第8話 夫婦のかたち
私が新婚であることを伝えると、ほとんどのお客様が信じて色々と話をしてくれる。その中でもずっと昔から疑問に感じていた、人はなぜセックスレスになるのかに対する答えを、多くのお客様から聞くことができ、私の知的好奇心を大いに満たしてくれた。
セックスレスになるタイミングとしてお客様の意見で最も多かったものが、子どもが生まれたことがきっかけだそうだ。その中でも2つに分類できる。
前者はセックスをする環境の問題。子どもが寝静まった、もしくは不在の際に試みても、最中に子どもが泣き出した、急に子どもが帰宅してきた、などのトラブルが発生すると仕切り直しは難しく、何度かそれが続くと、思いがけない邪魔が懸念事項となり、上手くいかないそうだ。
そして後者は奥さんを女として見られなくなった、という意見だ。
「ぼさぼさの髪で、くたびれたスエットで家の中をウロウロされてみ?性欲なんてわかないよ」と、鼻で笑いながら言ったお客様の表情がとても印象的だった。
子どもが生まれると女から母親になる、というのは出産をしている同年代の友人を見て感じることは確かにある。男性から見て妻が女から家族になることで深い愛情を持つようになった代わりに、そういう気分になれなくなってしまった、という話を聞く機会は多い。
しかし、冷静になって考えてもらいたい。働く女性が家事も育児も仕事をこなしながら、妊娠前の女レベルを維持することはかなり大変なことだと思う。
年齢を重ねるにつれ、女であることを維持するにはお金も時間もかかる。子どもが生まれれば時短勤務をし、当然そのぶん収入が減る。出費は増えるのに、女でいるために必要な美容費を捻出することは、とても大変なのではないだろうか。
そういった環境に身を置いている女性が、女として見られるよう努力をするための、時間的、金銭的、精神的なサポートを旦那側はしているのだろうかと疑問に思う。女でいることには、大なり小なりお金がかかるのだ。
ただ、これは遺伝子レベルでどうしようもないことなのかもしれない。男性は体の構造上、様々なところに遺伝子を残せるよう作られているのだから、違う遺伝子を本能レベルで求めてしまう生き物なのかもしれない。
多くのお客様から様々な実体験を聞き、中にはこんな助言をしてくれる人もいる。
「莉奈ちゃんはまだ新婚だし、女って感じだからいいけど、旦那さんとの関係に慣れすぎたらダメだよ。常にスキンシップを取りたくなるような女でいないと」
そう言われたときは、なんでこんなに上から目線なんだ?と内心思ったが、後日別のお客様からとある話を聞き、夫婦関係を維持していくためには女である必要が少なからずあると納得した。
「肉体的なスキンシップが無くなると、脳が刺激を感じなくなって『こいつからは何も得られない』と判断しちゃうらしいんだ。そうなると、どんどん心が離れていくように感じるんだって」
そう教えてくれたのは、私の本指名である四十代半ばの社長だ。その社長には五年の不妊治療の末、やっと第一子を授かったが離婚してしまった。原因はセックスレス。子どもが授かった頃、立ち上げた企業が軌道に乗り仕事を最優先で行っていたため、家のことは奥さんがワンオペ状態だったらしい。
収入はかなりあったので、奥さんに美容費も含めてかなり多めに生活費を渡していたという。しかし、家に帰れば部屋は散らかっており、奥さんがくたびれた格好でいたことに腹が立ったそうだ。
「今思えば家事も育児もワンオペでさせてしまって、大変申し訳なかったと思う。でも当時は起業した俺の方が大変だ、と思っててさ。ぼさぼさの髪の妻を見た時に、なんでそんなにだらしない格好をしているんだ?まさかその格好で外に出ていないよな?って妻に言ったら泣かれてしまって」
苦笑しながらそのお客様は言った。
「それで俺もなんだかしらけてしまって、キスも手を繋ぐこともしなくなってしまった。正直に言えば後悔してるよ」
聞けば養育費に毎月三十万を支払い、元奥さんが済んでいるマンションのローンも負担しているという。
この話を聞いて、私は夫婦関係の難しさを知った。スキンシップがなくなると脳が刺激を感じなくなり心の距離が離れる、というのは大変興味深い話である。
しかし、ごく少数ではあるがプラトニックラブの夫婦関係を営むお客様もいらっしゃる。
三十五歳のお客様から、妻とは結婚する前からプラトニックラブの関係だ、と教えてもらった時には軽い驚きを覚えた。なぜ、その人と結婚したのか聞くと、そのお客様はこう言った。
「だって人生百年時代だよ。嫁とセックスしたい!なんで思うのはせいぜい五十歳くらいまででしょ?そう思うと、プラトニックな関係が半世紀は続くんだよ。それをしなくても精神的に満足のいく繋がりがあれば、幸せだと思う」
この人の価値観は私の頭を打ち抜くほど衝撃的だった。そんな風に男女関係をとらえようと思ったことすらなかった。
