第33話 実家に帰省
西武秩父駅に到着すると、土曜日だからか思いのほか観光客がいた。駅前に温泉施設ができたおかげか、ちょっとした観光スポットになっている。紅葉にはまだ少し時間が足りないが、今の時期は登山するにはちょうどいいだろう。
駅前のロータリーで兄の車を見つけると小走りで近寄った。10歳年上の長男のイチ兄だ。私に気づいたイチ兄がクリームパンのような手を振ったので私も振り返し、助手席に乗る。
「お迎えありがとう。」
「全然いいよ。お腹すいている?フィナンシェ食べる?」
ダッシュボードに置いてあった紙袋を受け取り、中を見るとふんわりとバターの匂いがした。
「自作?」
「もちろん」
パティシエである兄はこの生まれ育った地元で小さな洋菓子店を奥さんと一緒に営んでいる。ケーキがメインだが、私はイチ兄が作るフィナンシェが世界で一番美味しいと思う。
「うま!相変わらず美味しい。ってか、イチ兄、また太った?」
「いや~、四十になるとなかなか体重が落ちなくて」
たっぷりしたお腹まわりの肉布団のせいで、運転席が狭そうだ。元々、柔道をやっていたせいでガタイが良い方だが、筋肉の上に脂肪がついているので余計にでかく見える。
車を数十分走らせると、父方の祖母の家に到着した。昔ながらの母屋と離れがあるので、とても広い。私の実家はこの祖母の家から歩いて五分もかからないので、子どもの頃は学校が終わるとここで遊び、宿題をしていた。友達と一緒に来た時に、七輪で焼きおにぎりを作ってくれた祖父はもういない。亡くなって今日で三回忌だ。
駐車場に車を止めると、食べごろの実をつけた柿の木の下を通り、今ではめったに見かけなくなったすりガラスの引き戸を開けた。ガラガラとやかましい音を立てて玄関のたたきで靴を脱ぐと、お線香とホコリの匂いが鼻孔をつく。懐かしい祖父母の家の匂いだ。
「ただいま。」
居間に向かって声をかけると、どたどたと足音が近づいてくる。イチ兄をミニチュアにしたような、ぽっちゃりした六歳の甥っ子が甘えるようにイチ兄にしがみついてきた。
イチ兄は一女三男を設けた子だくさんだ。イチ兄が実家の両親と一緒に住んでいるおかげで、両親は孫の面倒を見るのに忙しく幸せそうである。私は結婚も出産の予定も全くなく、親孝行ができてないのでイチ兄のおかげでちょっと気が楽だ。
よいしょ、と言いながら末っ子を抱きかかえているイチ兄と居間に入ると、すでに次男のハル兄家族が到着していた。
八歳上の次男のハル兄は群馬県で介護職の仕事をしており、念願の第一子が生まれたばかりだ。詳しい事情は知らないが、三年に及ぶ妊活でやっと授かれたらしい。
座椅子に座っている祖母の周りは、ひ孫たちでうるさいくらいに賑やかだ。私は祖母に挨拶すると、一泊分の荷物が入ったリュックをおろして台所に向かった。
「お母さん、ただいま」
台所で忙しく食事を作っている母に声をかけ、いったん手を洗う。
「あぁ、お帰り。もうお昼だから準備を手伝って」
私は頷いて仏壇に線香を上げると台所に戻った。イチ兄の奥さんとハル兄の奥さん、母が台所で支度をしているので、かなり狭い。母の指示に従って食器棚から箸やコップ、取り皿などを出し、甥っ子と姪っ子に渡していく。
食卓には十三人分の秩父名物の豚丼とクルミダレの蕎麦、箸休めの野菜のお浸しが並べられた。全員でお行儀良く、「いただきます」と言うと、賑やかな昼食が始まる。
九十歳を超えた祖母は、介助されることなく自分で蕎麦も豚丼も食べている。隣に座っているハル兄がそれとなく様子を見守り、お茶を勧めている姿から普段の仕事ぶりがうかがえた。
