第39話 日比谷公園にて
飲食街から離れると、あっという間に人がまばらになる。日比谷公園に足をふみいれると、噴水がある広場のようなところに着いた。
「どうしたの?」
屈みこみながら優太が顔を覗き込んでくるので、目線を上げた。
「さっきからずっと腕組んでるじゃん。やっぱり寒い?」
あー、私が腕を組んでいる理由に気づいていなかったのか。人のことは言えないが、危機感がないのかな、と少し思ってしまう。
「いや、ここら辺って優太の会社の人がいるんだな、と思って」
困ったように黙って見つめてくる優太に、私が困ってしまう。
「だってさっきの人、私を見て、あれ、って顔していたじゃない。優太が知り合いの女性と飲んでいる、と思って声をかけたんじゃない?もしかして、さっきの人、ゆずさんと知り合いだったりする?」
「…確かに千早はゆずと仕事上でやり取りしているけど、俺らが一緒にいたことは言ったりはしないよ」
「そう。ならいいんだけど…」
一応、頷く。しかし、人の噂はどこから発生するか、わかったものではない。優太の言葉を疑いたくはないが、手放しで信用することはできない。
暫く沈黙が流れたのち、呟くように優太が言った。
「…俺、もう彼女とはダメかもしれない」
「えっ、どうして…?」
組んでいた腕を思わずほどきながら、彼を見上げる。
「喧嘩したの?」
「いや」
「なにかいやな事でもあった?」
何か言いたげな様子の彼を見つめ、話すのを待った。しかし、彼は少しうつむくと、ハグしていいか聞いてくる。私はためらいながら、あたりを見渡す。離れたベンチにカップルが座っているが、お互い見つめ合うのに夢中のようで、こちらを注視する様子はない。
ハグできるよう両手を広げると、すぐに優太の腕の中に包まれた。久々に彼の心音を聞きながら、彼の呼吸がだんだんとゆっくりになっていくのを感じた。
優太が体を離そうと腕をほどいた。彼が何をしたいのか察しがつく。頬に手を添えられた状態のまま、近づいてくる彼の顔に素早く手を当て、顔を背ける。優太の悲しそうな表情が視界の端に移り、ごめんね、と心の中で謝った。
「…時間外労働だから?」
「そういうことじゃない」
さっき話したばっかりじゃん。かすかに苛立ちを感じながら、なぜそれが分からないのか、と言いたくなるのを堪えた。
「…ごめん」
「謝らなくていいよ」
私は小さくため息をつくと、彼を見上げた。困惑した顔で見つめ返してくる優太を見て、私だって街中で堂々とキスができるならしているよ、と心の中で言った。私はもう一度周りを見渡し、人がいないことを確認すると優太の手を握った。
「せっかくだから、もう少し散歩しよ」
手を繋ぎながら池の隣を歩いた。
「今週末、実家に帰らないといけないから、来週末に予約していい?」
「ありがとう。いいよ。この時期に里帰り?」
「弟が結婚するから、嫁さんを連れて挨拶に来るって」
「米農家の弟さんだよね。おめでとう!」
おめでたい報告に私の声が弾んだ。農家に嫁ぐなんて、よっぽど覚悟をしたに違いない、と会ったこともない人々に思いを巡らせた。
「ちなみに今週の日曜日って予定、空いてる?」
「ごめん、日曜日は予定ある」
「そっか、…他のお客さんからの予約?」
「違うよ。友達と遊びに行ってくる」
今週の日曜日は美容デーだ。夜には絵麻と飲む約束をしている。しょんぼりと残念そうにしている優太の手を揺らしながら歩いていると、彼が顔を覗き込みながら言った。
「あのさ、もし良かったら連絡先、教えてくれない?」
表情をコントロールする余裕もなく、戸惑いが顔のこわばりとなって表れてしまったことに気がついた。そんな私を見つめながら優太は「ダメ?」と聞いてくる。そんなのダメに決まっている。キャストとお客様の連絡先交換は禁止だ。
しかし、実際はお客様と連絡先を交換しているキャストはいるし、バレたからと言って退店になったキャストは私の知る限りいない。
言い訳を頭の中で並べたが、そこじゃない、と冷静な私が言う。
そこじゃないでしょ、私。
他のお客様と同様に扱えないくらい、彼を特別視している自分がいることは、どうしたってごまかせない。仕事以外で彼と連絡が取れるなら、喜んでそうしたい、と言っている自分がいる。
「…電話番号で良かったら」
自分にささやかな言い訳ができるよう、ラインではなく電話番号にした。嬉しそうに微笑む彼の目に、街灯の光が反射している。
そんな優太の顔を見て、私も手放しではしゃぎながら連絡先を交換できたらいいのに、って思う。
私は鞄から携帯を取り出すと優太の携帯電話に一八四を付けずに電話した。優太の携帯に着信が入ったのを確認して電話を切る。
「下の名前では登録しないで」
「どうして?」
「もし、彼女に携帯を見られたら、揉める原因になるでしょ」
「勝手に見たりしないと思うけど…。苗字なんて言うの?」
「…アオキ」
「どういう漢字?」
「色の青に樹木の樹」
指で文字を書きながら説明をする。
「珍しい組み合わせだね」
「そうね。アオキって苗字はよく聞くけど、この漢字の組み合わせの人には合ったことないかも」
「これって本名?」
「偽名の方が良かった?」
いまさら偽名を伝える気もなかったので、笑いながら答えた。優太も嬉しそうに笑う。
「今週末、電話してもいい?」
「土曜なら」
「わかった」
再び歩き出しながら優太が言った。
「一緒に帰らない?日比谷駅から千代田線で一本で帰れるよね」
「んー、私は山手線で帰る」
「この後、予定あるの?」
「ないよ。察して」
あえて素っ気なく答える。一緒に帰りたいに決まっている。でも、優太の立場を考えると遠慮した方が絶対に良い。
「じゃあ、駅まで送るよ」
日比谷公園を出る頃に繋いでいた手を離した。優太は何も言わず隣を歩いている。人込みに紛れて歩きながらちらりと見上げると、寂しそうな表情に私にまでその気持ちが感染しそうだ。
改札口に着くと、お礼を言って手を振った。優太はいつだって、私の姿が見えなくなるまで見送ってくれる。今回も階段を登る直前に振り返ると、改札の向こう側に彼の姿を見つけて、大きく手を振り階段を登った。




