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あなたの腕の中で性と向き合う  作者: 瀬戸 航帆
第4章 元の生活に戻るために
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第25話 優太の申し出

「北海道旅行どうだった?」

「楽しかったよ」

「写真見たい」


 私は優太の二の腕に頭を預けながら、携帯で写真や動画を見せてもらった。


「支笏湖でカヤックしてきた」

「すごい!沖縄の海みたい!」


 動画を見ながら私は思わず声を上げた。透明度が高すぎて湖の底まで見える。


「ね、どれが一番良かった?」

「支笏湖とひまわり畑だったかな」

「へぇ、どうして?」

「支笏湖は水が本当にきれいだったし、あんなに広いひまわり畑は初めてだったし」


うん、うん、と頷くと、彼は私の髪の毛を掻き上げるようになでた。


「ひまわり見た時に、莉奈のネイルと同じだな、今何しているのかなって、お店のホームページ見てた」


 それを聞いた瞬間、私は顔を曇らせた。


「ダメだよ。彼女といる時によそ見したら」


 その言葉にハッとしたように優太は「ごめん」と言い、叱られた子犬にようにうなだれた。


「別に怒っているわけじゃないよ。でもね、優先すべきものがあるはずだろうから、よそ見はしたらダメだよって思っただけ」

「…わかった」

「ん、いい子」


 優太の頭を胸に抱くようにして頭をポンポンすると、彼は私の胸に顔を押し当ててくる。私は何とも言えない気持ちになった。北海道旅行に行く前は、彼女と穏やかな気持ちで一緒にいられるようになった、と言っていたのに何かあったのだろうか。


「あ、そうだ。お土産渡すよ。」


 優太は身を起こすと鞄から袋を取り出し、私に渡してくれた。


「ハスカップのジャムと、木でできた栞なんだけど、良かったら」

「ありがとう!」


 袋の中には手のひらサイズのジャム瓶と、北海道特有の動物が刻印された栞が入っている。


「あと、これ」


 シマエナガ柄の封筒を渡されて中身を確認すると、一万円が入っている。


「…」


 私は思わず黙った。いつもは現金払いしている優太が、今日の利用料金をクレジット払いにしていることが、ずっと気にかかっていた。黙っている私に、焦ったように彼が言った。


「あの、追加の分なんだけど…」

「ちょっと、聞いてもいい?」


 私は彼の言葉を遮った。掛け布団を胸元までたくし上げ、ベッドの上に正座した。


「もしかして借金してまで私に会いにきている、なんてことはないよね?」


 お客様が支払いを行う方法としてはキャストに現金を渡すか、事前にクレジット払いを行うかのどちらかだ。クレジット払いは手数料がかかる、もしくは利用履歴を残したくない、という理由からほとんどのお客様はキャストに現金を手渡している。


 もしかして贅沢貯金とやらが底をつき、クレジット払いをすることによって支払いを先延ばしにしているのではないか、と心配していた。


「え、どうして?」


 心外だ、と言わんばかりの驚いた表情で優太は言った。


「今まで現金払いだったのに、今日はクレジット払いでしょ?もしかして、無理しているんじゃないかと思って」

「違うよ。クレジットにした方がポイント溜まるな、と思ったから」

「ほんとうに?」


 じっとりと相手の目を見つめた。ポイントの還元率よりクレジット払いの手数料の方が明らかに高い。


「ごめん、噓ついた」


 優太はすぐに白旗を振って済まなさそうに首をすくめた。


「本当はお金のやりとりを直接したくないんだ」

「どうして?」


「…お金を渡したときってさ、どうしても客と店なんだよな、って現実を見ちゃうというか」


 恥ずかしそうに手で口を隠しながら、目線を漂わせている。


 なるほど。お金を目の前で支払う、という生々しいやり取りはせずに、デートを楽しむ感覚で私と会いたいわけだ。それはキャストとしては、とても嬉しい評価だ。当店のクレジット払いの手数料は十%と割高である。それを払ってでも、私が提供する時間にそれだけの価値を感じてくれていることになるが、果たして彼の当初の目的に沿った行動なのか判断しかねた。かといって、ゆずさんとの関係について、根掘り葉掘り聞くことはさすがに野暮すぎる。


「わかった。 会いに来てくれるのは嬉しいけど、無理しないで」

「大丈夫。俺、倹約家だから」


 優太のドヤ顔に思わず噴き出した。私は笑いながらシマエナガ柄の封筒を彼に返した。


「もう追加払わなくていいよ」


 途端に優太の顔がこわばる。


「…それは、もう俺とはしたくないってこと?」

「いや、そういうことじゃなくて」

「どういうこと?」

「…追加なしでも、してもいいってこと」

「え、どういうこと?」


 私は小さく息をつく。自分の本音を伝えるのが少し恥ずかしい。


「だから、優太にはいつも気持ち良い思いをさせてもらっているから、追加をもらうのは申し訳ないな、って思っているの。追加なしでも、私はしてもいい、って思っているってこと」


