第41話 友人の悩み
二週間に一度の美容デーを受けて、全身ツヤツヤになりご満悦で新宿に向かった。
多くの人混みの中にも関わらず、絵麻はすぐに見つかった。紅葉を思わせるようなきれいなグラデーションのワンピースの裾をはためかせながら、黒に近い茶色のかっちりしたコートを羽織っている。相変わらず目立つ。
特にお店を決めていなかったので、とりあえず新宿三丁目方面に向かい肉バルのお店に入った。赤ワインと肉の盛り合わせ、ピクルスを注文し、運ばれてくるまで絵麻が出店した先日のイベントの話を聞いた。絵麻のブースは大盛況だったようで、大幅黒字。来店したお客様から陶芸教室の予約も入り、結果は上々だったようだ。
運ばれてきたワインとピクルスを受け取り、おめでとう、と言って乾杯した。
「で、報告したいことってなに?」
私は先日、絵麻から送られてきたラインを思い浮かべた。絵麻とはよく連絡のやりとりをするが、報告したいことがある、と珍しく硬い文面で連絡が来た。絵麻は少し困ったような顔をして言った。
「…私、たぶん陸と結婚すると思う」
「えぇ!まじ!?おめでとう!」
大声をあげてしまったが、絵麻の表情に気づいて声を落とした。
「え、待って、どうしてそんなに微妙な顔しているの?もしかして、あまり乗り気じゃない?」
「乗り気じゃないというか…」
歯切れが悪い絵麻なんて珍しい。絵麻が話し出すまで、とりあえずピクルスを食べながらワインを飲む。注文した肉の盛り合わせが来たところでようやく絵麻が話し出した。
「知夏、前にお店に来るお客の多くがレスになって来る、って言ってたじゃん。あれってどうしてそうなっちゃうのかな?」
「レス?あぁ、セックスレス?」
「ちょっと、こんな人がいる場で止めてよ」
平然と言った私に絵麻が慌てて言う。風俗業界にいるとセックスという言葉を口にするのに何の抵抗も無くなってしまうので、つい口から出てしまった。私はごめん、と言いながら思案した。
「レスになる理由は人それぞれだから一概にはこれ、とは言えないんだけど」
「いいよ。知っている範囲で教えて欲しい」
「あー、そうだな、子供が生まれたことがきっかけっていう人は多い印象かな。やっぱり近くに子供がいる環境だと、集中できないって話はよく聞くし。あと、奥さんが出産してから断られるようになった、っていう話もよく聞くよ」
「なるほど。お子さんがいない夫婦は?」
「女として見られなくなった、って言う人もいるよ。異性じゃなくて家族って認識しちゃうとスイッチが入らないって」
「なるほど。他には?」
「年齢を重ねてできなくなったとか」
「そうなんだ。他には?」
「あー、そもそも相手がプラトニックな関係を望んでいる、とか」
「そっか…」
前のめりに話を聞いていた絵麻が、椅子に寄り掛かった。
「…私たち、その、夜の方があんまり上手くいってないんだ」
「あ、そうなんだ。どのくらい期間が開いているの?」
「もう一年ちょっとくらい」
「あー、けっこう空いているね」
絵麻はため息をつくと、ワイングラスを揺らしながら目線を落として言った。
「…ここ一年間、私がいったら終わりなんだよね」
「え、うん?」
それの何が不満なんだ…?というか、やってるじゃん。
「その、あれってさ、入れたら成立するもんじゃん?」
「…?」
絵麻の言っている意味が分からず、しばし沈黙が流れた。
「…いや、べつに本番行為がなくても成立すると思うよ」
「業界用語過ぎ」
笑いながら絵麻が言った。
「あー、つまり、本番がなくて物足りないってこと?」
「いや、物足りないとかじゃなくて、私じゃダメなのかなって」
「え、なにが?」
「だから、女性として魅力がないというか、女として求められていないのかな、って」
「いやー、そんなことないと思うけど…。だっていかせてくれるんでしょ?」
「でも陸はいってないんだもん…」
「陸さんはそのことについて、何か言っていたの?」
私が質問すると、絵麻は思いっきり眉間にシワを寄せた。理解できない、と顔に書いてある。
「私がいってる姿を見て満足なんだって」
それを聞いて私は感心してしまった。さすが陸さん。元女風のキャストなだけある。
「陸さんがそう言っているなら、そうなんじゃない?」