ハル兄の奥さんは離乳食を赤ちゃんに食べさせ、イチ兄の甥っ子達は食べながら話している。いつも一人で食事を済ましているので、こんなに賑やかな食卓は久々だった。
甥っ子たちの騒がしさに圧倒されながら食事をしていると、玄関の方で引き戸の扉があく音が聞こえた。ただいま!とよく通る声が聞こえる。
「カズちゃんだ!」
甥っ子たちが真っ先に反応し席を離れる。居間にやってきた5歳年上のカズ兄は、趣味は筋トレというだけあって筋肉ムキムキの消防士だ。そして、甥っ子たちの遊び相手として非常に懐かれている。
「こら!あんたたち、ご飯食べてからにしなさい」
イチ兄の奥さんの言うことを聞かずに、甥っ子たちははしゃぎながらカズ兄にまとわりついている。カズ兄は一人一人持ち上げてそれぞれの席に座らせると、イチ兄のお腹の肉を後ろからつまんだ。
「お!なんだ、イチ兄、また太った?このままだと養豚場に出荷されちゃうぞ!」
「ぶひぃ」
フゴフゴと鼻を鳴らしながらイチ兄が笑い、子どもたちはその様子に大爆笑した。奥さんや子ども達の前で言ってしまう、このカズ兄のデリカシーの無さは相変わらずである。
カズ兄は祖母に挨拶すると、端の席にドカッと腰を下ろした。そして、小学生の甥っ子に負けぬ食欲を発揮した。母が多めに用意した料理はあっという間に無くなり、法事のために来て頂くお坊さんを迎えるべく準備に取り掛かった。
女性陣は台所と居間の片付けに取り掛かり、男性陣は仏壇のある部屋と縁側、玄関を掃除していく。祖母はひ孫を抱きかかえて、楽しそうにその様子を眺めていた。九十歳を超えても、祖母は庭にある畑仕事に精を出し、風呂もトイレも自分で済ます。介護職のハル兄から見たら凄いことらしい。
掃除が一通り終わると蝋燭に灯した火で線香をつけていく。末の甥っ子でさえ線香についた火を口で吹き消すのではなく、きちんと手をパタパタさせて消している。ちゃんと躾けられているな、と私は感心した。
十六時少し前にお坊さんが来て、三回忌の法事が行われた。お坊さんのお経を聞きながら、私は久しぶりに祖父のことを思い出した。
祖父は毎日、飼っていた柴犬のシバと散歩に行き、近所の人達と集まって麻雀や将棋を行い、漬物をあてに好きな地酒で晩酌を行っていた。祖父が飼っていたシバは当時十五歳。人間の年齢にすればなかなかの高齢で、人間と犬の高齢者同士、散歩もすごくゆっくりしたペースだったことを覚えている。
祖父は突然死だった。庭で吠えているシバの様子を見に行った祖母が、倒れている祖父を発見した。医者の話では心臓近くの血管が破裂したことが原因とのことだった。苦しまずに亡くなった、と医者からの説明を聞いた祖母は「理想的な死に方だねぇ」と言いながら泣き笑いをしていた。祖父の後を追うようにシバも1年後に亡くなってしまった。
その時の祖母はさすがに気落ちしており、心配した両親が同居話を持ち掛けた。すでにイチ兄家族と両親は同居していたので、そこに祖母を加えようとしたのだ。しかし、祖母は頑として同居を認めなかった。
祖母の体を心配した父が、せめて手すりを付けることを提案したが、祖母は祖父と一緒に過ごした家を離れることも、家に手を加えることも絶対に認めなかった。ヘルパーさんに来てもらうことにも、強い嫌悪感を示した。祖母の頑固さに普段は温厚な父がさすがに怒ったが、それを解決したのがイチ兄の奥さんだった。
奥さんはイチ兄と一緒に営んでいるお店が終わるまで、子どもたちを見ていて欲しい、何か困ったことがあれば子どもたちに言って欲しい、と祖母に言い、そしてこっそり、子どもたちには、ひいおばあちゃんのお手伝いをして欲しい、と言ったそうだ。