 早口で伝えた。私は両手で顔を隠しながら「察してよ」と言った。借金を返し終えた今、馬車馬のように働くつもりはもう無い。新規客からの本番提案は全て断っている。しかし、彼と過ごす時間は楽しい。これは私からの感謝の気持ちでもあった。


「それって、俺とのが、その、良かったってこと?」


 上ずった声で聞いてくる優太に、そうだよ、と答えた。するといきなり抱きついてきたので、私は慌てて受け止めた。あまりにも強い力に、苦しいよ、と抗議の声をあげる。笑い出した彼に、どうしたの、と尋ねると優太は目を指でぬぐいながら言った。


「すごく、嬉しいんだよ」


 泣き笑いしている彼に私はクスリと笑った。


「追加なしにやれるんだ、ラッキー!ぐらいに思ってよ」

「そりゃ無理だよ」


 笑い合い、お互いどちらからともなくキスをする。少しでも彼の心の中にある取っ掛かりが無くなりますように、そう思いながら唇を重ねた。


 あっという間に予約時間が終了し、忘れ物が無いか確認をしてサンダルを履いた。優太がクレジット払いをしてくれたおかげで、お金を持ち歩かなくて済むので精神的に楽だ。


「そのサンダルよく履いているね」


 優太が私の足元を見ながら言った。


「これ、クリムトの接吻をイメージしたデザインなの。お気に入りすぎてサンダルもパンプスも両方持っているよ」

「クリーム党?」

「クリムト。画家の名前だよ。」


 笑いながら私は答えた。絵麻に言えばクリムトに関するうんちくが始まるところだが、優太は、ふぅん、と頷いた。


「この後、予約入ってないの?」

「今日は優太だけ」

「じゃあさ、一緒にお昼ご飯食べない?」

「いいよ」


 嬉しそうにパッと笑顔になる。こういった仕草を目にするたびに大型犬みたいだな、と思う。感情が尻尾に現れちゃうゴールデンレトリバーみたいな。


 ホテルを出ると一緒にマークシティへ向かった。八月最後の土曜日。早くも秋のディスプレイに変わっている店の前を歩きながら、私がずっと気になっていたお店に足を運んだ。


 暖簾を手で持ち上げて店内に入ると、すぐにスタッフがやってきた。カウンターに通されると、優太は一番端の席に私を座らせてくれた。広々としたオープンキッチンの中で、料理人たちが忙しそうに手を動かしている。


「何食べる?」


 私はメニューを広げ、見やすいように優太の方にスライドした。すると優太は私の方にメニューを押し返してくるので、私たちは少しの間黙って綱引きの逆バージョンのようにメニューを押し合う。しかし、優太が手を引いたので私は勢い余って肘をカウンターに打ち付けた。いたっ、と思わず言うと優太は忍び笑いを堪えており、私もおかしくなって声を立てずに笑った。


 優太はメニューから夏野菜の天ぷら御膳を頼み、私は西京焼き御膳を頼んだ。


「マークシティの中はよく通っていたけど、ここのお店は知らなかったよ」

「通りからだとちょっと見えにくいよね」

「ね。和食が好きなの?」

「和食も好き。」


 しばらく好きな食べ物の話をした。渋谷にある美味しい飲食店について話すと、どうしてそんなに渋谷の飲食店に詳しいのか、と聞かれたので、私は渋谷にある大学に通っていたことを教えた。渋谷にある大学は片手で数えられるほどしかないが、隠す気もなかった。 


 優太は大学の頃、経済学部で食品ロスや地産地消について専攻したことがきっかけで、今の食品メーカーの会社に就職したことを話してくれた。大学名を聞いてみると、有名な大学だった。


「あの、九月三十日って空いている?できれば丸一日、予約ってできる?」

「あー、貸し切りで予約したいってこと?」


 優太が頷くので、私は少し眉間にシワを寄せた。


「貸し切りはできるけど、結構良い値段するよ?」

「それはわかっている。何時から何時まで大丈夫なのかな?もしできたら」

「ちょっと待って」


 私は手のひらを広げて優太の話を遮った。


 貸し切りとは、文字通り指名したキャストを丸一日独り占めできるプランである。予約可能な時間は十時から、終了時間はキャストとお客様の間で調整される。ただし、宿泊を伴う貸し切りは禁止されており、どんなに遅くてもキャストが終電で帰れる時間までに解散する必要がある。


 事務所で貸し切りを希望するお客様から金額の問い合わせを受けた時、希望時間を元に計算して目玉が飛び出すかと思った。貸し切りを希望するお客様は、近場での日帰り旅行を楽しむ方が比較的多く、交通費や飲食代はもちろんお客様持ちである。


 私はお客様から貸し切りの希望を頂いたのは、これが初めてだ。私は店に登録されている優太の顧客情報を見て、彼が私にいくら使っているのか正確に把握している。優太のように毎週通い続けてくれるお客様は他にいない。


