第6話 きっかけのお客様
私はそのホステスとのやり取りを頻繁に思い出し、彼女が教えてくれたことについて考えるようになった。
事務スタッフになって知ったことだが、最短の九十分コースを選ぶお客様は全体の四割、二~三時間コースを選ぶ人が五割、残りの一割はそれ以上の超ロングコースを選択する。
そして、ずっとベッドの上でイチャコラしているのかといえばそうではない。多くのお客様が会話をしたがる。茶菓子を手土産に様々なことを話し、私のことを聞きたがった。
中には話しているうちに寝てしまう初老のお客様もいる。私との話が退屈すぎて寝てしまったのかと焦ったが、他愛ない話をしながら寝落ちすることが幸せなのだと言っていた。
決して安くない指名料を払い、日本でも有数の格式あるホテルで迎えしてくれるこのお客様は、何故か私のことを気に入ってくれたようで、新人の頃から毎月指名し続けてくれている。私はひそかに『昼寝のおじ様』と親しみを込めて呼んでいた。
私を指名するお客様のほとんどが、会話によるコミュニケーションを重要視していることに、入店して二ヶ月目で気づいた。
ホステスと話した数日後、二時間コースでとあるお客様のご自宅に呼ばれたことがある。高級住宅が立ち並ぶマンションの一室で出迎えてくれたお客様は意外にも若く、私とそこまで年齢が変わらないように見えた。
小さなお子様がいることが分かる玄関に上がり、雑誌に出てくるようなセンスの良いリビングに通されると、ソファーに座るよう促された。ツヤツヤした革張りのソファーは座り心地が良く、しっとりした肌触りが高価な家具であることを伺わせた。
「コーヒーでいいかな?」
キッチンの中からお客様が、コーヒー豆が入った瓶を指で示している。私はお礼を言いながら頷いた。
コーヒーミルで豆を挽く音が響いた。私は好奇心を押さえられずカウンター越しにその様子を伺った。銀色のコーヒーケルトから円を描くようにお湯を注いでいる様子を見て、コーヒー一杯入れるのに贅沢な時間の使い方をするもんだな、と感心してしまった。
何かしらスポーツをしていそうな体格が、シンプルなシャツの上から伺えた。清潔感があり、整った顔立ち、住まいからある程度の収入があることも伺える。リビングを見渡せば、お子さん二人と奥さんが映った写真が飾られており、幸せそうな家庭を築いているようにも見える。上質な暮らし、そんな言葉が似合う方である。
なぜこんな人が風俗嬢を呼ぶ必要があるのか、俄然興味が湧いた。
お客様はコーヒーをローテーブルに置くと「さぁ、座って」と、自分の隣を示してきた。私はお辞儀をし、失礼にならない程度に距離を保ち、ソファーに腰かけるとコーヒーを頂く。
「おいしい!」
思わず感想がこぼれた。引き立ての豆で淹れたコーヒーはこんなにも味が違うものなのか。驚きである。そんな様子の私を満足げに眺めながら、お客様はコーヒーの歴史や美味しいコーヒーの淹れ方について色々教えてくれた。
お客様の話を聞くと、仕事は建築デザイナーであり、お子さんは五歳と三歳の男の子、奥さんは私と同い年の二十八歳、お客様自身は三十二歳。奥さんもデザイナーの仕事をしており、今日から明後日までお子さんをつれて実家に帰省しているそうだ。
「参考までに聞きたいんだけど、旦那さんとはその…夜の営みとかあるの?」
聞きにくそうに控えめ聞いてくるお客様の質問に、一瞬固まった。
人妻専門店に所属しているキャストである以上、人妻という体を保たねばならない。しかし、お客様の真剣な眼差しの奥に迷いや、不安のようなものを見つけて私は、正直に答えてしまった。
「すみません、私、実は未婚なんです」
するとお客様は明らかにがっかりと肩を落とした。
「あ、そうなんだ…」
その様子を見て後悔した私は、今から他のキャストとチェンジすることを提案したが、お客様は首を振りながら答えた。
「いや、いいんだ。実は下の子が生まれてからずっと、妻とはレスでね。最初は育児が大変だか らなのかと思っていたんだけど、どうやらそうでもないようで…」
いったん閉じた言葉の続きを促すように、静かに私は頷いた。しばらくするとお客様はコーヒーを一口飲んで話し出した。
