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あなたの腕の中で性と向き合う  作者: 瀬戸 航帆
第5章 人生の選択肢
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第43話 知夏の本音

 クローゼットの奥から煙草の箱を取り出した。


 一日一箱のペースで消費していた大学時代に比べて、ほぼ禁煙できていると言っていい。今では年に一〜二回しか吸わない。


 黄色いパッケージに煙草を吸っている先住民が描かれている箱から一本抜き取ると、私は今年初の煙草に火をつけた。


 昨年、蓋を開けてからまだ二本しか減っていない。思ったよりしけてはいなかった。約一年ぶりの喫煙だ。前回吸った時は、仕事で本番行為をしつこく迫ってくるお客様に断りをいれたら、思いっきり頭をわし掴みにされて「やらせろよ!」と暴力行為を受けた時だ。すぐに藤本店長に電話して、即その客を出禁にしてもらった。


 これだから、鶯谷を指定してくる客は嫌いなんだ!孤独死しろよ、クソジジイが!


そう思いながらコンビニで買った煙草を、路地裏で2本だけ吸って事務所に戻った。キャストが仕事中に喫煙することは固く禁止されている。匂いが髪の毛や服についた状態でお客様に会うことは、望ましくない。


 あの日、煙草の匂いをプンプンさせて事務所に戻っても、藤本店長は何も言わなかった。それどころか、変な客を付けて悪かったね、と有名なお店のシュークリームを食べさせてくれた。お店を初めて利用する新規客が、どのような人かは会ってみないと分からない。それを分かった上で仕事をしているわけだから、藤本店長が謝ることではないとは思ったものの、その気配りが嬉しかった。


 深く息を吸い込み、ゆっくり口から吐き出す。煙が夜空へ逃げるように広がり、目の前を舎人ライナーが駆け抜けていく。


 大学の頃はあんなに吸っていたのに、今では全く美味しいと思わなくなった。それでも、煙草を吸っている時は、好きなだけ文句や愚痴、言い訳を言って良い、というマイルールに私はずいぶんと助けられ、気持ちを切り替えてきた。


 私は優太と一緒に過ごした今日を振り返った。優太からの告白は本当に嬉しいものだった。優太は待つと言ってくれた。私がこの仕事を卒業するまで待つ、と。その真摯な眼差しが、私への想いが、本当に本当に嬉しい。


 仕事でもプライベートでも色んな人とセックスをして学んだことは、精神的な繋がりが無ければ、結局のところ消耗品でしかなく虚しさがぬぐえない。精神的に満足できれば、彼と離れている今でさえ心が満たされている。相手に身を任せられるって幸せなことだな。


 気持ちが通じ合った今、風俗嬢の仕事を続けていくのは辛い。気持ちの切り替えが果たしてうまくできるのか。今、仕事を辞めても転職先が決まるまで、贅沢をしなければ何とか生活はできるくらいの貯金はある。


 でも、それでいいのか?


 自分が決めたことを、破るような人間になってもいいのか?


 しかも、恋、という不確定要素しかない感情で、自分の在り方を変えるようなことをしていいのか?


 頭では最後まで仕事をすべき、と主張していた。私は自分で決めた約束は守りたいし、そういう人間でありたい。しかし、心の主張は強烈で、今すぐ風俗嬢の仕事を辞めたい、と叫んでいた。せめて、事務スタッフとして年末まで働けばいいのではないか、と。


 しかし、藤本店長になんて説明する?好きな人ができたから事務スタッフだけにしてくれって?


 そんな女々しいことは恥ずかしくて、とても口にできない。


 私はプロとしてプライドを持って働いている、と仕事に対してこんなにも自負を感じることは初めてだった。きちんとやりきって卒業したいし、そうした方がきっと後悔しない。


 それに、優太はまだゆずさんと別れたわけでない。いや、本人は別れたつもりなのだろうが、話を聞く限りゆずさんは明らかに納得していない。途中で横取りしたように思われたままの状態で、優太と付き合うのは嫌だった。


 私は今まで、浮気や不倫をしてしまう人の心境は小説や映画、お客様からの話でしか知る機会がなかった。しかし、あれほど自分は浮気相手になるようなことは絶対にするまい、と思っていたのに、いざとなったらどうだ。


 優太が今まで大事にしてきたゆずさんが、知ってしまったら悲しむであろうことを私は平然とやってしまった。あんなにも、浮気や不倫をする人を内心では蔑視していたのに。さすがに予約時間外でセックスしてしまったら、風俗嬢の仕事のうち、という言い訳は立たない。なるほど。恋は盲目、とは昔の人は上手いこと言ったものだ。


 私は缶チューハイに煙草を落とし込み、新しい煙草に火をつけた。好きな人がいる状態で風俗の仕事をしたくない、という気持ちと、プロとして最後まできっちり勤め上げたいという気持ち、どちらも私の本心だ。


 それでも私の頭の中では、一時の恋愛感情に任せて行動をとるべきではない、こういう時は周りが見えなくなりがちだ、と警報が鳴っていた。だが、好きになってしまった気持ちは、どうしようもなく強烈で私の手に余る。


「あー、しんどい」


 がんばれ私。仕事はきっちりやれ。


 西日暮里駅方面に向かって走り抜けていく舎人ライナーに向かって、私は思いっきり煙を吐き出した。


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