第31話 初めての貸切予約
初めて北千住駅で降りた。地味に長い階段を上がり、地下から地上に出ると、斜め右手側にルミネが見える。待ち合わせの場所として指定されたルミネの入り口近くにある花屋はすぐにわかった。
迷うことを前提に時間には余裕をもって家を出たが、十五分前には到着してしまった。九月末にしては真夏のように暑く、半そでのワンピースを着て正解だ。私は開店準備中の花屋の邪魔にならないよう、少し離れたところで文庫本を読みながら待つことにした。
十分程経ったころに優太が駆け足でやってきた。ジーパンにゴツいスニーカー、白シャツとラフな格好だ。髪型を変えたようで遠目にはなんだか髪がもっさりしている。
「待たせてごめん。」
「全然。まだ約束の時間前だよ。髪の毛、パーマかけたんだね」
遠目にはもっさりとして見えた髪型が、近くで見るとパーマをかけていたことが分かった。
「いや、これ、思ったより似合ってなくって…」
がっくりと肩を落としながら、うなだれている。
「そうかな。今の服装に良く似合っているし、おしゃれだよ」
私は背伸びをして優太の髪の毛に触れた。見た目は固そうに見えた髪は触ってみると柔らかい。
「ありがとう。莉奈も髪の毛、染めたんだね」
「転職活動するから」
「そっか。けっこうバッサリ切ったね。なんか若く見える」
「黒っぽくしたからかな」
私は自分の毛先に触れながら言った。
「荷物持つよ」
私が持っている紙袋に手を差し出して、荷物を持とうとしてくれたが断った。これは優太への誕生日プレゼントなので、本人に持たせるわけにはいかない。
「これは大丈夫。ありがと」
優太の道案内に従って駅の反対側へと続く短いトンネルを抜け、個人商店らしき店が目立つ通りを歩いた。学園通り、という名前だと教えてくれた。
観光ガイドよろしくどのお店のこれが美味しい、ここのお店は安い、など指をさしながら案内してくれる。学生が多いエリアなので安くお腹を満たしてくれるお店が沢山あり、夕飯を作るのが面倒なときはよくこの通りで済ませているそうだ。
下町感が漂っているように感じるのは、このごちゃごちゃした雰囲気かもしれない。老舗らしい店と真新しい店が入り混じっており、歩いているだけでも楽しい通りだ。学園通りを抜けると住宅街が広がっていた。一軒家やアパートの間を歩き、いくつかの角を曲がると土手に行き着いた。
「荒川だよ」
「川沿いに住んでいるの?景色がよさそうだね」
「そうだね。ただ、ハザードマップ的に危険エリアだけどね」
笑いながら優太は、こっちだよ、と手を引くと3階建てのアパートへ誘導した。雨風にさらされた白い外壁が、それなりに築年数が経っていることを物語っている。
「ちょっと古いんだけど、中はリフォームされてるからきれいだよ」
そう言って最上階である三階まで登り、一番手前のドアのカギを開けた。
私は緊張していた。ホテルと違って完全に相手のテリトリーであるご自宅は、常連客であろうが少し身構えてしまう。
「どうぞ」
「お邪魔します」
優太がドアを開けたとたん、さわやかな柑橘系の香りが漂ってきた。きれいに片付いている玄関でパンプスを脱ぐと、ブルー&グレー色の玄関マットに立って、優太がスニーカーを脱ぐのを待った。
「一応片付けたんだけど、汚かったらごめんね」
優太の後に続いて短い廊下を抜け部屋に入ると、太陽の光が降り注ぐ明るいリビングが私を迎えてくれた。
明るい色合いのフローリングにグレーのラグ、木目調のローテーブルに白いソファー。青いクッションがローテーブルの前に置かれており、ベランダに続くドアには同系色のカーテンがかかっている。
部屋全体はグレーと青で統一されており、棚やテレビ台は木目調で揃えられていた。右手側にカウンターキッチンがあり、その目の前には小ぶりな二人掛けテーブルが置かれている。八畳ほどの広さだろうか。私が住んでいる一Kの家と同じくらいの広さだ。
「おしゃれだね。モデルルームみたい!」
「そんなことないよ。全部ニトリと無印だし」
