第35話 ものもらい
「なんか、目、腫れてない?お客様に何かされた?」
キャストの仕事を終えて事務所に戻ってくると、ちょうど入り口で出くわした真田店長が顔を覗き込んでくる。それを耳ざとく聞きつけた藤本店長がすっ飛んできた。
「え!なんだって?さっきの野郎?クレーム入れようか!?」
「いやいや、なにもされてないです。ものもらいだと思います」
手鏡をポーチから取り出して、瞼を改めて確認する。右目の瞼が若干腫れぼったい。
「仕事終わったら病院に行ってきます」
自席に戻ると、新しく入ったスタッフの澄香さんに挨拶をした。私が年内に辞めるのを見越して、藤本店長が新しくキャストから事務スタッフとして引っ張ってきた女性だ。
澄香さん、キャスト年齢四十八歳、実年齢五十七歳。還暦に手が届く年齢だが、現役の風俗嬢だ。澄香さんは他のキャストのようにシフトを出さない。リクエスト予約のみ受け付けている。それでも成り立つほど熱狂的な常連客がついており、リクエスト予約、貸し切り予約の件数が断トツでトップだ。
私の目標である愛花さんと同じように本指名だけで回しており、お客様からリクエストされない限りは出勤しない、という強気の姿勢にも関わらず、毎月お問い合わせがくる。
そして、澄香さんを指名するお客様の多くが、ホテルへ直行しない。美術館に行き、食事をし、公園を散策して解散する場合もあれば、近場で日帰り旅行をする場合もある。ホテルに行かないお客様の多さは、渋谷店に在籍しているキャストの中でこれまた断トツであり、澄香さんのサービス提供は風俗嬢、というよりはレンタル彼女に近い印象を受ける。
体を売らなくてもこれだけの常連客を捕まえている、一体どんな秘訣があるのか私はずっと気になっており、店長に澄香さんはどんな方か聞いたことがある。しかし、店長は「いいところのお嬢さん」としか答えてくれず、ますます気になっていた。
実際、事務所でスタッフとして初めてあいさつした時に店長が、いいところのお嬢さん、といった理由が分かった。お嬢さん、といえる年齢ではないが、たしかにお嬢さん、と言いたくなるような雰囲気がある。淑やかで上品で、和装が似合いそうな澄香さんが着ている洋服は、ブランドに疎い私でもお高いものであることが分かるくらい、質が良い装いをしている。
彼女と話していると根っから育ちの良さが伺える。異世界といっても過言ではないほど、私とは異なる環境で育ってきたんだろう。
同じ五十代でも若々しい真田店長とはまた違った路線の魅力がある女性だ。なるほど。確かに澄香さんは連れて歩きたくなるタイプだ。澄香さんのお客様が比較的高齢である理由に納得した。
澄香さんが笑えば私もつられて微笑む。大和撫子と言われる女性はこんな感じなのかしら。もし、私が男性だったら澄香さんのような女性を抱くのは、恐れ多いと思うかもしれない。
こんな雰囲気をもつ女性がなぜ風俗嬢をやっているのか、大いに興味があったが尋ねるのは憚られた。同じ女性としてあまりの上品さに気後れしてしまう。
「莉奈さん、今、よろしいでしょうか」
澄香さんが遠慮がちに声をかけてくる。
「はい、なんでしょう」
「申し訳ございません。前もお伺いしたんですが、この操作方法をもう一度教えて頂けますか?」
私と澄香さんは親子ほどの年齢の差がある。でも、澄香さんはとにかく腰が低い。私みたいな若輩者にそんなに丁寧に接しなくていいですよ、と言いたくなるくらい。
澄香さんは熱心にメモを取り、慣れない手つきでマウスを操作し、ワープロを一本指で打つ。仕事は早いとは言えないが、丁寧にやろうと一生懸命な姿勢には好感がもてる。なにより達筆だ。領収書はすべて手書きのため、澄香さんが作った領収書は由緒あるお店の領収書に見える。
夕方に仕事を終えて、近場の眼科にいったら案の定ものもらいだった。藤本店長に事務スタッフは予定通り出勤すること、来週の水曜日からキャストとして出勤する予定でお願いした。
元々入っていた予約はやむなくキャンセルしてもらった。生理なら食事コースを提案できるが、この顔では客前には出られない。他のキャンセルしてしまった本指名のお客様の分も含めて、今週末にお詫びの品を買いに行こう。
私は、毎週予約を入れてくれる優太のことを考えた。今週の土曜日に入っていた優太のリクエスト予約もキャンセルだ。二回連続でキャンセルしてしまったことに罪悪感でいっぱいになった。 お客様との連絡先の交換は禁止されているから、連絡ができないことはしょうがないが、気にかかる。優太は先週末に彼女と旅行していたはずだ。彼女との関係が良好なのか気になっていたが、旅行に行くくらいなら、いい感じなんだろう。そう思いたい。




