「陛下、そんなに握ってはアンネの可愛い手が潰れてしまいますわ…アンネ、ごめんなさい。辛くはない?平気?」
「だ、大丈夫です…お父様、お母様」
アンネリーゼが苦笑して答えると、二人は感極まり言葉を詰まらせ、愛娘を抱き締める。
ーーああ、またお二人に会えた…なんて幸せなの。
「あの…私は何故倒れてしまったのでしょうか?」
アンネリーゼに問われ、アレクサンダーとヒルデガルドは身体を離し、表情を曇らせた。
「魔力暴走を起こしたのだ…」
「貴女、本当に危なかったのよ…もう無茶をしてはだめよ?」
ーーそうだったわ…確かにそういうことがあったわね。忘れてしまっていたわ。
兄の…第二皇子であるクラウスの魔法訓練に混ざり、暴走させてしまったのだったわね。
「ごめんなさい…もう二度と無茶はしないとお約束いたしますわ」
アンネリーゼがそう答えると、アレクサンダーとヒルデガルドは困惑した表情で互いを見つめ合った。
「あの…お父様、お母様どうかなさいましたか?」
そう問いかけると、二人は慌てて首を振る。
「いや、なんだかお前が急に大人びたと思ってな…」
「そうね…貴女はまだ5歳なんだし、そんなに畏まらなくても良いのよ?寂しいじゃない…」
「あの…本当にごめんなさいお父様、お母様…怒られてしまうと思って怖くて…」
アンネリーゼがそう言うと、二人は困ったように微笑み優しく頭を撫でた。
「確かに無茶をしたのはいけない事だ。考え無しの行動は周りに迷惑をかける。以後気をつけなさい」
「陛下のおっしゃる通りよ。でも、貴女はちゃんと反省して、理解してくれたでしょう?なら、これ以上言うことは無いわ」
ーーああ、本当に幸せだわ…。
時に厳しく、けれど優しく包み込んでくれる。
国主と国母して、父と母としても国と国民と家族に深い愛情を注いでくれる。
アンネリーゼにとって二人は愛すべき家族であり、理想そのもだった。
そんな大切な家族を奴等は奪った…目を閉じれば今もまだ思い出す。
国と民と家族を何より愛した父と母を。
病弱ではあったものの、誰より思いやりに溢れた兄、第一皇子ギルベルトを。
やんちゃで素直ではなかったが、確かに兄妹を愛し守ってくれた3つ上の兄、第二皇子クラウスを。
今から2年後…アンネリーゼが7歳の時に生まれてくる、柔らかくのんびりした雰囲気を持っているが、兄妹の中で一番の頑固者で拗ねる姿が可愛かった妹、第二皇女リーゼロッテを。
ーー絶対に許さない…。
せっかく死に戻ったことでもう一度やり直せるのだ。
今度は絶対に奪わせない…逆に、奪った者達から全てを奪ってみせる…そう思うと心が躍った。
あの時祈りを聞き届けてくれたのが神か悪魔か知らないけれど、そんな事はこの際どうだって良い。
例え愛する者達から恐れられることになろうと、全てを奪ったベルタンを焼き尽くし、この世の地獄を再現する。
ーーその時まで、せいぜい仮初の平和を謳歌するが良い。
この日、後の世で地獄皇女、竜皇女、鮮血の魔女など多くの二つ名で恐怖の象徴とされるアンネリーゼ・ヴァルドシュタインが誕生した。