「私の部屋もベッドとかタンスはニトリのやつだけど、こんなにおしゃれではないよ」
同じメーカーの家具を使っていてもこんなに違うものなのか、と思いながら改めて部屋をぐるりと見渡すと、じっとこちらを見つめている優太と目が合った。
私は彼に抱き着いて、部屋に入れてくれたお礼を伝えた。お互い軽くキスをして抱きしめ合ったところで「なにかお茶飲む?」と聞いてくれたので私は頷いた。
優太がキッチンでお茶を入れてくれている間、私はラインで店長にお客様と合流した旨を伝え、仕事を始めることを連絡した。すぐに店長から了解、とスタンプが送られてくる。
私は再び部屋を見渡した。リビングの一部が引き戸になっており、おそらく寝室かなと予測する。
「こっちの部屋、見てもいい?」
キッチンでお茶の準備をしている優太に声をかけた。いいよ、と許可が出たので、引き戸を開けると予想通り寝室になっていた。
部屋の奥にベッドがあり、隅の方にヨガマットやダンベルが置いてある。シンプルで男らしい部屋だ。グレーの掛布団がかかっているベッドをみて、おや、とあることに気づいた。
「何も面白いものないでしょ」
いつの間にか寝室に来ていた優太が言った。私は振り返りながらニヤニヤしながら聞いた。
「どうしてダブルベッド?」
「あ、いや、別に変な意味は無くて、シングルだと狭いんだよね」
妙に焦りながら答える優太が面白くて、私はますますニヤニヤしながら聞いた。
「まあ、ダブルベッドなら体格が良くても女の子と一緒に寝られるし?心置きなく部屋に連れ込めるもんね?」
「だから、違うって」
恥ずかしそうに膨れている優太を突っつくと、強制的に寝室から出された。キッチンに戻っていく後ろ姿を追いかけ、彼の背中に抱きつくとお腹に腕を回した。
「何か手伝うことある?」
「大丈夫。もう準備できたよ」
よかったら座って、と優太がクッションを差し出してくれたので、その上に座りソファーに寄りかかる。私は手土産として買ってきたクッキーを紙袋の中から取り出した。
「これ、手土産」
「え!わざわざありがとう。これ美味しいやつだよね」
「あ、知ってる?」
「前に同期の圭介がくれた」
優太はいそいそとクッキーの箱を開けた。そこにはチューリップの形を模したクッキーが行儀良く並んでいる。私は淹れたての紅茶を飲み、クッキーを食べ、優太の話に耳を傾けた。話が一区切りしたところで、私は優太への誕生日プレゼントを渡した。
「お誕生日おめでとう。これ、誕生日プレゼント」
「え!いいの?ありがとう」
嬉しそうに受け取ると、さっそく紙袋からプレゼントを出している。小ぶりのパキラの鉢植えが出てきた。
「すごくカッコイイ!ありがとう!」
「どういたしまして。パキラは金運アップにもいいよ」
私は少し照れくさくなって、指でお金のマークを作りながら説明した。
「頻繁に水をやらなくていいから管理は楽だと思う」
「…ありがとう。もらえるとは思ってなかったから」
優太は本当に嬉しそうにしながら、パキラの鉢植えを眺めている。
「え、まって、これってもしかして、この前ロフトで俺が見てたやつ?」
「あ、やっぱバレた?大したもんじゃなくてごめんね」
表面がざらついた黒っぽい石のような素材でできている植木鉢は、どうやらこの部屋のレイアウトから浮かなさそうでほっとした。
「あと、これはおまけなんだけど」
ハンドバッグから、ラッピングしたもう一つのプレゼントを出して両手で渡した。
「こっちは私の趣味だから本当におまけみたいなもん。よかったら使って」
「開けていい?」
「もちろん」
袋をリボンで結んだけなのに、優太は丁寧にラッピングをほどいていく。中からムラ染めされたグレーの革でできたペンケースを取り出すと、かっこいいとつぶやいた。
「趣味というか、革製品を作るのが好きで昔よく作ってて。ペンケースなら邪魔にならないと思うし、小物入れとしてでも使えるかなって…」
感謝の気持ちを込めて得意分野の革製品でペンケースを作ってみたが、いざとなると恥ずかしく、もしかしたら趣味じゃなかったかも?などと思い始めたので私は自然と早口になった。
