第24話 借金完済
ついに借金が完済した。たった今、残りの五十万をいっきに振り込んだ。ATMから出ると深いため息がでる。やっと終わった。
自分へのご褒美に、駅前の立ち食い寿司に行こう。手軽に済ませられる立ち食い寿司で満足してしまう私の庶民感覚に苦笑しつつ、こんな時くらいはもっと贅沢してもいいのにと思いながらも、ためらってしまうところが、私の良いところだと思う。
私は絵麻に電話した。
「借金、完済したよ!」
『えっ!おめでとう!早い!当初の予定の半分くらいの期間で終わったんじゃない?すごい。ほんとうに偉いよ!』
そう言われて私は泣いた。人目を憚らず、泣きながら歩いた。やっと終わったことへの達成感と安心感の大きさは、とてもコントロールできるものではない。三年で完済する予定だったが、一年八ヶ月で完済できた。思った以上に前倒しできた!
「あー、嬉しい!やっと終わった!」
『ほんとうにお疲れ様。ゆっくり休みなよ』
「うん。そうする。出勤日数減らして転職活動始める」
『明日は、知夏の誕生日と完済祝いだね』
「嬉しい!たくさん飲もう」
電話を切ると私は涙をぬぐった。
明日は私の誕生日。今日で二十代が終わる。意地を張ってでも自分で稼いで返して良かった。晴れ晴れとした気持ちで、三十代を迎えられることに、両手を天高く掲げながら万歳と叫びたい気分だ。
明日、明後日は自分へのご褒美として休みにしている。丸々二日間、生理でもないのに連続して休みを取るのは風俗嬢に転職して以来、初めてだった。
翌朝、目が覚めるとカーテンを開け、ベランダから目の前を通過していく舎人ライナーを見送った。今日も酷暑になることを決定づけるような、朝から暑い日差しが降り注ぐ。
洗面所に向かい顔を洗うと、鏡に映った自分の顔がにやけていることに気付く。仕方がない。だって嬉しいんだもん。
朝の日課であるストレッチと筋トレを行い、プロテインを飲みながらテレビを見た。仕事では絶対着られない派手な柄のスカートを着て、お気に入りのサンダルを履いて家を出た。
通っているフェイシャルエステに向かい、いつものコースではなく一番高いコースを受けた。すっかりお馴染みになった細くてきれいな手をしたお姉さんに、クレンジングで肌の汚れを落としてもらうと、毛穴に詰まった角栓を専用の機械で除去してもらう。美容液を肌に浸透させている間に、首からデコルテにかけてしっかりとリンパマッサージをしてもらった。
施術が終わりパウダールームで眉毛を描きながら自分の肌をまじまじと見つめた。月二回フェイシャルエステに通い続けたおかげで、ファンデーションを塗らなくても接近戦に耐えられるこの素肌は、私の自信を底上げしてくれる。
私は受付で二週間後に予約を入れると、その足で今度は別のエステに向かった。こちらもすっかりお馴染みになったおしゃべり好きなお姉さんに、たくましい腕力と頼もしい指圧でグイグイ体のコリをほぐしてもらう。ウッディな香りのするアロマオイルで全身のリンパを流してもらい、毎度のごとく私は熟睡してしまった。
他のお客様がどうかは知らないが、私を指名するお客様の多くは部屋の電気を暗くする、という恥じらいを遥か昔に置き忘れたようで、明るい空間でプレイをすることを好む。足や腕は自分でケアできるが、背中はどうしたってセルフケアには限界がある。私はお客様たちの期待に応えるために、アロママッサージを受け始めたが、今ではリラックスできるご褒美時間だ。そのおかげで自分で触っても気持ちいい、と思えるくらいには肌の質をキープできている。
自分へのご褒美エステが終わると、遅めのランチを食べ、紅茶を飲みながら本の続きを読んだ。絵麻との待ち合わせ時間が近づくと、店を出て待ち合わせ場所に向かった。
待ち合わせ場所で立っていると、絵麻が手を振りながらやってきた。ミルクティー色のボブカットに、くすんだ赤色のインナーカラー。光沢のある黒パンツにシンプルな白シャツ、サングラスをかけ、颯爽と現れた。
「お待たせ。暑いね!」
「いや、髪色派手だね?」
絵麻の挨拶をスルーして思わず突っ込む。
