第42話 優太の本音
優しく頭を撫でられている感覚に気づいて目を開けた。何度か瞬きを繰り返すと、愛おしそうな顔をした優太が、こちらを覗き込んでいることに気が付く。どうして一緒に寝ているんだっけ、と記憶をたどると私はハッとして慌てて飛び起きた。
「えっ!今何時!?」
「十七時」
やってしまった!三時間近く爆睡してしまった。
「すっごく良く寝てたよ」
「ごめんなさい」
「いびきもかいてた」
「嘘でしょ…。ほんとうにごめん」
「冗談だよ」
笑いながら言う優太の胸を拳で叩く。だが、私はあることに気がついて、心臓が止まりそうになった。
「しまった。お店に連絡しなきゃ」
「それならお昼過ぎに連絡してたじゃん」
そう言われて、そうだったことを思い出した。優太が十一時に予約してくれたので、十二時半には仕事を終了した旨のラインを藤本店長に送っている。私はホッとして再び彼の腕枕の中に落ち着いた。
というか、やってしまった。予約時間外でやってしまった。これは、もう言い訳ができない。後悔はしていないが、自制心が効かなかった自分を恥じた。俯いていると頭の方から、ねぇ、と 声が降ってきたので顔を上げる。
「知夏って本当は人妻じゃないんでしょ」
一瞬にして顔が真顔になったのが自分でもわかった。
「怒ったりしないから、本当のこと教えて欲しい」
「…」
躊躇いながら俯こうとしている私の顔を、頬に添えた手で阻止される。目を合わせようとしてくるが、私は合わせられなかった。
「…ごめん、噓ついてて」
「全然いいよ。奨学金の返済っていうのも嘘?」
「…ごめん」
「謝らないで」
なぜか涙が出てくる。ここで泣いたところで、ずるいだけなのに。
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、優太は指で私の目をそっとぬぐった。
「俺、知夏が好き」
え、と彼を見上げた。声が震えている。
「知夏がこの仕事、辞めた時にもう一度告白するから、その時に返事を聞かせて欲しい。もちろん、知夏が仕事として俺に付き合ってくれているのはわかっているから、友達からでも構わない。俺と一緒に過ごして、いいなって思ったら付き合ってほしい」
どうかな、と聞かれ私の声は震えた。
「…本当はウェブライターの仕事はしていない。この仕事が本業なの。…きっと優太が思っているような人間じゃないよ」
「うん、それでもいいよ」
「…彼女になる人が、色んな男に抱かれているのって嫌じゃない?」
「現在進行形だったら、嫌だけど…。でも、知夏がこの仕事を辞めるまで待つよ」
私はその言葉に泣き笑いしながら答えた。
「たぶんそれ、思っている以上にしんどいよ」
「うん…。でも十二月に辞めるんでしょ?あと二ヶ月くらいなら我慢できるよ」
そう言ってもらえて、涙が止まらないほど嬉しい。我慢させることは申し訳ないが、だからといって優太のためにすぐに仕事を辞める、ということは言えない。
「本音を言えば、今すぐこの仕事辞めて欲しい。でも、何か理由があるんでしょ?」
「…話、長くなるよ」
「いいよ。聞かせて」
私は順を追って話した。大学の先輩に誘われてセレクトショップに革製品を納品していたこと、しかし、実はマルチ集団が運営する店で投資詐欺同然にお金を取られてしまったこと。嫌がらせを受けて警察に協力してもらったこと。私は絵麻の名前は伏せて、仲の良い友人が助けてくれたことを話した。
もし、絵麻が私と優太のことを知ったらどう思うのだろうか。ゆずさんは絵麻の高校生時代の同級生である。わざわざハンドメイドのイベントに出向いて優太を紹介するくらいなのだから、かなり仲が良いはず。
絵麻の性格なら、お互いが良いならそれでいいじゃん、と言ってくれそうだが、ゆずさんはきっと不愉快な思いをするだろう。
私が話し終わると、優太は憤りを隠せない様子で言った。
「なんでそいつ逮捕されないんだ?」
「証拠がないのよ。相手が詐欺をした、っていう物的証拠が」
「知夏は悔しくないの?そんな目に遭って」
「そりゃあ、腹が立ったよ。でもどんなに腹が立っても、どうしようもない。だったらさっさと借金を返して、会社勤めに戻ったほうが良くない?それに数百万程度で良かったかもしれない。もっと高額だったらソープで働いていたわ」
