11. 鍛練
日の出前のまだ薄暗い薄闇の中、騎士団の訓練場の外周を駆ける三つの影がある。
「すーっ…はーっ…すーっ…はーっ…」
「ぶはっ…んぐっ…ふ、二人共…ま、待ってくださ…い…」
「カミラ嬢、どんだけ体力無いんだよ…」
均一のリズムで呼吸をし、颯爽と先頭を走るアンネリーゼ、その後ろに汗を一滴もかかず余裕の表情で追うガーランド、二人からだいぶ離された位置でフラフラと頼りない足取りでついて行くカミラの三人だ。
外出許可が降りてから半年近くが経ち、走れる程に体力が回復したアンネリーゼは父である皇帝アレクサンダーに直談判し、ガーランドとカミラの監視付きという条件付きで、体力作りのためのトレーニングをする権利をもぎ取り今に至る。
アンネリーゼが死に戻ってから初めての冬に入り、息が白む寒空の下、雪と雨の日以外は欠かさず走っている。
「ふう…少し休憩しましょうか?カミラもあんな状態だし…」
「そうですね…」
丁度十周目を終えたところでアンネリーゼが提案し、ガーランドも賛同し立ち止まった。
二人に離されていたカミラの姿は、まだ豆粒のように小さく見える。
「ほら!あと少しよカミラ!」
「亀の方がまだ早く歩きそうですね」
「こら!そんなこと言ったらカミラが可哀想でしょう?ああいうところがカミラの可愛いところなんだから」
「5歳児の言っていいセリフじゃないですよそれ…」
「精神年齢は17歳であの娘より歳上なんだから良いのよ。
それに、あと少しで身体も6歳よ」
ふふん!と胸を張っている小さな主人に苦笑したガーランドは、温まった身体を冷やさぬよう柔軟を始める。
「それにしても、最初は驚きましたよ…」
「何にかしら?」
アンネリーゼはガーランドに倣って柔軟をしながら聞き返す。
「陛下に走りたいって言った時の理由ですよ…」
「ああ、魔力が無いなら体力を付ければ良いじゃない!ってあれ?」
「それですよ…俺、あれ聞いた時はマジで護衛騎士辞めようか悩んだんですからね」
「それは困るわね。でも、その後にちゃんと本当の理由は話してあげたでしょう?」
「そう言う大事なことは、出来れば前もって言っといてくださいよ」
「善処するわ」
ガーランドはまだ何か言いたげだったが、諦めて深くため息を吐いた。冬の空気に冷やされ、息が真っ白に凍りつく。
アンネリーゼが走りたいと言った本当の理由…それは現在進行形で実践している魔力量強化のためだ。
これまでは元にした未完成の論文の通りに魔力回復を抑えるだけに留めていたが、それだけでは足りない可能性を考慮した結果、身体を鍛えることにしたのだ。
魔力の総量には個人差があるが、量に関係なく魔法を行使する為には制御する必要がある。そして、高度な魔力制御には強い精神力が不可欠であり、精神が宿るのは肉体だ…アンネリーゼはそれを「健全な精神は健全な肉体に宿る理論」と名付けたが、ガーランドとカミラに二人揃って真顔でそれは違うと言われ、長いこといじけたのはつい先日の事だ。
最近ではアンネリーゼは意外と脳筋なのではないかと二人に思われているが、理論の内容そのものは一理あるのではと大人しく協力している。
身体に負荷をかければ疲れとなり、それは精神にも影響を与える。例えば、辛い、苦しい、やめてしまいたいと思うことなどがそれに当てはまるだろう。
実際、アンネリーゼはトレーニングを始めた頃は制御が不安定になり体調を崩してしまう事があったのだが、最近ではそれも改善され、今では走る程度では乱れなくなってきていた。
一応、アンネリーゼは次の段階も考えているようだが、どのようにアレクサンダーとヒルデガルドを説得するかで頭を悩ませる毎日を送っている。
「ぶへあっ…ぜぇ…ぜぇ…し、しんどい…」
アンネリーゼとガーランドから遅れること数分、やっとのことで追い付いたカミラが頭から滑り込み、仰向けになった。
そんなカミラを上から覗き込み、ガーランドが用意してあったタオルを手渡した。
「途中で止まったりしてたのに何でそんなに疲れてるんだよ…」
「お二人が異常なんですよ…!ていうか、騎士のガーランドさんはまだしも、なんでアンネリーゼ様も息切らしてないんですか…」
「俺は慣れてるだけだけど、たぶん殿下は意図的に呼吸の仕方を変えてるぞ?」
「えっ…本当ですか?」
「そうね」
二人から視線を感じ、柔軟運動を切り上げたアンネリーゼが頷く。
「どうしてですか?」
「どうしてって…息を吸いすぎたら苦しくなるじゃない?だから、息を吸ったらゆっくりとしっかり吐くようにしているのよ。
それに、苦しいと肩で息をしてしまうじゃない?それだと、無駄に身体が動いてしまうから疲れる気がするのよね」
人は身体を動かせば息があがる。
酸素を求めて呼吸の間隔が早くなり回数が増えるが、吸った空気を吐き切る前に吸ってしまうため、肺の中が満たされた状態では満足に酸素を得られず酸欠状態に陥ってしまうのだ。
アンネリーゼはその事に気付き、吸った空気をしっかりと吐き切ることを意識して走っていたため、比較的楽に走っていられたのだ。
カミラはアンネリーゼの言葉を聞いて口をあんぐりと開けて呆れた表情を浮かべる。
「そ、そんなことを考えながら走ってたんですか!?」
「そんなこととは失礼ね…」
「わわっ!申し訳ありません!!」
アンネリーゼは憮然としたが、カミラが慌てて土下座をしたのを見て苦笑する。
「服が汚れてるじゃない…ほら、立ちなさい」
「ありがとうございます」
「あらっ…」
「殿下、ご無理をなさらないでください」
カミラを立ち上がらせようとして手を伸ばしたアンネリーゼだったが、流石に無理があったらしくバランスを崩して倒れそうになってしまい、すんでのところでガーランドがそれを受け止めた。
「ふふっ、ありがとうガーランド。カミラ、今ので分かったかしら?」
「えっ何がですか?」
アンネリーゼの問いかけにカミラが首を傾げる。
「私の身体はまだ子供だし、ガーランドは騎士で常日頃から鍛えているというのもあるけれど、女性は身体能力では男性には敵わないということよ。
私はまだまだ強くならないといけないわ…だから、力が弱くても効率よく身体を動かしてその差を少しでも無くす方法を考えるし、思い付いたら試すようにしているの」
「殿下がそういう心配をしないで済むようにするのが俺の役目なんですけどね…」
「あら、ちゃんと頼りにしてるのよ?でも、完璧な人間なんて存在しないもの…。だから、備えておくに越した事はないのよ。結果として必要が無かったとしても、身体を動かして健康になるなら無駄にはならないじゃない?」
「本当に殿下は前向きですよね」
「私達も見習わないといけませんね…」
「ほら、今日は十分走ったし早く戻ってお茶にしましょう?身体が冷えてしまうわよ」
そう言ってアンネリーゼは歩き出す。
ーー前向きか…復讐に囚われている私は、本当に前向きと言えるのかしらね…。
出来る事なら、こんな私を見習うなんてこと二人にはして欲しくないわ…。
凍えるような風がアンネリーゼと二人の間を吹き抜ける。
それが復讐に囚われる自分と、心から慕ってくれている二人との壁のように感じてしまい、寂しさを感じた。