「え、これ作ったってこと?」
驚いた様子で聞いてきた優太に頷いた。
「プロじゃん!すごい!」
優太はしげしげとペンケースを眺めている。
ペンケースのデザインは、チャック付きではなくベルトで巻いて蓋を閉めるタイプのものにした。アクセントになるようアンティーク調のくすんだ金色の留め具を付け、ベルトに開けた穴の位置をずらせば大きさを調整できる仕様になっている。
昔はチャック付きのペンケースを作って販売もしていたが、ここ二年間、全く制作していなかったから、革とチャックをきれいに縫い合わせる自信がなかったのでこのデザインにした。
「…もしよかったらあげる」
遠慮がちにそう伝えると、今にも泣きそうに目を潤ませている優太の姿を見てぎょっとした。
「あー、うれしすぎてやばい」
天を仰ぎながら両手で顔を覆っている。
「喜んでもらえたようで良かった」
優太は両手を顔からはずすと、こっちに来て、と言って私を膝の上に座らせた。向かい合うように優太の膝の上にまたがると、珍しく優太を見下ろせる。
「そんなに泣くほど嬉しい?」
からかうように言って、優太の目からこぼれそうな涙を指で拭った。
「今、すごく感動している」
私の頭を抱き寄せながら優太にもたれかかる姿勢で抱きしめた。相手の鼓動に耳元を傾け、心地よい時間に身をゆだねた。
「あの、誕生日なので一つだけわがまま言ってもいい?」
緊張感が伝わってくる固い声に私は体を起こした。
「なに?」
「本当の名前を教えて欲しい。莉奈の本当の名前を呼んで一緒に過ごしたい」
この質問をされた時用の偽名を教えるべきか、私は迷った。自分の身を守るためにも絶対に偽名を名乗るべきだ、という正論と、噓をつかずに一緒にいたい、という欲望が激しくせめぎあった。たぶん、その動揺を私は隠しきれなかったと思う。
「ちなつ。夏を知る、と書いて知夏」
正論ではなく欲望が勝った。いい加減、優太に噓の設定で演じ続けるのが辛くなっていた。この魅力的な青年に本当の自分で接することができたら、どんなに楽しいだろう。
しかし、私は好きな人がいる状態で不特定多数の男性を相手に風俗嬢の仕事ができるほど、クールな性格ではないことを自分が一番よくわかっている。好きな人がいたら稼げなくなる。借金返済中は稼げなくなることは死活問題だったから、とにかく言葉や態度でどんなに相手に尽くしても心の中では、明確な線引きを常に心がけていた。しかし、借金が完済し気張って馬車馬のごとく仕事をしなくても良い状態になったことから、気持ちが緩んでいることをはっきりと自覚した。
風俗嬢でも受け止めてくれるくらい、心の広い人との出会いを私は求めていたことに、今さらながら気づいた。風俗嬢を卒業するまで後三ヶ月、本格的に転職活動を始めたことが風俗嬢一色の生活から、会社勤めだったころの私へと気持ちが大きく戻りつつあった。
本当は人妻どころか、結婚経験もないフリーの女性だと知ったら、優太はどう思うだろう。喜んでくれるだろうか。
「知夏さんかぁ」
嬉しそうに優太は私の髪を手で漉きながら、名前を繰り返しつぶやく。
「…呼び捨てでいいよ」
本名で呼び合うことは、風俗嬢とお客様の関係性として望ましいとは言えない。でも、それでも、もういい。
「知夏」
優太の問いかけに私はキスで応える。本当はずっと本名で呼んで触れて欲しかった。微かにちらついた、やってしまった、という後悔はあっという間に喜びの渦に飲まれた。
優太に服を脱がされながら、私はドキドキしていることに気づいた。お客様相手にドキドキしたことは今までだって一度もない。
彼のベッドで抱かれながら、私はたった一人に想いを寄せて、ピュアで心が満たされていた若い頃を思い出した。好きな人と一緒に過ごしたあの幸せな時間が懐かしい、もう一度、あの時間を過ごしたい。あぁ、早く風俗嬢の仕事を辞めて、たった一人のためだけに時間も心も使える生活に戻りたい。
私は目に浮かんだ涙を悟られないように、そっと目を閉じ、いつもより丁寧に抱いてくれる彼に身を預けた。




