第40話 夜の電話
濡らさないよう漫画を慎重に開きながら、肩まで湯船につかった。脱衣所に置いてあるミニスピーカーから軽快な音楽が流れている。たっぷり三十分は湯船に浸かったところで上がり、部屋着に着替えるとパックをしながら髪を乾かす。鎖骨下まで髪の毛を切ったので、乾かす時間が短縮されてだいぶ楽だ。
リビングに戻り携帯を見ると、優太から着信が残っておりドキッとした。私はすぐに折り返した。コール音が切れると、少しだけ緊張しながら「もしもし」と言う。
『もしもし、ごめん、忙しかった?』
「ううん、お風呂入ってた。気づかなくてごめんね」
『いや、こちらこそ、いきなり電話してごめん』
「いいよ。気にしないで。実家、どう?」
優太は新しい柴犬が飼われており、大和丸と船みたいな名前が名付けられていたこと、近所の猟銃免許を持っている人からジビエ料理の話を聞いたこと、弟さんのお嫁さんのことなど、今日あったことを色々話してくれた。私は笑いながらその話を聞いた。
今日何をしていたのか聞かれたので、ジムに行き、就活の準備をして漫画を読んでいた、と我ながら何ともない平凡な日常の話をした。そこから他愛のない話になり、それは高校生の頃、好きだった同級生と長電話をした夜を思い出させた。
『次の土曜日、11時から予約していい?』
「いいよ。いつものところで待ち合わせ?」
『そうしよう。お昼ご飯、用意しておくよ。何食べたい?』
「簡単なものでいいよ。いつもありがとう」
『それが一番困るんだよなぁ。じゃあ、アクアパッツァとかどう?』
「おしゃれ~。じゃあ、ワインと薔薇を持っていくわ」
私は冗談めかして言った。優太の誕生日を彼の部屋で過ごしてから、ずっとホテルではなく自宅コースで予約してくれている。彼はいつも美味しい料理を用意してくれており、ランチを食べながら一緒に話すひと時がたまらなく楽しい。こんなに楽しませてくれる彼に、なにか少しでも感謝の気持ちを表したい。
「次からの予約、最短コースにして欲しい」
『その日、予定あるってこと?』
「ないよ。優太が予約してくれる日は丸々一日空けてる。予約時間が終わっても、まあ、一緒にいてもいいかな、と思って。いつもそうしているし」
『それは時間外労働をしてくれるってこと?』
あはは、と私は笑った。
「そういうこと」
かすかに息をのむ音が電話越しに聞こえる。その気配に彼の表情が目に浮かんだ。
しかし、優太は私の収入を心配してくれた。私の売上が下がらないか、と。そんなことにまで気を回せるお客様は他にはいない。つくづく、気遣いの塊だな、と思う。
「大丈夫。困ってないから」
『奨学金の返済が終わったってこと?』
「…まぁ、そんな感じ」
つい躊躇いがある返事をしてしまった。嘘をつくのがしんどい。しかし、優太は深く突っ込みはせず、「おめでとう」と言ってくれた。
短い沈黙が流れたのち、優太は呟くように言った。
『俺さ、彼女と別れようと思う』
「えっ、どうして?」
驚きのあまり声が裏返った。
『…会った時に話すよ』
「わかった。私でよければ話を聞かせて」
『ありがとう。遅くまでごめん。また電話してもいい?』
「いいよ」
『ありがとう。そしたらまた連絡する。おやすみ』
「わかった。おやすみ」
電話を切ると二時間半も話していた。時間が溶けたのかと思うくらい、時が経過していた。
なぜ、ゆずさんと別れることにしたのだろうか。先日、ハンドメイド展で絵麻のブースで見かけた時は、ゆずさんはあんなに楽しそうに優太のことを紹介していたのに。
想いを巡らせても、どれも想像の域を出ない。次の土曜日に話してくれるとのことだったが、気になって仕方がなかった。