祖母としてもひ孫がくることは大歓迎だったようで、その提案はすんなりと受け入れられた。姪っ子と甥っ子は学校が終われば友達を連れて広い家を探検し、近くの雑木林で遊び、宿題をして過ごしている。
これはかなり良い相乗効果があったようで、祖母は九十三歳になってもボケることなく、身の回りのことはほとんど自分で行い、姪っ子も甥っ子も面倒見がよく、優しい子に育っている。祖母はそんな生活に満足しているようで、お正月に帰省するたびに、
「なんの悔いもない。後はぱったりと死んで、じいさんの後を追うだけ。」
とよく言っている。
私は祖父が亡くなった時に祖母が言った「理想的な死に方」が、ずっと心に残っている。どのように生きるかは自分で選択はできても、死に方は選べない。私も死ぬのなら祖父のように死にたい。そして、祖母のように孫やひ孫に囲まれて、穏やかな余生を過ごすことに強烈に憧れた。
法事が終わると、動きやすい服装に着替え夕飯の支度を手伝った。
私は庭先で祖母が育てている紫蘇と、立派な葉をつけた人参を収穫した。カズ兄が人間メリーゴーランドよろしく、甥っ子たちを振り回して遊んでいる。子どもたちの楽しそうな笑い声が夕焼け空に響いてのどかだな、と思いながらその様子を見つめた。
キッチンには母と兄達の奥さんたちが手際よく夕飯の準備を進めていた。手持無沙汰になった私は、兄たちが先に始めている晩酌に混ざろうと思い冷蔵庫を開けた。とりあえず缶チューハイを取り出すと、冷蔵庫に変な機械がついていることに気づいた。
「お母さん、冷蔵庫になんか、変なのついているよ」
私は紫蘇を細かく刻んでいる母に声をかけた。母は首だけこちらに向け、少し目を細めて私が指さしているものを認めると、あぁ、それね、とつぶやいた。
「それは、ばあちゃんのだからいいのよ。お兄ちゃんに聞いてごらん。」
母はそう言うとすぐに料理の続きに戻った。いや、私にはお兄ちゃんが三人もいるんだけど、どれよ?と不満を抱えつつ、お酒を手に居間に向かう。
ちょうど遊び終えた甥っ子達が、はしゃぎながらやってきた。父が甥っ子達を連れて浴室に向かっていく。子どもたちと遊び終わったカズ兄は「疲れた!」と言いながら、他の兄たちの晩酌に加わるとビールを一気飲みした。
私はそんな兄達の輪に加わり、缶チューハイのプルタブを開けると全員で乾杯した。
「なんか、冷蔵庫に変なのついていたけど、あれって何?」
私はとりあえずイチ兄に聞いた。
「見守りセンサーだよ。」
イチ兄はハル兄に顎をしゃくりながら答えた。
「それね、俺のアイディア。冷蔵庫が開くたびに、スマホに通知がくるの。ばあちゃん、ヘルパーさんにも来てほしくないし、同居も嫌だっていうでしょ。実家は近いけど、ずっと見ていることもできないから、一定時間、冷蔵庫が開かなかったら、通知がくるんだよ」
「えっ!すごいね」
ハル兄の話に私は驚いた。そんなものが世の中にあるのか。
「ばあちゃん、朝の六時から七時の間に冷蔵庫開けているから、その通知がきたらとりあえず安心かな。たしか十二時間以上、冷蔵庫が開かなかったら通知が来るんだっけ?」
ハル兄がイチ兄に確認し、イチ兄が頷く。
「イチ兄と父さんのスマホに通知が来るから、それで毎日安否確認してもらっているよ」
「へぇ、ばあちゃん、それ知っているの?」
「いや、知らないと思うよ。多分嫌がるし。俺たちもずっと見ているわけにはいかないからね」
やれやれと言った様子で、イチ兄が言った。
「まぁ、ばあちゃんはトイレも風呂も自分でできるからまだいいけど、これが寝たきりになったら在宅で面倒みるのは大変だよ」