笑いながら私は本音を言った。デリヘル嬢の収入で返せる金額でほんとうに良かった。しかし、優太は「笑えない」と怒った。
「まぁ、今となっては高い社会勉強だったと思う。この仕事も思ったほど悪くなかったし。それに、優太とも出会えたしね」
彼は何度か口を閉じたり開いたりしていたが、納得いかない、といった顔で黙り込んだ。私の身に起こった出来事なのに、自分ごとのように怒ってくれる優しい彼が私は好きだ。
「怒ってくれてありがとう。それだけで充分だよ」
そんな私を強く抱きしめながら、彼は納得したように言った。
「だから転職活動していたんだね」
「うん」
「次、何の仕事をするの?」
「まだ、決まってないけど、会社員に戻るよ。土日休みの正社員」
「そっか。決まったらお祝いしよう」
私はありがとう、と微笑んだ。
「ちなみにこの仕事でいくら稼いでいるの?」
「え、それ聞いちゃう?」
ニヤニヤしながら、私は両手の指を使って月収を教えた。優太は目を丸くして、えっ、そんなに?と驚いた。
「もう借金は返し終わったの?」
「うん。八月に完済した」
「…大変だったね。辛いこともたくさんあったんじゃない?」
「…」
その労わりの言葉にどっと涙が出た。辛いこと、そんなこと意識しているようじゃ、この世界では稼げない。何かを辛いと思う感情は、自身を売り物にする仕事の上では妨げにしかならない。今まで意識してこないようにしていた、感情が湧き出てくる。私は息を殺しながら泣いた。
少し落ち着くと優太は箱ティッシュを渡してくれた。私が盛大な音を立てて鼻をかむと、優太は声をあげて笑った。しまった、あまりにも素の状態で鼻をかんでしまった。
少しスッキリして再び横になると、私を抱き寄せながら優太がため息をついた。
「やっぱり、すごく人気なんだろうね」
「そうだよ。私、ランキング上位なんだから」
えっへん!とドヤ顔で答えた。
「悔しいけど、他にもたくさん通ってくる人がいるんだろうな」
「どうして?私が人気のない風俗嬢の方が良かった?」
「そしたら俺が一番になれたのに」
「そんな、ホストに通う女の子みたいなこと言わないで。たくさんのお客様のおかげで、倍のスピードで借金が返せたんだから」
「…別にいいよ。来年から俺が独り占めするから」
「優太ってさ、たまに子どもみたいだよね」
「だめ?」
「全然、むしろ良い」
手を伸ばして彼の頭を撫でると、優太が初めてお店に電話してきたことを思い出して、ニヤッと笑ってしまった。
「優太が初めてお店に電話した時、女性が出たでしょ?アレ、私だよ」
「えっ!そうなの?」
「うん。お店で事務スタッフもやっているから。私が電話に出た時、すごく話しにくそうだったよね」
「そりゃあ、まさか女性が出るとは思わなかったから…」
優太は不服そうに言う。そんな彼を可愛く思いながら私は聞いた。
「さて、今度は優太の番だよ。ゆずさんのこと聞かせて」
優太は小さく息をつくと教えてくれた。
「ゆずのことは嫌いになったわけじゃなくて、大事な人には変わりないんだ。ただ、やっぱり、 恋人として見れなくなったというか、プラトニックな関係が辛くて…」
私は黙って続きを促した。
「この前、一緒に箱根旅行に行ったんだけど、その時ゆずが、今まで我慢させてごめん、って俺のこと抱きしめてくれたんだ。俺、凄く嬉しくってさ。ゆずから俺に触れてくれたこと、初めてだったんだよね」
「うん」
「それで、俺も抱きしめ返して、それで、もう少し、その、やっぱり触れたいなと思って、キスしたら思いっきり突き飛ばされて」
「…」
「その時のゆずの顔が本当に真っ青で、なんだか俺が無理矢理、犯そうとしたみたいな、本人はそんなこと一言も言ってないけど、そういう気持ちにさせられたというか、すごくショックだった…」
私は言葉に詰まった。彼女から歩み寄ろうとしただけに、突き返されるような反応をされて、期待した分ショックが大きいだろう。
「ゆずは、ごめん、って謝ってくれたけど…。寝る時、いつも別々に寝るんだけど、泊った旅館が布団だったから、お互いの布団をくっつけて手を繋いで寝たい、って言ってて。たぶん、それがゆずにとっては、最大限の努力なんだろうな、って思う。でも、こういう中途半端なことされると、余計に辛くて」
「うん」