 藤本店長は優太の通う頻度を見て、推し活みたいだな、と言っていたが、時々、そこまでお金を使わせてしまっていることに、何だか申し訳ない気持ちになる。もちろん、価格にあったサービスを提供している、と自負はしている。もし、優太が他の多くのお客様のように、社会的地位が高く、高収入だったら申し訳ない、なんて気持ちは抱かなかっただろう。しかし、彼はただの会社員なのだ。


「…どうして貸し切りにしたいの?」

「その日、俺の誕生日だから。有給とって一緒に過ごしたいなと思って…」


 その答えに私は危うく『せっかくの誕生日なのに、ゆずさんと過ごさなくていいの?』と言いそうになった。しかし、私の気持ちが顔に出てしまったのだろう。彼は言いにくそうに言った。


「…彼女は仕事が忙しいから、別の日に過ごす予定。だから仕事としてでも構わないから、一緒に過ごして欲しい」

「なるほど。それで奮発して丸一日私をお買い上げしちゃおう、というわけだ」


 私はわざと、この関係はあくまでもキャストとお客様であることを意識させるような言い方をした。お店経由で会っているから、今の関係が続いていると認識して欲しい。とはいえ、私も常連のお客様に対してプライベートで知り合っていたら、いい飲み友になっただろうな、いい相談相手になっていただろうな、と思うことはある。でも、それはあくまでもイフの世界線であるべきだ。


 そして先ほどの私の発言は、自分に言い聞かせるためでもある。


 私が優太に対してお客様としてではなく、一人の男性として魅力的な人だと感じてしまっていることは、もう隠しようもない本音だった。時々、仕事中ということも忘れて、素で楽しんでしまっている自分がいる。それがプロとして適切な接客なのか、私は常に疑問を自分に向けるよう意識しなければならない。


 束の間、黙り込んでしまった優太に私は言った。


「わかった。その日、一日予定を空けておく。でも、お願いだから、あんまりお金を使いすぎないで欲しい。気持ちは嬉しいけど、もったいないというか…」


 失礼にならないように言葉を選んで伝えると、優太は驚いた表情を浮かべ、優しい顔をした。

「莉奈ってほんと優しいね。お店じゃなくってプライベートで知り合いたかった」


 その言葉は私の心に響いた。風俗嬢にとってこんなに嬉しい言葉はない。正直なところ、プライベートで会っていたら心置きなく仲良くなれただろう、と私も思う。しかし、それはリップサービスだとしても、言うべきではない。私は何も言わず微笑むだけに留めた。


「ちなみに何時にどこ行けばいいの?」

「まだちゃんと決めてないんだけど、日帰り旅行か俺の家でゆっくり過ごすか、どうしようかなって考えてる」

「家、北千住だよね」

「うん、莉奈はどこに住んでいるの?」

「上野あたり」


 本当は西日暮里だが、ピンポイントで最寄り駅をいうのは憚れたので、若干ぼかして伝えた。


「え!近いね!」

「わりとね。誕生日プレゼント、何が欲しい?」

「莉奈と過ごせることがもうプレゼントだから、いらないよ」


 こういうところである。こんな恥ずかしいセリフを、本人は全く恥ずかしがることなく、心の底から嬉しそうに伝えてくる。こんなに喜んでもらえるなら、私だって一緒にいて悪い気はしないどころか、嬉しくなってしまう。


「莉奈の誕生日っていつ?」

「八月二十六日」

「え!過ぎているじゃん!ごめん、何かお祝いさせて」

「いやいや、いいよ。」

「いや、何かお礼させて欲しい。俺、あの時、本当にしんどかったから…。すごく感謝しているんだ。だからお礼したい」


 そう言われると、断るのも逆に悪い気がする。


「じゃあ、期待しておく」


 そう言うと彼は嬉しそうに微笑んだ。


 食事を終えて、一緒に銀座線へ向かう。ホームに止まっている列車に乗り込み、端の席に座った。


「ちなみに貸し切りで予約する人って、他にもいる?」

「秘密」

「この後、事務所に戻るの?」

「うん」

「事務所ってどこにあるの?」

「秘密」


 秘密ばっかじゃん。優太の顔にそう書いてあり、わかりやすくて笑ってしまった。


「拗ねないで」

「拗ねてないよ」


 黙り込んでしまった彼に、機嫌直して、と囁くと彼は小さくため息をついた。


「機嫌が悪いわけじゃないよ」

「私が、秘密ってばっかり言って教えてくれないから?」

「いや、色々詮索して悪かったな、って」

「全然いいよ」


 彼が手を握ってきたので私は握り返した。


「家、北千住駅なら表参道駅で乗り換え?」

「そうだね」

「この後、どこか行くの?」

「予定ないし、一旦家に帰ったらジムに行こうかな」

「ちゃんと鍛えていて偉いわ」


 渋谷駅から隣駅である表参道駅へあっという間に着いた。名残惜しそうな顔をしている優太に手を振ると、また来週、と声をかけて電車を降りていく。ドアが閉まった後も手を振っているので、私は電車が発車して見えなくなるまで手を振り続けた。



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