ハル兄から介護について色々話を聞いているのだろう。ため息をつくイチ兄にハル兄が笑いながら言った。
「そうなったらうちの施設に入れよう。空き部屋あるから」
「まぁ、ここからなら群馬も近いしな」
二人の兄が当たり前のように話している事実に、私は小さくない衝撃を受けた。こんなにもこの家にいることにこだわっている祖母が、もし施設に入ることになったら可哀そうすぎる。せっかく孫やひ孫に囲まれて満足そうに過ごしているのに、臨終の間際には全く馴染みのない施設で人生の幕を閉じるのだ。
私はハル兄が話していた、見守りセンサーというものに興味を持った。もっと詳しく話を聞こうと思った時に、カズ兄が突然報告した。
「あー、俺、結婚するわ」
三人分の「えーっ!」という声が居間に響く。
「おめでとう!」
「いつ籍入れるの?」
「もう両親には挨拶したの?」
私たちからの質問攻めにカズ兄は、照れくさそうに答えた。
「籍はまだ。今日、親に報告して段取りはこれから決めるよ」
「そう。付き合ってどのくらいだっけ?」
「もう五年かな」
「彼女さん、いくつだっけ?」
「三十」
「え!私と同い年じゃん!」
兄たちのやりとりに耳を傾けていたが、カズ兄のお嫁さんが私と同い年と知って思わず声を上げる。
「なんで結婚しようと思ったの?」
「女の三十って節目でしょ。そろそろかな、と思って」
「そう。おめでとう」
イチ兄がカズ兄にグラスを差し出した。私もハル兄もカズ兄にグラスを差し出すと全員で音を鳴らしてぶつけ合い、一気に飲んだ。
「そういえば知夏は最近どうなんだ。彼氏はいないのか?」
「いないよ」
イチ兄の質問に笑って答えた。
「好きな人もいないのか?」
「…いないよ」
言い淀んだ私に、カズ兄がオッという顔をしたが無視をした。
「彼氏ができたら連れて来いよ。兄ちゃん達が品定めしてやるからな」
思わず私は笑った。
「イチ兄、私、もう三十歳だよ」
過保護気味で気のいい兄達が私は好きだ。
夕飯がひと段落すると、父が祖母の前にパソコンを置きZOOMを開いた。今日の法事には父の妹である光枝叔母さんが来る予定だったが、叔父さんが急性盲腸で入院してしまったためやむなく欠席している。ZOOMが繋がると叔母さん夫婦と娘の由美ちゃんが写った。
「光枝はテレビに出ているのかね?」
画面の中で手を振っている光枝叔母さんを見て、祖母が言った。
「母さん、違うよ。これはテレビ電話みたいなやつだよ」
父が苦笑しながら説明している。祖母は理解したのか分からないが、ニコニコしながら頷いていた。
今日、叔父さんが退院できたそうで入院生活の話や、由美ちゃんが最近飼い始めた猫の話などが画面越しに聞こえてくる。私たちは祖母の後ろから、入れ替わり顔を出しては手を振った。
ZOOMが終わると祖母は満足げに言った。
「みんなが来てくれて幸せだ。なんの悔いもない」
その言葉を両親はハイハイ、と受け流し、甥っ子が「ひいばあちゃん、いつもそれ言っているよね」と言った。
祖母は寝る支度を始め、寝室へ向かおうとするところをカズ兄が声をかけた。
「ばあちゃん、久々にお姫様抱っこしてあげるよ」
祖母は恥ずかしそうに、でも笑顔で笑い声をあげながらカズ兄の手で運ばれていく。私はその後をついてき掛け布団をめくると、カズ兄は思いのほか優しい手つきでそっとベッドに祖母を下した。口をもごもごさせている祖母に「おやすみ」と声をかけると、祖母はゆっくり手を振りながら「ありがとう。おやすみ」と言った。
そして翌朝、祖母が亡くなった。