「やっぱり、好きな人には男として求められたいし、必要とされたい。それに、彼女なら抱きたいとも思う。ゆずの期待に応えられなくて申し訳なく思うし、それに、あんなに好きだったのに、その関係性に順応できなくて情けなく思う…」
そんなことないよ!私はそう言って抱きしめた。恋人とプラトニックな関係に順応できないことが情けない、なんてそんなことあるもんか。
「だから、ゆずには好きな人ができたから友達に戻りたい、って話した」
「そっか。ゆずさん、なんて?」
「泣いてた」
ハンドメイド展で見かけた彼女の横顔を思い出す。きっと別れ話を切り出されるなんて思ってなかったんだろう。
「それで、ゆずが知夏のこと知ってた」
「はい!?」
予想外過ぎる話に素っ頓狂な声を上げてしまった。
「ごめん、一緒にいるところ、ゆずに見られてた」
「えっ、いつ?」
「渋谷でメガネ買いに行った時と、日比谷公園に行ったとき」
見られていたのか。全く気付かなかった。
「俺、浮気しているって思われていたみたい。だから、別れたくなくて、俺に歩み寄ろうとしてくれたんだって」
その結果、別れ話を切り出されたゆずさんの心情を思うと、私の立場の人間がするものではないが同情を禁じ得ない。
「あと、携帯の中も見られた。で、写真も見られた」
「…なんの写真?」
「俺の誕生日の日に撮った写真」
夕日を背景に荒川の土手で撮った写真か。逆光だったとはいえ、表情が分かるくらい鮮明に映っている。それは笑えない冗談だった。
「ごめん、その箱根旅行で、携帯を部屋に置きっぱなしで温泉に入りに行ったんだけど、その時に見られたみたい。全然、気が付かなかった…」
「…ゆずさんに私のこと、なんて説明したの?」
「正直に話した」
ゆずさんの反応が想像できて、思わず開いた口がふさがらない。
「…なんて言ってた?」
「優太の気持ちは分かった。友人に戻りたいなら、その気持ちを尊重したい。でも、相手が風俗嬢だなんて納得できない、って」
「…でしょうね。普通、そう言うよ」
結局のところ、私たち風俗嬢はどんなに心を砕いてお客様に向き合い、誠心誠意尽くしたとしても、世間の評価はそのようなものなのだ。理解した上でこの仕事をしているとはいえ、自嘲気味に笑ってしまった。
「そうかな。でも知夏みたいな人もいるのに」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、風俗嬢の一般的なイメージはあまり良いものではないよ。 優太だって、初めて飲みに行った時にそう言ってたじゃん」
「…確かに」
かすかに眉を寄せながら思い出したように言う彼に、私は小さくため息をついた。
「もし、ゆずさんが、通っているホストに惚れたから、そのホストと付き合いたい、だから別れて、って優太に言ったらどう思う?」
「それは、えっ、ちょっと待って、って言うよ」
「でしょ。たぶん、ゆずさんから見たら私が、優太に色恋営業している、って思ったと思うよ」
「それ、言われた…」
冷静になって考えればわかりそうなものなのに、と思ったが、視野が狭くなるほど私のことを考えてくれていた、と思うと責める事もできない。
浮気相手になっているつもりはないが、少なからずゆずさんにそう思わせてしまったことに対しては、申し訳なく思う。
私は俯きながら内省した。結果的に優太の気持ちが私に向いてしまったことが、そもそもの原因ではないだろうか。その気持ちを逸らすことをせず、喜んで受け入れてしまい、浮気と言われても言い返す資格はない。
「…もしかして、自分を責めたりしている?」
黙り込んだ私に優太が心配そうに声をかけた。
「…優太の当初の目的に、役に立たなかったな、と思って。それどころか、ゆずさんを泣かせる結果にしてしまったな、と思って」
「それは違うよ!遅かれ早かれ、ゆずとは別れていたよ」
私の肩に手をやりながら、慌てて否定する優太を見上げた。
「俺もずっと限界を感じていたし、ただ、踏ん切りがつかなかっただけ。知夏のおかげで自分の気持ちに正直になれたんだから…」
それに、と呟いて優太が泣きそうな顔で笑った。
「俺に寄り添ってくれてありがとう」
「…優太の気持ちは嬉しい。でも、ゆずさんとちゃんと話し合って、お互い納得してからもう一度、私に気持ちを言って欲しい」
わがままであることは分かっているが、これが私の本心だ。優太は黙って頷くと強く私を抱きしめた。