「きれいに色が入っているでしょ」
絵麻は自慢げにインナーカラーが良く見えるよう、髪の毛を掻き上げた。
「いいなぁ。私もインナーカラーやってみたいな。」
私は暗めのオリーブベージュに染められた自分の毛先をつまんだ。
「やったらいいじゃない。髪型自由な職業でしょ」
「うちの店は清楚な人妻をウリにしているの。派手な髪色をしていたら店長に怒られるわ」
「清楚な人妻が風俗をやるわけないじゃん。夢見すぎ」
あほくさ、と鼻で笑う絵麻に全くもって同感だが、その夢見る男性たちのおかげで稼がせてもらっているので、永遠に夢を見続けていてほしいものである。
笑い合いながら絵麻についていくと、彼女は私の誕生日プレゼントとして、とても素敵なお店を予約してくれていた。イルミネーションのように美しい新宿の夜景が見える窓際の席に通され、はしゃぎながら向かいに座る絵麻に言った。
「すごい素敵!」
「でしょ」
謙遜することなくドヤ顔である。ウェルカムドリンクとしてシャンパンが注がれると、お互いグラスを傾け乾杯した。
「誕生日おめでとう。そして、借金返済おつかれさま」
「ありがとう」
微笑み合いながらシャンパンを飲むと、絵麻がグラスをテーブルの上に置いた。
「風俗嬢生活、どうだった?」
「まぁ、思ったより楽しかったかな。想像していたより辛い、ってことは無かったかも」
「ふぅん。どんなことが楽しかったの?」
「自分が工夫したことが分かりやすく結果に反映されて、収入に直結することが思ったより楽しかった」
なるほど、それで?と絵麻は言った。
「あとは色んな人から色んな話を聞けたことかな。会社員の時も社外の人と話す機会は多かったけど、お互い会社の看板を背負った状態だったから、そんなに深い話はしないし。風俗嬢相手だと、普段は人に言えないようなことも話してくれるな、って思った」
「へぇ。どんな人が印象的だった?」
「いっぱいいるよ。女性から性被害を受けてそれを克服したい、とか、バイで彼氏がいるけどたまには女の肌が恋しい、とか、彼女を喜ばせたいから、色々教えて欲しいって人もいたし」
「話のネタが豊富すぎる。ちょっと、色々聞かせてよ」
興味津々と言った様子で絵麻が身を乗り出した。
気心の知れた友人と特別な空間で美しい料理を頂くことは、最高に楽しかった。キャストの莉奈としてではなく、ただの知夏として振る舞えることに、言いようのない安心感に包まれる。
絵麻に仕事のことについて話しながら改めて思った。私は風俗嬢の仕事を気に入っている。天職とまではいかなくても、少なくとも私には合った仕事だと思った。
それは、努力と工夫次第で収入が決まるこの仕事が、会社員の頃と違って言い訳が全くもって通用しないこの環境が、私の頭をフル回転させ、収入の保証がない状況で、いかに安定した収入基盤を築くのか考え、実行し、検証し、改善点を洗い出す、この一連のサイクルに快楽に似たやりがいを感じている。私はワクワクしながら螺旋階段を登っている気分だった。
そして、全く自覚は無かったが、私は人に尽くすのが好きだということが分かった。お客様がどうしたらご満足頂けるのか、そのことをひたすら考え、相手に尽くす。その結果、お客様が喜びや感謝の気持ちを表してくれることに幸福を感じる。それは社会的地位や、肩書から解放され、ただの人として向き合う。そのような接客ができた時には、生きがいすら感じた。
もちろん、生涯この仕事を続けていこうとは思わない。しかし、この仕事を辞めて新たに会社員に戻ることが、少し寂しい気がしているのもまた事実だった。
「次、なんの仕事をするの?」
「全然決めてない。年明けに新しいところで働けるようには動こうかなって感じ。とりあえず転職サイトに登録するよ」
「そっか。ま、知夏ならすぐに見つかるでしょ」
心配されなくなったことに嬉しくて微笑む。風俗嬢に転職した頃は、絵麻に心配ばかりかけていたが、今では面白がって私の話を聞いてくれる。私は自分の置かれている立場がどうなろうと、変わらぬ友情を示し続けてくれる絵麻に感謝した。