「でも、妻はできない、ってわけじゃないよ。結婚する前は何度かやったし。でも、プロポーズした時に、キスやハグは好きだけど、そういう行為は好きじゃない、って言われたから。無理にする必要はないしね」
「でも、寂しいって思うこと、ないんですか?」
私の質問にお客様は、仰向けに寝転がったまま笑った。
「そりゃあ、寂しいよ!でも、それ以上に妻と結婚したいと思ったから、やっぱりプロポーズして良かったと思うよ」
素敵ですね、と言うとお客様は天井を見つめながら言った。
「今日、ここに来ること、妻の許可を取ってきたんだ」
「えっ!奥様、許可してくれたんですか?」
「うん、私が対応できないから、仕方ないねって。本当はさ、風俗に行くくらいなら私を抱いてよ、って言ってくれるんじゃないかって期待していたんだけど、あっさり、いいよって言われた」
お客様の横顔に言いようのない寂しさを見て、私は思わず口をつぐんだ。残念ながらこのお客様の心まで満たすことは私にはできない。常に奥様に心が向いている人は、どんなに他の女の手を借りようが結局のところ、虚しさが残ってしまう。
「でもさ、この性欲の処理が追いつかなくって辛い、って思いはプラトニックの人には分からないだろうから、仕方がないね」
「一人でご飯を食べてもお腹は膨れるけど、心は満たされないことと同じですよね。ご飯は好きな人と一緒に食べた方が、美味しいですもんね」
「そうそう。莉奈ちゃん、上手いなぁ」
切ないだろうな。奥さんを大切に思うが故に、自分に言い聞かせているんだろう。これで良いはずだ、と。
パートナーから性を求められない辛さは、経験のない私にはわからない。肉体的な繋がりより、精神的な繋がりの方が人生において価値が高い、というのは分かる。プラトニックラブにはプラトニックラブなりの、素晴らしい繋がりがあると思う。しかし、肉体関係からしか生まれない精神的な繋がり、というのはあるはずだ。そして、それは決して無視できるほど軽いものではないだろう。
このお客様の考えは、私が結婚を見据えたパートナーを探すにあたって、重要視するポイントに大きく影響を及ぼした。私は今まで、男女関係なく恋人同士になるなら、性的な行為を重要視していたし、それが上手くいかず、別れることもあった。しかし、人生のパートナーを探すなら、長い目で見た時に心の相性がピッタリはまっていれば、そこまで性的な相性にこだわらなくてもいいのかもしれない。
私が人生のパートナーとして、相手に求める条件について考えるようになったある日、七十歳を超えたおじい様から指名を頂いた。そのおじい様に奥様との関係を聞くと、こう言った。
「さすがにこの年になると息子は役に立たん。女房も濡れ具合は悪くなる。だが、今でも一緒に良く寝るよ。セックスはコミュニケーションの一種であって、心の相性が良ければお互い絶頂を迎えられなかったとしても、心地よい満足感が得られる」
かくしゃくとした様子のお客様は、「ま、たまには若い女性の肌には触れたくなるけどね」と笑いながら言った。
私はそのセックスに対する価値観に、ひどく感心してしまった。私にとってのセックスとは男性なら射精を伴う快楽のこと、女性ならば絶頂を迎える快楽のことを指し示し、それが含まれない行為は失敗だと思っていた。
何人かの男性とお付き合いをし、彼氏がいない時は連絡先を交換せずにその場限りの一夜を過ごし、お互いに体の相性が良ければ、継続的にベッドだけの関係を続けた人も何人かいた。
我ながら数えきれない人とベッドを共にしてきたが、心に残るような満足のいくセックスができたのは、数えられるほど少ない。それでも昔はそれなりに楽しく過ごせたけれど、私は相手にとって決して特別な存在ではないことを自覚し、寂しさを覚えたものだ。
あぁ、どこかしら虚しさが残るのは、心が満たされていなかったからなのか。
「…ミヤギさんにとって奥様は、年を重ねても女らしい女性ですか?だから性欲が湧くのでしょうか?」
私は思い切って聞いてみた。
「女らしいかどうかはわからないなぁ。あいつは畑仕事が趣味みたいなもんだから、日焼けして肌も手もガサガサだし。若いころから化粧や着飾ることに、ほとんど興味がないやつだったし」
少し考えるように目線を漂わせながら答えてくれた。
「…そうだな、うん、女房にメスとしての女を今でも感じているか、といったらノーだな。でも女であるとかそれ以前に、とても大事な存在なんだよ。だから生身のあいつを抱きしめたいと思うし、女房と一緒にいるだけで、僕は終始ご機嫌な人生を送ってこられたわけだから、女房には満足してもらいたいんだ」
素敵だな。心の底からそう思う。そして、そんな人生をパートナーと歩んできたこのお客様が心底羨ましい。私もそのようなパートナーをみつけて、このお客様のような歳の取り方をしたい。