「でも、私にとっては特別なことなんだよね。付き合っているからこそ、できることじゃん」
…なるほど。絵麻にとってのセックスとは挿入行為を伴うものであり、それが恋人である証なのだ。
私は風俗嬢として働いたおかげで、以前、陸さんが話してくれた『セックスに対する価値観が変わる』ということが、どういうことなのか分かったと思う。
必ずしもセックスとは挿入行為を指すことではない。お互い満足できれば、たとえ挿入行為がなくても、それもセックスだと思う。陸さんが言っていたように、相手がいく姿を見て満足する心境は理解できる。
しかし、一般の人が果たしてこれを、感覚的に理解できるのであろうか。たしかに、稀に女性のいく姿を見たい、自分は射精しなくて良い、というお客様もいるが、これはかなり珍しいケースだ。そして、それを言ったお客様はほとんどが年配の方である。
絵麻みたいに、挿入自体が恋人同士で行われる特別な行為、と認識する人は、気持ちが良いかどうかは最優先事項ではないのだろう。
なるほど。人によってセックスに対する定義は異なる、ということを再認識させられた。
「陸さんに思っていること、伝えてみたら?」
「…して欲しい、って言ったらしてくれると思う。でも、そうじゃないんだよね。こっちの要求に応えて、じゃあやろうか、って陸なら絶対に言うしやってくれると思う。けど、そうじゃなくて、自然な気持ちで求めて欲しい。なんかこう、言われてからやる、みたいなのは嫌なんだよ」
「まぁ、気持ちはわかるけど」
私も風俗嬢をやる前だったら、恋人とのセックスで挿入行為がなかったら不安に思うだろう。私に何か非があるのだろうか、それとも女としての魅力に欠けているのだろうか、と。今、絵麻が抱いている不安が普通の感覚なんだろう。
私も陸さんも風俗業界でキャストとして身を置いた経験があるから、セックスに対する価値観が一般の人とは異なるのかもしれない。
しかし、前に陸さんと話した内容は本人から口止めされているので、言うわけにもいかず私は自分の考えとして伝えた。
「私は相手がいってる姿を見て満足する気持ちはわかるかも。好きな人が気持ちよくなってくれたら嬉しい」
「そういうもんなのかな…」
絵麻は納得しかねる様子だ。
私はプライベートの経験に加え、この仕事を通して世の中の男性が意外と女性をいかせることができない、という驚きの発見をした。もしかしたら、私の体質のせいかもしれないが、軌道修正しない人が多いと思う。
あまりにもいくのに時間がかかると申し訳ない、という気持ちになるから相手に配慮する。そういった経験を腐るほどしてきた私から言わせれば、陸さんのセックスに対する姿勢や価値観は素晴らしいものだと思う。上等だ。
「ちなみに知夏からみたら、男性が入れなくなる理由って何だと思う?」
「いやー、色々あるとは思うけど」
さて、何とコメントすべきか。
大変失礼な妄想だが、陸さんくらいの年齢になってくると、中折れしてしまうことは珍しくはないはずだ。もしかしたら、男のプライドがそれを許せないから、挿入行為を行わないのかもしれない、と考えたがさすがに言うのは憚れた。
「いや、やっぱり本人と話し合った方が良いと思うな。結婚するなら尚更、話した方が良いと思うよ」
「そうだよね…」
思いつめた表情の絵麻が心配になった。
「プロポーズされたとき、なんて答えたの?」
「陸にはちゃんと考えたいから、時間が欲しいって言ってる」
「そう。もし、絵麻から今の話が言い出しにくかったら、私から陸さんに伝えようか?その、絵麻は知らないっていうことにして。絵麻からこんな相談が来たんですけど、って感じで」
「…いや、帰ったら話してみる」
「わかった」
「話聞いてくれてありがとう。お酒の力借りないと話せないと思うから、たくさん飲んどく」
そう言って絵麻は残りのワインを飲み干し、おかわりを注文した。私も絵麻のペースに合わせて同じものを注文する。
傍から見たら仲が良い恋人でも、そういった悩みがあるんだな。それにしても、女としての自尊心が、どのように満たされるのか考えさせられた。私には全くもってない考だった。
挿入行為が恋人としての証、その発想が出てくるくらい、ピュアでセックスを神聖なものとして捉えることができる絵麻が、羨ましくも思えた。