「何度も誘ったんだけど、子どもが家にいる時はやはり気になってしまうみたいで。両親に子供を預けて旅行したけど、断られてしまってね。どうしてやりたくないのか、聞いても答えてくれなくて…」
ソファーに深くもたれかかり、お客様は深いため息をついた。
「もしかして他に好きな人ができたのかと思って、民間業者を雇って調べさせたけど、どうやらそうでもないらしい。女性は子供を産むと何かが変わるのか、そう思って色々調べたんだけど、よくわからなかった。妻以外の女性は抱く気にはなれないが、自分で処理をするにも限界がある。このお店は職場の上司が教えてくれたんだ。本物の人妻と会える店だ、って。もしかしたら、妻と同い年くらいの人妻なら妻が何を考えているのか、どういう気持ちなのか、何か参考になるような話が聞けるのでは、と思ったんだ」
「…申し訳ございません」
私は深く頭を下げてお詫びをした。
人妻専門渋谷店は本物の人妻と会えることで口コミ評価が非常に高く、既存のお客様の紹介で、利用しに来る方が大勢いる。お客様は理想の人物に会うためにお金を払ってきているのであって、正直な私を求めているわけではない。お店のコンセプトを守り、嘘でも「人妻です」と言うべきだった。
「参考になるかわかりませんが…」
そう前置きをして、私は子持ちの友人の話をした。その友人曰く、旦那さんとしなくても十分に満足している、そして、出産したことで崩れた体のラインを凝視されるのも嫌だが、だからと言って旦那との行為のためにダイエットする気にもなれないそうだ。
「そうか。そういう考えもあるんだね…。その旦那さんも辛いだろうに。やはり女性は子供を産んでしまうと、夫のことは男ではなくて家族としてしか見られなくなるのかな」
お客様はベランダの方に視線を向けた。午後の昼下がり、洗濯物がよく乾きそうな快晴が広がっている。
「どうしたら解決するんだろうか…」
呟いた言葉に対する答えを残念ながら私は持っていない。なんて声をかければいいものか、あれこれと考えているとお客様がこちらに向いて聞いてきた。
「ごめん、こんなこと聞いても未婚の君にはわからないよね」
全くもってその通りなのだが、その言葉は私に突き刺さった。申し訳なさに目を伏せるとお客様が「君、彼氏はいるの?」と聞いてきた。それに対して私は「いません」と正直に答えた。そもそも好きな人がいたら、他の男性に触れられる仕事を私はできない。
「そう。他の人の女性に手を出すのはいくら風俗嬢といっても気が引けるけど、フリーで独身なら僕の相手をしてもらってもいいかな」
なんとも寂しそうな顔である。私は即答した。
「もちろんです」
「寝室は妻との場だから、できたら使いたくないんだ。悪いんだけどこのソファーでもいいかな」
断る理由なんてない。私はお客様がせめて身体的に満足ができるように誠心誠意努めた。
私はお客様に対して、要は性欲が処理できればいいんでしょ、と思っている自分を認識し、無意識のうちに軽蔑の眼差しを向けている自分に気づいて恥じた。
このお客様がきっかけで、私はお客様に対する認識を改めた。お客様が人妻専門店を選ぶ理由は何か真剣に考えるようになり、あのホステスが教えてくれた一対一の関係を構築すること、お客様の心に沿うこと、そのためにはお客様が何を求めているのか、会話や仕草から必死に読み取るようになった。
私は人妻キャストになりきるために、自分自身の設定を決めた。
まず、私は新婚、という体にした。これは人妻に慣れてしているお客様から、人妻感が全くない、と指摘されてしまうことを防ぐためだ。そして、なぜ新婚なのに風俗店で働いているのか、と聞かれた場合は、旦那は海外へ単身赴任中なので、その間に奨学金を完済させたいから、という設定にした。私の本職はウェブライターであり時間の融通が効きやすい、という設定も添えた。
この設定はお客様を納得させ喜ばせた。また、奨学金の返済のため、という理由は同情を引き出すようで、チップをくれる方もいた。
私は若妻というポジションで、比較的若い世代のお客様から指名を受けるようになり、肉体的な満足感だけでなく、精神的にもご満足頂けるよう、心を砕いた。




